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渡辺亨チームが医療サポートする:再発大腸がん編

取材・文:林義人
発行:2005年12月
更新:2013年6月

  

サポート医師・白尾國昭
サポート医師・白尾國昭
国立がん研究センター
中央病院内科医長

しらお くにあき
1954年生まれ。
1987年日本医科大学大学院卒業後、国立がん研究センター中央病院にて研修。
1988年国立がん研究センター中央病院内科レジデント。
1991年より国立がん研究センター中央病院内科医員。
1997年より現職。専門は消化管がんの化学療法。

術後3年で肺転移。補助療法の抗がん剤治療を受けなかったから?

 吉田恵子さんの経過
2002年
3月1日
K市山田外科病院で、ステージ3の下行結腸がんの切除手術
2005年
3月7日
山田外科病院の検査で肺転移。TS-1を勧められる
3月21日 がん専門病院でセカンドオピニオン
4月 FOLFOX4療法を開始
7月 症状が消え、転移巣消失

3年前にステージ3の下行結腸がんの切除手術を受けた吉田恵子さん(49歳)は、2005年3月、肺転移が見つかった。

医師は「術後補助抗がん剤治療を受けなかったことがよくなかったのではないか」と指摘し、予後の改善のためにTS-1による治療を勧めたが……。

腫瘍マーカーCEAが急上昇

「腫瘍マーカーが前回あたりから急に上昇してきましたね。現在CEA(がん胎児性抗原)は35くらいあります。再発の疑いがありますから、今日はCTもやってみましょう(*1大腸がんと腫瘍マーカー)」

北関東の県庁所在地K市に住む吉田恵子さん(49歳)は、2005年3月7日、K市内の山田外科病院へ検査に訪れると、山田啓二院長からこう告げられた。3年前に大腸がんの手術をし、以後も定期的に血液やCTなどの検査を受けてきたが、毎回ハンで押したように「何ともないですね」と言われている(*2大腸がんの術後の検査)。

「えっ? 前回も何ともないということでしたけど……」

恵子さんは、驚いて山田院長の話を聞き直した。このとき、コンコンとセキが出た。セキは10日くらい前から続いており、恵子さんは「風邪かな?」と思い続けていたのである。身長158センチ、体重48キロの体形も、このところほとんど変化はない。

「前回CEAは20くらいでした。まあ、がんでなくても少々高くなることがあるので、ちょっと様子をみようと思っていたのですが、また数値が上がってしまいましたからね」

恵子さんが山田院長の執刀で手術を受けたのは2002年3月1日のことである。その1カ月前、恵子さんはK市が行っているがん検診で便潜血反応が陽性と指摘され、自宅近くの内科クリニックで大腸内視鏡検査を受けた結果、下行結腸がん非湾曲部にステージ3のがんが見つかった(*3大腸がんの種類・進行度)。そこで、同じ市内の山田外科病院で、切除手術を受けることになったのである。 山田院長は1999年まで、10年以上にわたって市立病院の外科部長を務めており、年間に200例以上の消化器がんの手術をこなし、地元では「手術の名人」と噂されていた人物である。その院長は恵子さんの手術後、「リンパ節転移もなく、がんは取りきりました」と話している。手術の後遺症もほとんどなく、体重も術前とほとんど変わることはなかった。そして、時間が経過するとともに、恵子さんは自分で「もう検査は1年に1回くらいでいいのではないか?」と思っていたのである。

抗がん剤療法を「断った」つもりはない

CT検査が終わったあと、恵子さんは再び山田院長の診察室に招き入れられる。院長は画像を示しながらこう話した。

「両方の肺に大きさ2~4センチの結節が5~6個ずつ見られます。まず間違いなく大腸がんの転移と思われます。もう抗がん剤治療しかありませんね」

恵子さんは驚き、おびえ、動揺した。この日の朝まで、がん再発を告知されることなど想像もしていなかったのである。そのとき、またコンコンとセキが出た。

「おセキが出ますね。おそらく肺転移の症状でしょう」

「でも、先生。3年前にがんは取りきれたというふうにうかがいました。どうして……」

「だから、あのとき私が術後の抗がん剤をお勧めしたでしょう。それなのに吉田さんはお断りになったはずです。大腸のがんはちゃんと取りきれたから、大腸では再発が起こらなかった。ところがすでに目に見えない転移が起こっていたから、今肺にがんが再発しているのかもしれません。抗がん剤を飲んでおけば再発を防げたかもしれないのに。やるべきことをなさらなかったからですよ(*4大腸がんの術後化学療法)」

恵子さんは思い出した。確か手術から3日後くらいのことである。回診で恵子さんの病室を訪れたとき山田院長は、「念のためだから、抗がん剤をやったほうがいいね」と話した。これに対して恵子さんは、「抗がん剤は副作用が怖いそうですね……」と、気が進まないことを伝えたが、別に「断った」つもりはない。そして、抗がん剤の話はいつしかうやむやになってしまった。

「あのときも今日みたいに説明をしてくれれば、治療を受ける気になっていたかもしれないのに」

恵子さんはこう思ったが、あとのまつりである。

「肺の影が転移がんだと確定できたら、すぐに治療を始めましょう。転移したがんはもう手術できませんから、TS-1*5)という飲み薬がいいと思います」

山田院長はこう話した。恵子さんは力なくうなずくばかりだった。

「この際、病院を変わってみたらどうだ」

その日、恵子さんはすっかり落ち込んだ様子で帰宅した。サラリーマンである夫の哲也さんは一足先に帰宅している。普段はあまりものごとにこだわらない明るい性格で、町内会活動などに熱心に取り組んでいる恵子さんの様子がいつもと違っていることに、夫はすぐに気づいた。

「どうした? 病院へ出かけたら疲れたか?」

こう声をかけられて恵子さんは、急に緊張の糸が切れたかのように話し出した。

「あなた、今日がんが再発したって言われたの。肺に転移したみたい」

「えっ、そうなのか。えらいことになったな。また、手術か……」

「それが、転移の数が多くてもう手術できる段階ではないらしいの。抗がん剤しか手がないんだって(*6再発・転移巣に対する治療)。私が3年前に手術を受けたあと、抗がん剤を飲まなかったのが悪かったらしいわ。山田先生がそんなふうに言っていたわ」

恵子さんはまるで子どもが親に訴えるように話す。哲也さんは急に怒り声になった。

「そんなバカな話があるか。俺もあのとき聞いていたけれど、山田先生は『気休めみたいなものですから』と薬のことはあまり詳しく話はしてくれなかったはずだよ。再発を予防する効果がどのくらいあるかというちゃんとした説明もなかったじゃないか。再発したのは薬を飲まなかったせいだ、なんて言えないはずだよ。責任逃れじゃないか」

恵子さんは、夫の言い分を聞いて「確かにそうだ」と思っていた。山田医師から、再発がまるで自分のせいでもあるかのように言われ、「薬を飲めばよかった」と1度は後悔する気にさせられたが、山田医師のほうにもはっきりと説明しなかった責任があるのではないかと思ってしまう。

「どうだ。この際、病院を変わってみたら。これから先、抗がん剤の治療しかないのだったら、何も外科の医者に診てもらわなければならないという必要はないはずだ。俺の高校時代の同級生に内科医がいる。相談してみよう」

哲也さんはこう話したのである。吉田家には、2人の息子がいるが、2人とも独立し東京に住んでいる。27歳の長男は証券会社のサラリーマンで、すでに結婚して家庭を持っている。ITエンジニアの24歳の次男は独身で、仕事が猛烈に忙しいらしい。恵子さんは2人に、「母さんのがんが再発したのよ」と自分で連絡した。


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