術前化学療法・新薬開発にも期待
手術前に腫瘍を縮小し、部分切除術で乳房温存
乳房内の腫瘍が大きければ乳房全体の切除というのが乳がん治療の定石だが、大きな腫瘍でも手術の前に化学療法を加えて小さくし、部分切除にとどめて乳房を温存するという治療選択もある。術前化学療法はどのように行われるのか――乳がんの術前化学療法の研究を続ける専門家に話を聞いた。
病理学的完全奏効も
「術前化学療法の一番のメリットは、乳房全体の切除ではなく部分切除にとどめ、乳房温存の可能性を高めることです。次に、薬の効果がすぐに判定できることです、医師も患者さんも腫瘍が小さくなることを体感できるということは治療上の大きなメリットです」
乳がんの術前化学療法の研究を続ける都立駒込病院副院長の黒井克昌さんは、その意義をあげた。
術前化学療法とは、手術による負担をより少なくするために抗がん薬や抗HER2薬を手術の前に使用する治療法。腫瘍を縮小させることにより、乳房切除が必要とされる患者さんでも温存手術が行える可能性が出る。また、もともと温存手術が可能なケースでも、より小さな範囲の温存療法を目指すことができる。治療を進めるうち、10~20%の患者さんにpCR(病理学的完全奏効)という顕微鏡で観察してもがんが完全に消失している状態がみられる。
手術不能がんの治療から手術前提の治療へ
術前化学療法は、日本では今から十数年前に行われ始めた。それまでは、初期治療で抗がん薬を使った化学療法が行われるのは、手術が不可能な進行がんが対象だった。
「手術ができない進行乳がんに対して集学的治療(手術、放射線治療、化学療法などをがんの種類や進行度に応じて組み合わせた治療)の一環として始められたのが最初です。その中で腫瘍が縮小するケースがしばしば見られたことから、手術可能な乳がんに対しても治療効果があるのではと考えられるようになりました」
日本では、2000年ごろから臨床試験が開始された。そのころの医療界の手術可能な乳がんに対する術前療法への認識は低く、治療前の組織を採取する針生検にすら疑問の声が上がるほどだったというが、近年は手術可能乳がんに対する標準的治療として行われている。
『乳癌診療ガイドライン』では、術前化学療法について、❶局所進行乳がんに対する集学的治療、
❷手術可能乳がんに対する温存率の向上を目指した治療――として推奨グレード「B」(科学的根拠があり、実践するよう推奨する)とされている。
しこりが小さくても難しい症例も
具体的には、どのようなケースで術前化学療法が選択されるのか。黒井さんは、「転移がない乳がんで、腫瘍が大きくて部分切除が難しい症例ということになります。部分切除は腫瘍径3㎝くらいで可能になりますが、大きさをどこで区切るかというのは、医師の判断となります。3㎝以下でも、より小さくしてから切除するということもありえます。注意しなければならないのは、大きさだけでは判断できないということです。腫瘍が小さくても、乳管内で進展していたり、乳頭直下にあったり、また石灰化が広い範囲で起こっていたりすると、小さくなっても部分切除は難しい場合があります」
病期でいうとステージⅢまでが術前化学療法の適応時期だが、前記のような条件次第では、ステージⅡやⅠであっても術前療法をとらないこともあるという。
また、術前化学療法を行っても、求心的に小さくならずにまばらに残ってしまう場合もあり、そのようなケースでは部分切除は難しくなる。
「術前化学療法が効果を発揮しても部分切除に結びつかない方もいます。難しそうな症例では、手術を先行します。当院では、乳房の同時再建にも力を入れているので、そちらをお勧めしています。当院では部分切除が4割、乳房切除が6割で、そのうち半分が同時再建を選んでいます。いろいろな選択肢があります」
メリットとデメリット
術前化学療法のメリットについて、黒井さんは詳しく説明した(図1)。
ダウンステージングについては、ここまでに説明した通りだ。2番目に薬剤感受性の評価が短期間でできることがある。術前化学療法は6カ月が標準的だが、その間に投与中の薬剤が効いているかどうかが、腫瘍の縮小などですぐにわかる。さらに、術前化学療法でpCRに達した場合は、そうでない場合に比べて予後がいいことがわかっているので、予後予測ができるということ。また、それらのデータを基にさらなる研究が進められることもメリットだ。
一方、デメリットもある。
「術前化学療法を行うためには、治療前の病変組織を多めに採取、保存することが必要になります。針生検で行うのですが、採取量が少ないと診断が不正確になったり、後に再度検査が必要になった際に実施できなくなることがあるので、慎重に行わなければなりません」
手術の段階に移ったときに、切除範囲の設定が難しいということもある。腫瘍が小さくなったり、pCRの状態になったりすると、切除範囲が不明確になってしまうからだ。
「現在の技術では画像でがんの消失は断定できないので、手術は省略できません。手術のときのために、腫瘍の位置関係を事前に確認しておくことが大切です。私は腫瘍の部位をマジックペンでマークし、乳頭を中心にX軸、Y軸を取って距離、大きさを書いて胸部の写真を撮っておきます」
また、局所再発リスクも指摘されているが、黒井さんは反論する。「局所再発に関しては、よく調べてみると放射線治療だけして、手術を省略しているケースが多いことがわかりました。標準的な手術をしていれば問題がなく、予後には差がないことがわかっています」
サブタイプにより異なる術前化学療法の効果
術前化学療法が効果的かを判断する材料に、乳がんのサブタイプがあり、pCRの得られやすさに大きな差が出る(図2)。
「ホルモン受容体陽性においては、pCRが得られにくくなっています。また、サブタイプのルミナルAとルミナルB/HER2陰性ではpCRと予後が相関していません。つまり、術前化学療法でpCRが得られるかどうかは予後にあまり関係ないということです。一方で、ルミナルB/HER2陽性、HER2陽性、トリプルネガティブではpCRと予後が相関しています」
このことから、ホルモン陽性タイプに対しては、術前ホルモン療法の検討が進められている。
「ホルモン療法については、いくつかの臨床試験が進行中です。抗がん薬を省いてもよい症例もあるかもしれないし、抗がん薬を併用したほうがいい症例もあるかもしれません。いずれにせよ、このタイプには抗がん薬だけの治療は推奨されません。抗がん薬をどう扱うかということが議論となります。ホルモン療法の指標を確立することも課題です」
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