がん細胞の遺伝子を調べることでイレッサがよく効く人を選び出す
EGFR遺伝子変異検査で選択する肺がん治療の新時代
会長を 勤める
中川和彦さん
『肺癌診療ガイドライン』では、進行再発非小細胞肺がんの化学療法は、EGFR遺伝子変異検査の結果により、適切な治療法を選択するようになっている。遺伝子検査が日常診療で行われるようになり、肺がんの薬物療法は新しい時代に入った。
時代を切り開いたイレッサの歴史を振り返りながら、この分子標的薬の真の実力をみてみよう。
ガイドラインが勧めるEGFR遺伝子変異検査
日本肺癌学会は2010年10月に『肺癌診療ガイドライン』の改訂版を発表した。そこでは、4期(遠隔転移がある状態)の非小細胞肺がんに対して、新しいエビデンス(科学的根拠)に基づいた標準治療が示されている。
4期の場合、行われる治療は化学療法だが、このガイドラインは、〈EGFR遺伝子変異陽性例の初回治療〉あるいは〈EGFR遺伝子変異陰性例の初回治療〉といった具合に、EGFR遺伝子変異が陽性か陰性かによって、推奨される治療を解説するという構成になっている。
この点について、近畿大学腫瘍内科教授の中川和彦さんは、こう説明してくれた。
「非小細胞肺がんの化学療法を行う場合には、まずEGFR遺伝子変異検査を行いなさい、ということですね。イレッサ(*)に関する新しいエビデンスが出てきたことで、治療を始める前に、EGFR遺伝子変異の有無を、きちんと調べておくことが求められるようになったわけです」
この検査では、がん細胞の遺伝子を調べる。詳しくは後で解説するが、陽性の患者さんには、1次治療でも、従来の標準治療である抗がん剤併用療法より、イレッサのほうが優れていることがわかってきた。そこで、治療開始前にEGFR遺伝子変異検査を行い、陽性なら、1次治療からイレッサを選べるようになったのである。
「治療を始める前に遺伝子の検査を行い、その結果に応じて最も適切な治療薬を選択する。そういう新しい時代が始まったということです」
新しい時代はどのようにして幕を開けたのだろうか。
*イレッサ=一般名ゲフィチニブ
形態を観察することで分類
肺がんにはいくつかのタイプがある。よく知られているのは形態学的分類で、小細胞がん、腺がん、扁平上皮がん、大細胞がんの4種類がある。細胞や組織の形態を観察することで、このように分類された。
ただ、4通りの治療法があるわけではない。小細胞がんはとくに増殖スピードが速く、手術はほとんどできないが化学療法や放射線療法がよく効く。そのため、他の3種類とは異なる治療が行われているが、残りの腺がん、扁平上皮がん、大細胞がんは、形態は異なっていても、治療法は同じだった。
「形態学的には4種類に分類されますが、治療に関しては、小細胞肺がんと非小細胞肺がんの2つに分けます。従来の化学療法では、非小細胞肺がんなら、腺がんでも扁平上皮がんでも、治療内容は同じだったのです」
こうした状況にあった非小細胞肺がんの治療だが、イレッサの開発に伴い、新しい時代が開かれていくことになった。
腺がん、女性、アジア人、非喫煙者
イレッサは肺がん分野における最初の分子標的薬である。どのような働きをするのか、簡単に説明しておこう。
EGFR(上皮成長因子受容体)は、細胞膜を貫通する状態で存在している。細胞の外の受容体に情報伝達物質が結合すると、活性化したEGFRは細胞内に向けて「増殖せよ!」とシグナルを送る。これが核に伝えられ、がん細胞は増殖する。イレッサは細胞内でEGFRに結合。シグナル伝達を抑え込んで、がんの増殖を抑制するのである(図1)。1998年、日本、アメリカ、ヨーロッパで、同時にイレッサの臨床試験が始まった。まず、投与量を決めるための第1相試験が行われた。
「私たちも開発に携わってきましたが、患者さんに投与するようになってから、どうやら効きやすい人がいる、という印象を持っていました。腺がん、女性によく効くという感触がありましたね」
続いて行われた第2相試験で、イレッサは画期的な治療成績を残した。2次、3次治療での使用だったが、奏効率(がんの断面積が半分以下に縮小した人の割合)が20パーセントと高かったのだ。日本人に限ると30パーセントだった。
「現在でも2次治療の標準治療とされているタキソテールの奏効率は7パーセントです。まさに驚異的でした」
こうしてイレッサは、日本では02年に世界で初めて承認された。
「第2相試験で、欧米人より日本人のほうがよく効くということもわかってきました。また、外国からは、喫煙歴のない人に効きやすいという情報も入ってきました」
腺がん、女性、アジア人、喫煙歴のない人──。イレッサがよく効く人には共通する何かがあるに違いない。しかし、それが何であるかは、まだわかっていなかった。
EGFR遺伝子変異の有無で大きな差
EGFR遺伝子変異に着目したのは、アメリカの研究者だった。イレッサがよく効いた患者さんのがん細胞を調べ、EGFRのある決まった部分に遺伝子変異が起きていることを突き止めたのだ。04年のことである。この遺伝子変異があると、EGFRは常にスイッチの入った状態になり、「増殖せよ!」のシグナルを出し続ける。イレッサがよく効くのは、このタイプの肺がんらしいことがわかってきた。
このような状況下で、アジア9カ国での合同第3相試験(IPASS試験)が始まった。
「EGFR遺伝子変異を調べて比較したかったのですが、アジアでは、遺伝子検査を行えない地域が少なくありません。そこで、非喫煙者あるいは軽喫煙者で腺がんの人を対象に、イレッサと標準治療2剤併用化学療法とを比較しました」
この結果は08年に発表され、全体としてはイレッサの優越性が証明された(図2)。だが、最も注目を集めたのは部分解析だった。実は試験参加者の3割ほどからがん組織を集めることができ、EGFR遺伝子変異検査を行ったのだ。そして、EGFR遺伝子変異陽性と陰性に分け、それぞれ解析したのである(図3)。
無増悪生存期間(PFS=増悪までの期間)を比較したところ、EGFR遺伝子変異陽性では、明らかにイレッサのほうが優れているという結果が出た。逆に、陰性の人たちでは、従来の標準療法のほうが上回っていた。
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