患者は医者を選ぶべき。そして、明るく元気に乗り切ろう 大腸がんから23年、第一線で活躍する喜劇役者・大村 崑さん

取材・文●「がんサポート」編集部
撮影●向井 渉
発行:2013年8月
更新:2018年10月

  
大村崑さん

おおむら こん
1931年、神戸市生まれ。1957年コメディアンとして舞台に。1958年民放開局と同時に「やりくりアパート」でテレビデビュー。以後「番頭はんと丁稚どん」「とんま天狗」などの個性的な演技でお茶の間の人気者に。「ちびっこのど自慢」の司会や1970年大阪万博「子供の祭り」を演出するなど多彩に活躍した。2000年日本喜劇人協会8代目会長に。テレビや舞台で活躍中。

元気はつらつ!――のCMで日本中におなじみとなった大村崑さんが、大腸がんに襲われたのは今から23年前、58歳のことだった。つらい治療を経て今なお現役で人を笑わせ続ける大村さんを支える“健康哲学”をきいた。

そんなとこ入れて、性格が変わったらえらいことになるで

テレビの放送開始から個性的な存在でお茶の間の人気者となった大村さん。万博のイベントを演出するなど多彩な活動をしていたが、思わぬハードルが待っていた。

「50代も後半になって、少し下血があったんです。自分でも心配していました。若いころは痔でしたから、再開したかなとか。でも、心配ないやとも思い込んでいました」

その頃、新宿コマ劇場で八代亜紀さんと共演していた。八代さんの主治医とも親しくなり、ある日、「大村さん、年齢的なこともあるし、大腸を内視鏡で診てみませんか」と言われた。

「やってみようかな」と思ったが、よくよく聞いてみると、お尻からカメラを入れるという。胃カメラを経験した知人から、口から入れるだけでも大変だと聞いていたので、躊躇した。

「敏感なところにカメラを入れるなんて……」

生粋の喜劇役者はこんなときでも笑わせようとした。

「そんなとこ入れて、性格が変わったらえらいことになるで」

医師は「冗談言ってる場合じゃないよ」と気まじめに答えた。

七転八倒の苦しみと恥ずかしさと……

時代劇コメディで人気者に(1965年ころ)

断り切れずに、半ば強引に病院に呼ばれた。東京の大きな病院だった。テレビの人気者が来ているということで、検査室前には自然と人が集まった。

内視鏡検査をする前に、バリウムを服用しレントゲン検査が始まった。

「Tシャツに下半身は裸という姿。横になって、たくさん人がいる中でお尻からバリウムを入れられた」

トントントントン……と音がする。

「苦しいからやめてくれ」「半分入ったから、あと半分我慢しなさい」――そんな会話があった。靴下が脱がされた。大村さんが、「やめてください。くしゃみが出る」と言うと、「粗相をして靴下を汚す人がいるから脱いだほうがいい」と返されて、余計にプレッシャーを感じた。

「七転八倒ですよ。お尻だけは力を入れてくださいと言われる。こぼさないでくださいって。経験したことない腹痛ですよ」

トイレに逃げ込みたいところでレントゲン撮影となった。左右上下に動かされ、「お尻を上げてください」と指示された。40枚は撮った。

「苦しいやら、恥ずかしいやら。終了したあとにまた試練がありました。患者さんたちが並んでいる廊下を、Tシャツ姿のまま走ってトイレに駆け込みました。たまたま個室が空いていて助かった」

コンクリートのような便が出てきたという。医師に聞いてみた。

「こういう方法しかないのですか?」

「腸壁にバリウムをつけて、それをレントゲン撮影するしかないのです」

ステーキがシルバーに見えた

明るいキャラクターで多彩な活動を展開

後日、主治医と放射線の医師が、大村さんを浅草のレストランに誘った。大きなステーキが出てきたころ、放射線の医師が「大丈夫ですかね」と言った。主治医は「この人はいい根性をしているから、大丈夫です」と答えた。鞄から出したレントゲン写真を、ミルク色の蛍光灯にかざしながらボールペンで指し始めた。

「これとこれが、がんかもしれません」

大村さんは自分の耳を疑った。

「がん? え? 僕はコンですけど……」

初めて体験する衝撃に、笑いにつなげないとやっていられないという心境だった。目の前のステーキに視線を戻すと、鈍い光を放つシルバーみたいな不思議な色に見えた。医師の目を見た。真剣な表情の中で、眼だけが穏やかに見えた。

「今だったら助かりますか?」

「大丈夫です。すぐに内視鏡を入れましょう」

内視鏡で治療

米国の内視鏡の権威である日本人医師が日本に戻っているという。診察を申し込んだ。

内視鏡治療の日が来た。前の晩から病院に泊った。下剤を飲んで迎えた当日、看護師が便を見に来た。水色をしていた。ベッドに横になり、緊張する大村さんに米国帰りの医師が話しかけた。

「崑さん、日本にいるときはよく拝見していました。久しぶりにお顔を見ましたが、おいくつになりました?」

大村さんは、

「58歳です。先生は?……」

と返したところまでしか覚えていない。麻酔が効いてきたのだった。

病室で眼が覚めた。奥さんが「起きなさい」とほほを叩いている。その後ろに見覚えのある四角い顔の医師が見えた。

「4つありました。全部取って病理検査に回してあります。後日結果が分かります」

しばらくして正式に聞いたところによると、横行結腸とS状結腸の手前で発がんしていたという。四角い顔の医師は言った。

「早めに取ってよかった。取れば元気に働けるから。柔らかいものを食べて、走ったり暴れたりしないで下さい」

大村さんは医師に感謝したが、今も残る疑問がある。

「あの先生、いくつなんだろう」

週刊誌に書かれても「元気はつらつ」

東京のバラエティ番組にレギュラー出演しながら、術後の通院をしていた。そうこうしているうちに、週刊誌に「大村崑、がん闘病」が大きく出た。大村さんは「しまった」と思った。

「当時は、がんと言ったらイコール死を意味していました。役者はすぐにマスコミに騒がれる。盲腸で入院しても、とんでもない病気にかかったと。『元気はつらつ!』と言っている人物が死の病というのは……」

大村さんは、常に背筋を伸ばして『元気ぶり』を表現した。最後は居直った。

「もう取ったんだから大丈夫です」

さらに大村さんは、自分の経験を同じ病気に悩む人々に活かしてもらおうと勉強した。ポリープができてから発がんする過程、他の臓器に転移する仕組みもわかった。一番身にしみたのは、大腸がんに顕著な自覚症状がないことだった。

「胃などと違い、七転八倒の痛みは来ないのです。便に血が混じるというのは緊急事態ですよ。僕の経験からしても」

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