がんより選挙。はじめはそう思っていました 胃がんを克服し、国政へのカムバックを果たした衆議院議員・鈴木宗男さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2009年3月
更新:2019年7月

  
鈴木宗男さん

すずき むねお
新党大地・代表。衆議院議員。1948年、北海道十勝支庁足寄町生まれ。拓殖大学在学中、中川一郎代議士の秘書に採用され、政治の道に入る。83年、中川一郎氏の死後、衆院選に出馬して当選。97年、国務大臣北海道沖縄開発庁長官。02年6月、斡旋収賄罪等で逮捕。437日間の勾留後、03年8月保釈。同年10月、胃がんが見つかり手術を受ける。05年8月、松山千春氏と新党大地を結成。同年9月の衆院選で当選し、国政へのカムバックを果たす。

世をあげてのムネオ・バッシング、逮捕、そして437日に及ぶ勾留。逆風と土砂降りの日々を耐えて保釈された鈴木宗男代議士を待ち構えていたのは、胃がんだった。

最悪のタイミングで告知されたがん

写真:鈴木宗男さん

「今の医学をもってすれば、がんは怖くはありません!」とがん患者さんにエールを送る

「胃がんが見つかったのは2003年10月初旬のことです。437日に及んだ勾留が終わって保釈されたのがその年の8月29日でしたから、政治活動を再開してまだひと月くらいしか経っていませんでした。私は以前から健康には留意していて毎年人間ドックに入っていたんですが、勾留期間中は受けられませんから、保釈後、一段落ついたところでドックに入ったんです。9月24日と25日の2日間、病院は東京・三田にある東京専売病院(現国際医療福祉大学付属三田病院)でした。そしたら1週間くらいして病院から電話が入って呼び出しを受けたんです。普通、何もなければ結果は郵送で知らせてきますから、何かあったなと思って行ったら、胃がんだと言われたんです。
告知された際に、医師が写真を見せながらいろいろ説明してくれたんですが、気になったのは『転移している可能性がある』と言われたことでした。そこで、一縷の望みをかけて国立がん研究センターにも行ってセカンドオピニオンを受けたんです。そしたら結果はまったく同じで、人生が終わったと思いました」

国立がん研究センターからは、なるべく早く入院して手術を受けるように勧められたが、鈴木さんはそれに従わなかった。

衆議院が解散し、11月9日の投票日に向けて選挙戦がまさにスタートしようとしていたからだ。8月29日に保釈されたあと、鈴木さんは地元の後援者まわりを精力的にこなし、盟友松山千春さんと新党を結成しての出馬を模索していた。

出馬を断念させた「カナダからの電話」

「私は国策捜査で罪を着せられ、悪者にされたという思いが強かったので、勾留中は負けてたまるかといつも思っていました。それだけに、次の選挙にはどうしても出なくてはいけなかったし、勝つ自信もあった。主だった支持者や秘書は離れずについてきてくれていましたから。だからがんよりも選挙優先。手術を先延ばしして、命削ってでも選挙戦を戦い抜くつもりでした。そういう考えだったので、女房にはすぐには話しませんでした。選挙戦が始まれば食事も睡眠も満足に取れない状態が続いて体力をトコトン消耗します。女房はそれを知ってるので反対はしないまでも、すごく心配すると思ったんです。ですから、はじめ、がんのことを知っていたのは秘書をしている次男の行二だけでした。
それでも女房に知らせないわけにはいかないんで、何日かして、がんのことだけではなく、選挙を優先させるつもりでいることも含めて話しました。そしたら、かなりショックを受けていましたが、私の性格をよく知っていますから、『行くしかないんですね』って」

このような形で奥さんの了解を取り付けていながら、鈴木さんはその数日後に記者会見を開き、がんを公表したうえで、治療を優先するため衆議院選挙への出馬を見送るという発表を行った。急転直下、180度方針を転換したのは最愛の娘・貴子さんの説得に心を動かされたからだ。

「当時、娘はカナダの高校に留学していたのですが、女房から私のがんのことを聞いて電話をかけてきたんです。その電話で、娘がこう言うんですよ。『お父さん、私は末っ子で、お兄ちゃんたちと年が10歳以上離れているから、お父さんと一緒にいる時間がずっと短い。もっともっと一緒にいる時間が欲しいから健康第一でいてくれなきゃ困る。選挙は病気が治ったらいくらでも出られるんだから、今回は無理しないで欲しい』って言うんですよ。そう言われると、こっちもグラッと来るじゃないですか。そのことを松山千春さんに話したら、彼も貴子の言う通りだって、手術を優先することに賛成してくれたんです。それで腹をくくったんです。今回は出ない、と」

盟友=松山千春同席の記者会見

苦渋の決断をした鈴木さんは10月16日、松山千春さんに同席してもらって北海道釧路市内のホテルで記者会見を行い、集まったメディアにがんの治療のため出馬を見送ることを告げた。それだけでなく、松山さんにスポークスマン役になってもらい、支援者たちにも出馬断念に至る経緯説明を行った。

それを聞いた支援者たちは、シーンと静まり返ったと思いきや、意外な反応を見せた。

「千春さんが、後援会の方たちに『(衆院選に)出るということで準備を進めてきたけど、じつは宗男さん、がんが見つかって今回は出られなくなったんですよ』って言ったら、みんな笑うんですよ。全然信用しないんです。『また、千春が何か、悪い冗談を言ってる』『キツイ冗談から始めるつもりだろう』という感じで、ニヤニヤしながら聞いているんですよ(笑)。まあ、そんな反応になったのも、仕方ないことなんですけどね。集まった人たちは、当然、出馬の決意表明をするもんだと思って来ていましたから」

こうして出馬を断念した鈴木さんは、10月29日に国立がん研究センター中央病院に入院。翌30日に主治医である胃外科の佐野武医師の執刀で摘出手術を受けた。手術は4時間に及び、胃の3分の2と周辺のリンパ節を切除した。

がんの病巣は胃の中央部にあったため、3分の2を切除したものの、幽門部は温存することができた。

気になっていた転移も、開腹後の迅速病理診断で、その可能性がないことがわかった。

「正式に転移の有無を判断するには切除した胃を2ミリずつの厚さに切ってがんがあるかどうかを徹底的に調べるんだそうですが、それも1カ月後にまったく問題ないという結果が出ました。

術後の経過は順調で、合併症も出ませんでしたので11月12日に退院の運びになりました。入院中、いちばんキツかったのは、手術の翌日からベッドから立ち上がって運動させられたことです。運動と言っても、薬や痛み止めを吊るした点滴ハンガーを押しながら、部屋の中をゆっくり歩くだけなんだけど、これがめちゃくちゃ痛いんですよ。傷が全然塞がっていない状態で歩くわけだから。でも、これしきのことで音を上げていられるかと思って、言われたメニューはきっちりこなしました。少しでも早く回復して、元気な姿を見せたいという気持ちが強かったですから」


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