遺伝子検査:無駄な治療、副作用、費用はカットできる! 乳がん細胞の遺伝子で知る、本当に必要な治療とは?
山内英子さん
個別化が進む乳がん治療だが、がん細胞の遺伝子を知ることで、より合理的な治療選択が可能になっている。日本ではまだ普及には遠いが、海外では一般的な乳がんの遺伝子検査。その実際とは――。
がん細胞のタイプに合わせた適切な治療とは?
乳がんの分野では個別化治療が進み、患者さんのがん細胞のタイプに合わせ、適切な治療が行われるようになっている。聖路加国際病院ブレストセンター長の山内英子さんによれば、がん細胞のタイプについては、次のように考えると理解しやすいという。
「乳がんの細胞にはいろいろな種類があります。患者さんに説明するときには、乳がん細胞を擬人化して、どんな帽子をかぶっているのか、どんな顔つきなのか、という例えで説明しています」
帽子には、「ホルモン受容体」という帽子と、「HER2」という帽子がある(図1)。
これによって乳がん細胞は、ホルモン受容体の帽子をかぶった細胞(ホルモン受容体陽性)、HER2の帽子をかぶった細胞(HER2陽性)、その両方の帽子をかぶった細胞(ホルモン受容体陽性・HER2陽性)、どちらの帽子もかぶっていない細胞(ホルモン受容体陰性・HER2陰性)という4種類に分けられる。
さらにがん細胞を顕微鏡で見て、顔つきが悪そうかどうかを判断する。これが悪性度だ。
これらの情報によってがん細胞のタイプを分類し、さらに腫瘍の大きさ、リンパ節転移の有無などを考慮し、その患者さんに適した治療法が選択されてきた。こうした個別化治療は、遺伝子検査の登場で、さらに進化している。
治療効果の予測となるオンコタイプDX検査
治療選択のための検査として、「オンコタイプDX」という遺伝子検査がある。日本では健康保険が適用されないこともあり、広く普及しているとはいえないが、徐々に広まっている。
乳がんに関する遺伝子検査というと、女優アンジェリーナ・ジョリーの予防的乳房切除のきっかけとなったBRCAという検査が話題だが、これとは別の検査だ。
「BRCAは、その人が持っている遺伝子を調べ、今後乳がんや卵巣がんになるかどうかを予測する検査です。これに対し、オンコタイプDXで調べるのは、がん細胞の遺伝子のタイプ。治療の効果を予測します」
検査の対象となるのは、ホルモン受容体陽性、HER2陰性の患者さん(図2)。21種類の遺伝子を調べ、遺伝子の発現状況や活性の度合いから、手術後にどの程度再発しやすいかを明らかにする。
がん細胞を調べるので、通常は手術で摘出した組織を使って検査が行われる。手術後、再発予防のために抗がん薬治療を行うかどうかを判断するための、重要な判断材料となっている。
高リスクの患者さんに抗がん薬治療の効果が
オンコタイプDXでは、遺伝子を調べた結果から、再発リスクが計算される。その結果、再発リスク18%未満を低リスク、18%以上31%未満を中間リスク、31%以上を高リスクと分類している。
「がん細胞を顕微鏡で観察すると、細胞の顔つきがわかります。おとなしそうな顔つきのがん細胞も、意地悪そうな顔つきのがん細胞もいます。しかし、実際の性質は、顔つきと違っている場合もあります。意地悪そうな顔つきでも、本当はおとなしい性格だったりすることもあるわけです。オンコタイプDXは、外見で判断するのではなく、遺伝子からがん細胞の性格を調べる検査です」
オンコタイプDXの対象となるホルモン受容体陽性、HER2陰性の場合、再発予防の治療としてホルモン療法が選択される。これに、抗がん薬による抗がん薬治療を加えるかどうかを判断する際、オンコタイプDXの結果が参考になる。
アメリカで行われた臨床試験では、低リスク、中間リスク、高リスク毎に、〈ホルモン療法単独群〉と〈ホルモン療法・抗がん薬治療併用群〉の治療成績を比較している(図3)。
「低リスク、中間リスクの場合、抗がん薬治療を加えても、加えなくても無再発生存率に差がありません。ところが、高リスクの患者さんは、抗がん薬治療を加えることで、無再発生存率を高く維持できています」
この結果から、高リスクなら抗がん薬治療を加える価値がある、と考えられるわけだ。
さらに、抗がん薬治療がどのくらい効果的かがグラフで示される。これを見ると、抗がん薬治療を加えることで、5年間で死亡または再発する率が、どの程度低下するかを知ることができる(図4)。
抗がん薬治療が不要な患者さんが多い
オンコタイプDXを受けることで、治療方針がどのように変化するかを調べた結果がある。聖路加国際病院で行われた調査だ。
調査対象は、ホルモン受容体陽性、HER2陰性の患者さんで、リンパ節転移のない患者さんが104人、リンパ節転移がある患者さん(閉経後で転移リンパ節3個以下)が20人。計124人だった。
「手術後に抗がん薬治療を行うか悩んでいる患者さんに、オンコタイプDXの説明をしました。結果がどうであろうと心配だから抗がん薬治療を受けるという人や、高齢だから抗がん薬治療は受けないと決めている人たちは、調査からははずしてあります。悩んでいて、検査を受けたい人にだけ参加してもらいました」
組織を検査に出す段階で、医師は従来の方法で抗がん薬治療を行うべきかどうかを判断し、それを記録に残す。検査結果が出たら、医師は患者さんと話し合い、抗がん薬治療を行うかどうかを決定する。そして、検査の前後で治療方針がどう変化したかを調べた。
結果は、抗がん薬治療を併用するつもりだったが、ホルモン療法だけに変わった、というケースが多かった(図5)。
従来の方法で抗がん薬治療の併用が必要と考えられた患者さんの32%、ほぼ3人に1人が、オンコタイプDXを受けたら、ホルモン療法だけでいいという治療方針に変わっている。その逆で、ホルモン療法だけでいいと考えられた患者さんで、抗がん薬治療の併用が必要だと変化した人もいる。しかし、これはわずか6%だった。
「オンコタイプDXを行うと、抗がん薬治療を行うのに適切な患者さんを選び出せるので、無駄な抗がん薬治療、無駄な副作用を減らすことができます。また、患者さんの治療方針決定に関わる葛藤が軽減され、意思決定の助けになっていることも確認されています」
オンコタイプDXの費用対効果は
オンコタイプDXには、費用が高額だという問題がある。日本では健康保険が適用されないため、自由診療で35万円かかる。しかし、お金がかかるだけではない。
「抗がん薬治療を回避できれば、薬の費用が減りますし、治療のために仕事を休むロスも減ります。検査の費用、副作用治療の費用、通院のための交通費も減ります」(図6)
そこで試算が行われた。先ほどの調査のリンパ節転移がなかった104人についての試算だ。従来の方法で治療方針を決定した場合、患者さん1人当たりの医療費は123万8,032円となる。オンコタイプDXを行うと、抗がん薬治療を行う人が減るので、これが104万1,570円に減少。しかし、オンコタイプDXの費用35万円を加えると、139万1,570円となる。つまり、15万3,538円増えることになり、コストを減らすことにはならないわけだ。
「ただ、医療費の分析を行う場合には、QALY(質調整生存率)という概念が使われます。QOL(生活の質)が最高の状態で過ごす1年を1QALYとして、それを得るのに医療費がいくら必要かを計算するのです。オンコタイプDXの経済効果を調べるのにも、この方法を使いました」
先の調査の104人を対象に試算したところ、オンコタイプDXを行うことで、QALYは20.874から21.088へと、0.241向上するという結果になった。
つまり、0.241QALYを得るために、15万3,538円かかったことになる。これを1QALY当たりに直すと、63万6,639円となる。
「医療の値段を考えるとき、1QALY当たり500万円が目安となり、これを下回れば効率的だと言われます。1QALY 63万円というのは、効果まで考えれば、非常に効率的な価格ということです」
日本全体を考えても、限られた費用で効率のよい医療を行うことが求められている。健康保険でオンコタイプDXが受けられるようになれば、無駄な抗がん薬治療を回避できることで、大きな経済効果があると考えられる。
結果がどう出ても検査の価値はある
オンコタイプDXを受け、抗がん薬治療が必要なくなった人の場合、この検査のもたらす恩恵はわかりやすい。
「将来、妊娠・出産を望んでいた若い患者さんが、検査で低リスクであることがわかり、抗がん薬治療を回避できたという例もあります」
しかし、高リスクという結果で、抗がん薬治療が必要となる場合もある。35万円払って検査を受け、高リスクだったら、踏んだり蹴ったりではないか、と考えたくもなる。
「そういう患者さんから、『検査を受けたことで、自分には抗がん薬治療が効くということがわかったから、検査を受けて本当によかった。効くと信じられるので、副作用があっても乗り越えられます』と言われたことがあります」
高リスクの患者さんにとっても、決して無意味な検査ではないのである。
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