親子で乗り越えた、神経芽腫の再発治療

子どもが笑顔でいるため おかあさんが〝泣ける〟場所を

取材・文●吉田燿子
発行:2013年12月
更新:2014年4月

  

関口理恵 さん (保育士・誕生学®アドバイザー) 潤 君

せきぐち りえ 1972年東京都生まれ。高校卒業後、通訳ガイド専攻専門学校を経て専門出版社で広告営業を担当。26歳で保育士の国家試験に合格し、29歳のとき保育士として都内の公立保育園に10余年勤務。不妊治療の末、待望の男児を出産したが、2008年に我が子が1歳8カ月で神経芽腫を発症。12年東京未来大学通信教育課程こども心理学部こども心理学科卒業後、公益社団法人誕生学アドバイザー。その後、子育て心理カウンセラー取得
せきぐち じゅん 2007年東京都生まれ。08年(1歳8カ月)に神経芽腫に罹患。現在、通級(週1回通う支援学級)に通いながら、お母さんお手製の補助教材でも勉強するガンバリ屋さん

胎生期(=出産期、受精から約10カ月)に、副腎や交感神経細胞などから発生する神経芽腫。小児がんの中では、白血病・脳腫瘍に次いで発症頻度が高く、診断時の患者さんの70%に転移がみられるという。この病魔に、ひとつになって闘い抜いた親子がいる。

ご自宅を訪ねると、愛くるしい男の子が笑顔で出迎えてくれた。名前は、関口潤君(7歳)。1歳8カ月でステージ4の神経芽腫に侵され、再発も経験。集学的治療法と造血幹細胞移植を何度も繰り返し、およそ800日にわたる苛烈な入院治療に耐え抜いた。

この勇敢なサバイバーの闘病を支えてきたのが、母親の理恵さん(41歳)。潤君の闘病中に離婚を経験し、公務員としての安定した仕事を失いながらも、希望を失うことなくわが子に伴走し続けてきた。現在はフリーランスで保育などの仕事をこなしながら、小児がんの啓発活動や母親支援に取り組んでいる。

素直で明るく、誰にでも話しかけ、公園に行けば5分で友達を作ってしまうという潤君。その屈託のない笑顔からは、一見、大病の影を感じとることはできない。苛酷な運命に抗い、わが子を必死で守り抜いてきた理恵さんの労苦と決意が偲ばれるような気がした。

「神経芽腫再発後も治療せず元気なのは、国内では3~5人程度とのこと。その1人が潤だとしたら、この子の命は〝いただいた命〟。生かされているのなら、うちの子にもできることがあるかもしれないな、と思うのです」

アキュテイン=一般名イソトレチノイン(国内未承認・難治性ニキビ治療薬) 集学的治療法=外科的治療・内科的治療・放射線治療など 複数の治療法を組み合わせて行う治療法

1歳8カ月で腹部に腫瘍が見つかる

理恵さんが潤君を出産したのは、34歳のときのことだ。

結婚後、都内で保育士として働きながら、9年間にわたって不妊治療を受けた。2006年に、体外受精で待望の男児を出産。念願の親子3人の生活がスタートした。

だが、平穏で幸福な日々は、長くは続かなかった。

潤君が1歳8カ月を迎えた08年1月初旬、理恵さんが職場の区立保育園からの帰宅時、階下に住む両親からメールが入り、「ひどくグッタリして、震えていた」という潤君の異変が伝えられた。

それまで高熱が続いてはいたが、潤君に聞いても、「ぽんぽん」と言うだけで状況がよくわからない。近所のクリニックで診てもらうと、「貧血を起こしている」と言われ、都立大塚病院で精密検査を受けることを勧められた。そこで、エコーやCT検査を受けたところ、腹部に、1歳児の頭部ほどもある巨大な腫瘍が見つかった。

「がんかもしれません。このまま入院してください」

医師からの突然の宣告に、理恵さんは言葉を失った。

(どうして、うちの子が……)

「ステージ4の神経芽腫」と診断されて

初発入院時に医療チームの担当医の1人と。「女医さんは母親にとっても親しみやすく、相談しやすい頼もしい存在」だった

翌日、主治医が所属する日本大学医学部附属板橋病院に転院。生検の結果、ステージ4の神経芽腫であることが判明した。原発巣は副腎で、腎臓や肝臓、骨にも遠隔転移があるという。腫瘍はパンパンに腫れていて内出血を起しており、まさに〝一触即発〟の状態だった。

「少し前の時代なら、このままオモチャを持たせて帰した国もあったぐらい難しい病気です」

主治医の言葉に、理恵さんは頭を殴られたようなショックを受けた。それは「助からないかもしれない」と言われたも同然だった。だが一方で、主治医は、あえて厳しい言葉をぶつけることで、自分に母親としての覚悟を求めている――とも感じた。

「何がいけなかったんでしょう。体外受精が原因ですか?」

思わず、そんな質問が口をついて出た。病院からの帰り道、言葉を交わすこともなく、夫と泣きながら夜の街を歩いた。

これから一体どうなるんだろう――理恵さんの心は、不安で押しつぶされそうだった。

集学的治療と造血幹細胞移植による、がん撲滅作戦

乳幼児の患者といえども、ステージ4の神経芽腫を根絶やしにするためには、徹底的な治療が求められる。主治医の方針で、大量の抗がん薬投与と放射線治療、手術をフルセットで行うことになった。

しかし、このような治療をすると、骨髄がカラカラになって血液が造れなくなってしまう。そこで、事前に自分の造血幹細胞を体外に取り出し、治療後に体内に戻す「自家末梢血幹細胞移植」を行うことになった。

「厳しい治療になることはわかっていましたが、他に選択肢はありませんでした。自分なりに勉強はしたつもりですが、迷ってもしようがない。セカンドオピニオンを聞きに行くより、わからないことは主治医に聞いて、納得のいく答えが返ってくればお任せしようと思いました。主治医との信頼関係を大事にしたかったのです」

理恵さんはこう振り返る。

無菌室でシャワー中の潤君。抗がん薬を投与するためのCVカテーテルがつながっている

1月中旬、術前の抗がん薬治療がスタート。オンコビン、アドリアシン、エンドキサン、シスプラチンによる多剤併用療法5クールが行われた。

さらに6月中旬、ラステッド、カルボプラチン、アルケランの大量投与を行った後、事前に潤君の体内から取り出しておいた造血幹細胞を移植。こうして、抗がん薬により腫瘍を小さくし、摘出手術を行う計画だった。

8月上旬に手術が行われ、原発巣の副腎と右の腎臓、肝臓の一部を摘出。さらに、局所再発を抑えるため、放射線治療が行われた。また、前回の手術では手が回らなかった、縦隔部位の転移巣の摘出手術も行われた。

オンコビン=一般名ビンクリスチン アドリアシン=一般名ドキソルビシン エンドキサン=一般名シクロホスファミド シスプラチン=商品名ブリプラチン/ランダ ラステット(ベプシド)=一般名エトポシド カルボプラチン=商品名パラプラチン アルケラン=一般名メルファラン

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