固形がんに「劇的に効く薬」が現れた! 新しい肺がん分子標的薬の波紋
がん医療の世界に「奇跡」が起こった
東京大学大学院医学系研究科
ゲノム医学講座特任教授・
自治医科大学教授の
間野博行さん
大阪府立急性期・
総合医療センター内科・
呼吸器内科主任部長の
谷尾吉郎さん
千葉県がんセンター
副センター長の
木村秀樹さん
酸素ボンベを手放せなかった末期の肺がん患者が薬を飲んだだけで1週間で散歩ができるほどに回復した。
まさに現代の「奇跡」といえるような出来事が起こって、世界のがん医療界が沸いている。
「薬でがんが治る時代」が切り開かれようとしている、その熱き最前線をレポートする。
固形がんの治療薬として、最も効く薬が開発された
世界の最新のがん研究の成果が発表される学会として知られるASCO(米国臨床腫瘍学会)。2010年6月の会合に出席した人々は、プレナリー・セッションの内容を聞いて驚いた。
プレナリー・セッションとは、がん治療に関する最も重要なトピックスが発表される場。発表の多くは、すぐにも標準治療になる可能性の高い治療、つまり、治験の最終段階である第3相臨床試験の報告がほとんどだ。ところが今年は、第1段階の試験である第1相臨床試験の発表が行われたのだ。
発表者は韓国ソウルにあるソウル大学付属病院のユン・ジェ・バン教授。内容は、現在世界各国で臨床試験が行われている肺がん治療の新しい分子標的薬、クリゾチニブ(一般名)に関するものだった。EML4-ALKというがん遺伝子をもつ非小細胞肺がんが、ALK阻害剤のクリゾチニブで迅速に、ほぼ完全に消えた症例が紹介され、会場はどよめいた。
反響は大きく、米国では「ニューヨーク・タイムズ」、「ウォールストリート・ジャーナル」、「フォーブズ」など、一般向けの大手新聞・雑誌にも取り上げられている。
「分子標的薬久々のヒットというだけでなく、おそらく今ある固形がん治療薬の中で、最も効く薬の1つであることが明らかになったからだと思います」
と語るのは、東京大学大学院医学系研究科ゲノム医学講座特任教授であり、自治医科大学教授でもある間野博行さんだ。
EML4-ALKというがん遺伝子を発見し、クリゾチニブ臨床試験のきっかけをつくった研究者である。
がんの原因遺伝子を特定し、直接叩くのが最も効果的
間野さんは10年ほど前、自治医科大学ゲノム機能研究部に研究室を開設したとき、「なぜグリベックだけが単剤で夢のように効くのか?」と自問した。
グリベック(一般名イマチニブ)とは、慢性骨髄性白血病に対する分子標的薬。飲み薬を毎日飲むだけでがん細胞の増殖を強力に抑え、骨髄移植など激烈な治療でしか完治が望めなかった慢性骨髄性白血病の治療を根底から変えたとされる。
導き出した答えは、「がんの原因遺伝子を特定し、直接叩く薬だから」。では、なぜがんの原因遺伝子を直接叩く薬はほかにつくられないのか?
「原因遺伝子を患者さんのがん検体から直接効率よく選び出す技術がないからだ」
間野さんは考えた。
そこでまず、原因遺伝子を効率よく選び出すためのcDNA発現ライブラリーと呼ばれるスクリーニング技術を3年かけて確立し、がんの中でも、最も死亡数の多い肺がんを対象に選んで原因遺伝子の探索に取りくんだのだ。すると、何と2例目で、EML4-ALK遺伝子を発見する。06年のことだ。とっさに「これは間違いだ」と思った。
簡単すぎたからではない。胃がん、大腸がんなどの固形がんの遺伝子では絶対に起きないといわれていた、染色体転座が起きていたからだ。
固形がんで劇的に効く新たな薬剤の可能性も
ELM4-ALKとは、骨格のタンパク質をつくるELM4という遺伝子とALKという酵素の遺伝子の染色体が、ちぎれてひっくり返り、逆向きにくっついて生まれたがん遺伝子。こうした染色体の動きを転座というが、このような融合遺伝子ができると、細胞の増殖をつかさどる酵素(チロキンシナーゼ)が活性化し、がん細胞をどんどんつくりだしてしまう。
もともと血液内科医だった間野さんは、ALK酵素についてはよく知っていた。ALKは20年ほど前に発見され、NPMタンパクと転座を起こし、悪性リンパ腫を引き起こすことが知られていた。しかし、当時から今日にいたるまでずっと、
「白血病やリンパ腫など血液のがんでは、染色体の転座ががん化の鍵を握っている。しかし、胃がん、大腸がんなどの固形がんでは、染色体転座による遺伝子の変異は起こらない」
といわれていた。グリベックも血液がんの薬であり、染色体転座によって活性化する酵素の働きを阻害する。だから、ALKが固形がんで転座を起こし、がん遺伝子になっているとは信じられなかったのだ。しかし、「間違いないとわかったとき、この発見の臨床的な意義に圧倒されました。固形がんで染色体転座が起き、がんの原因になっている事実が確かめられた。これは大変なことです。固形がんにおいて驚異的に効く第2のグリベックが創られる可能性が高まったのですから」
若者に多く強力な横綱級がんだが、薬でがんが消えた人も
では、ASCOで発表されたクリゾチニブの第1相臨床試験の結果とは、具体的にどのようなものだったのだろう。
試験の対象となったのは82例で、平均年齢は51歳(25~78歳)。全員がEML4-ALKの遺伝子をもつ非小細胞肺がんで、96パーセントが、非小細胞肺がんの中でも腺がんというタイプのがんだった。
このEML4-ALKの遺伝子をもつ非小細胞肺がんは、非小細胞肺がん全体の5パーセント程度。「若年、非喫煙者、腺がん」が多く、ほとんどの患者さんが2つ以上の化学療法の治療歴をもつ。
少し補足しておくと、「EML4-ALKはイレッサ(一般名ゲフィチニブ)やタルセバ(一般名エルロチニブ)が有効な変異EGFR(*)が存在しない肺がんに多く、50歳以下ではおそらく3割以上」(間野さん)がこのタイプのがんで、現在有効な分子標的薬がなく、抗がん剤も効きにくい。増殖の勢いが強く、多発しやすくて進行も早い、極めて凶悪ながんだ。
間野さんはEML4-ALKの性質を説明するとき、「横綱級」という言葉を使う。
「色々な遺伝子変異が積み重なって発症するタイプは、いわば大関級、前頭級の『がん遺伝子』の積み重ねで生じます。これらは積み重なっていくのに時間がかかるため、若い人にはまず発症しないがんです。でも、横綱級のがん遺伝子はそれだけでがんを誘導するから、勢いが強く、あっというまに進行してしまう。逆にいえば、その遺伝子変異に確実に効く薬があれば、あっというまにがんは消える。グリベックやクリゾチニブ(=ALK阻害剤)が劇的に効くのも、そうした仕組みだと推察しています」(間野さん)
*EGFR=上皮成長因子受容体