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メスを入れない究極の治療、甲状腺がんの非手術経過観察療法
「怖くないがん」の代表格。手術で取らなくても命にかかわりはない!

監修:杉谷巌 癌研有明病院頭頸科医長
取材・文:松沢 実
(2004年1月)

杉谷巌さん
手術に強い癌研究会付属病院の中で、手術をしない治療を打ち出した、頭頸科医長の杉谷巌さん

「がんは、手術で取らなければ命にかかわる」というが、実はそうではない。甲状腺がんの大部分は、命にかかわらないがんの代表格だ。

手術だけでなく、放射線も、抗がん剤も一切行わず、定期的に経過を観察するだけ。

それで本当に安全なのか?なぜそんなことが可能なのか。「究極的に身体に負担のない治療法」を紹介しよう。

がんがあっても手術をしない?

写真:癌研病院頭頸科チームによる外科手術の様子
癌研病院頭頸科チームによる外科手術の様子

発見したらただちに手術という、従来のがん治療のイメージを大きく覆す治療法が、いま大きな注目を集めている。甲状腺がんの非手術経過観察療法だ。これは、文字通り、がんが見つかっても手術をせず、ただ経過観察を続けるだけ。つまり、何の治療もしないという方法だ。甲状腺がんの中でも、人間ドックや定期検診の際、超音波検査等で偶然発見されることの多い無症状の甲状腺微小乳頭がんが、その対象となる。

「これまで甲状腺微小乳頭がんは、見つかると手術で切除してきましたが、実はがんで死ぬことはほとんどありません。長期にわたる経過観察によって、腫瘍の増大やがんの浸潤、転移が生じたときに限り手術で切除すれば、それまでと変わらない生活を送ることができるのです」

と癌研究会付属病院頭頸科医師の杉谷巌さんは指摘する。

[甲状腺の構造]
図:甲状腺の構造

患者にとって治療は、生存率、生存期間等の治療成績が同じなら、できるだけ身体に負担の少ないのがよい。まして経過を観察するだけという非手術経過観察療法は、治療に伴う障害や副作用が生じようがないから、究極の患者にやさしい医療といえる。

甲状腺は首の前方の真ん中、気管の表面に付着する内分泌腺だ。チョウチョが羽を広げたような形をしており、新陳代謝の調節などを行う甲状腺ホルモンを分泌する。

甲状腺がんは、乳頭がん、濾胞がん、髄様がん、未分化がん、悪性リンパ腫の5種類に大きく分けられ、日本人の甲状腺がんの大半、9割近くが乳頭がんである。乳頭がんの中で腫瘍の大きさが1センチ以下のものはとくに微小乳頭がんと呼ばれる。非手術経過観察療法の対象となるのはこの微小乳頭がんのうち、がんの浸潤による声のかすれやリンパ節転移、血行性転移等の症状が認められない無症候性のものだ。

内分泌腺=血液などの体循環の中に、ホルモンなどの物質を分泌する器官

症状のない乳頭がんによる死亡者はいなかった

症状のない微小乳頭がんが経過観察するだけでよいのは、次のような明白なデータが得られているからだ。

「一つは癌研病院でかつて微小乳頭がんを切除した178人の患者さんのうち、症状のなかった148人の中には乳頭がんで死亡した患者さんが1人もいなかったからです」

もう一つは甲状腺がん以外のいろいろな原因で亡くなった人を解剖して調べてみると、10人に1~3人(9~28パーセント)が甲状腺微小乳頭がんになっている。ところが、甲状腺がんで死亡する患者は1年間に1000人ほどでしかない。つまり、ほとんどの微小乳頭がんは小さなままで、生涯を終えているというわけだ。

癌研病院では、1995年から腫瘍の大きさが1センチ以下の甲状腺微小乳頭がんの患者には非手術経過観察療法を勧めている。ただし、(1)血流に乗って遠くの臓器へ転移していたり、(2)直径1センチ以上のリンパ節転移があったり、(3)反回神経への浸潤により声がかする等の症状が現れているものは除く。

「これまで90人の甲状腺微小乳頭がんの患者について1~11年にわたって経過を観察していますが、腫瘍が少し大きくなったのは9人(10パーセント)だけでした。71人はほとんど変化がなく、残りの10人は腫瘍が縮小さえしたのです。しかも、経過観察中に遠隔転移や甲状腺周辺へのがんの浸潤が認められた患者は1人もいませんでした」

手術を受けたのは、腫瘍が少し大きくなった2人の患者と頸部リンパ節への転移が見つかった1人の患者の計3人だけだった。もちろん、手術を受けた患者の中で亡くなった人はいない。手術のために声がれなどの障害が生じた人もいなかった。

早期発見・早期治療はがん治療の原則といわれるが、甲状腺微小乳頭がんの場合、それは当てはまらない。微小乳頭がんを早期に見つけては、それを片っ端から手術することは病人を治しているというより、むしろ病人をつくり出すことになっていると考えられる。

反回神経=鎖骨のあたりから食道・気道へと伸びる神経で、声帯をつかさどる神経

経過観察12年、がんは縮小、不安も消えた

[甲状腺がんの診断手順]
図:甲状腺がんの診断手順造

鈴木智恵さん(仮名)が微小乳頭がんと診断されたのは1991年、57歳のときだった。癌研病院で首の超音波検査を受けたところ、甲状腺の左葉に8ミリの大きさの腫瘍が発見されたのがきっかけだ。

何の症状もないのに、検査(穿刺吸引細胞診)では紛れもなく甲状腺がんと診断されるクラスVという結果が出た。

病院では手術の必要がなく、経過観察だけでよいと言われたが、当初は不安を隠せなかった。手術は避けたいという思いがある一方、がんが発見されたのは事実だからこれで万一のことがあるかもしれないという不安も抱いた。

しかし、経過観察を受けるたびに腫瘍の大きさに変化がないことから次第に落ち着き、心配しなくなっていった。微小乳頭がんが発見されてから今年で12年目になるが、いまはもうまったく不安を覚えることはない。ごく最近の検査では、腫瘍の大きさが7ミリ、ほとんど変化がないことが確認されている。

現在日本では、甲状腺微小乳頭がんは手術をせず経過観察だけするのと、手術による切除をする二つの治療法が行われている。前者を採る医師や病院は約4割で、後者は約6割。微小乳頭がんの特性を知らない医師や病院にかかると、がんが見つかっただけでたちまち手術ということになりかねない。その結果、首に違和感を覚えるといった障害を招くことになる。腫瘍の大きさが1センチ以下の無症候性の微小乳頭がんの場合、医師とよく話し合い、十分に納得できる対処法を選ぶことが不可欠だ。

穿刺吸引細胞診=甲状腺がんに針を刺し、吸引して細胞を調べる検査
クラスV=がん細胞かどうかを見分ける細胞診では、クラスI~Vの5段階で評価し、クラスIが正常、Vはがん細胞