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渡辺亨チームが医療サポートする:子宮体がん編

取材・文:林義人
発行:2007年8月
更新:2013年6月

  

サポート医師・杉山徹
サポート医師・杉山徹
岩手医科大学病院
産婦人科主任教授

すぎやま とおる
78年久留米大学医学部卒業、同大学病院研修医、国立小倉病院勤務。
80年国立久留米病院勤務。以後、久留米大学病院、唐津赤十字病院、聖マリア病院など勤務。
85年久留米大学医学部助手。
90年久留米大学医学部講師。
98年久留米大学医学部助教授。
2002年から現職

おりものに不安を抱いたのが的中。専門病院で「子宮体がん」と

 下村聡子さんの経過
2004年
12月14日
おりものに異常
15日 産婦人科クリニックで細胞診検査
22日 異型増殖細胞が見られ、子宮体がんの疑い
2005年
1月11日
E病院を受診
1月18日 子宮体がんの診断

赤ちゃんを産むことを楽しみにしていた下村聡子さん(31)は、生理が終わったばかりなのに不審なおりものに気づく。

肥満体質の聡子さんは、不安を覚えて近所の婦人科クリニックで検査を受けた。

その結果、子宮体がんの疑い。

聡子さんは念願の赤ちゃんをあきらめなければならないのだろうか。

(ここに登場する人物は、実在ではなく仮想の人物です)

がん体質でがんが心配

2004年6月、東北地方の県庁所在地に住む31歳のOL、森田聡子さんは、2歳年上で高校のブラスバンド部の先輩であった下村裕也さんと結婚した。聡子さんは、小さい頃から太めで、また小中学校を通じてクラスでいちばん背が高かった。初潮は小学5年生のときで、これもクラスでいちばん早かった。結婚したときは、身長164センチ、体重68キロ。裕也さんも長身で、周囲は「早く元気な赤ちゃんを産んでほしい」と期待を膨らませていた。

聡子さんが小学6年生のとき、40歳だった母・美沙さんが乳がんになった。ステージ2と診断され全摘手術を受けたが、その後再発しホルモン剤治療を受けている。こうしたこともあって、聡子さんも「がん体質かしら」と気にしていた。そのため、健康には十分気をつけていたつもりだった。

ところが、結婚から半年を過ぎたころ、生理が1週前に終わったばかりの聡子さんは、血液の混じったおりもの*1)に気づいた。それまで生理中以外の不正出血の経験がなかったので、すぐに「がんではないか?」という思いが頭を巡った。前年、市が行っている子宮がん検診*2)は受けたが、そのとき保健師から、「あくまでも子宮頸がん検診ですから、子宮体がんにも気をつけてくださいね」と聞いていたことを思い出す。翌日、近所の内川産婦人科クリニックへ駆け込んだ。

初めて会う内川良雄院長は、50歳過ぎくらいのほっそりした体つきの医師。聡子さんがおりものに血液が混じっていたと訴えると、院長は、「内診が必要ですが、よろしいですか?」と聞く。聡子さんはうなずいた。

「内診ではとくに目立った腫瘍らしきものはないようですね。子宮の中を観察しましょう」」

腟鏡が挿入された。続いて超音波検査が行われる(*3内診と経腟超音波検査)。

「子宮内膜に分泌物が貯留しているようです。細胞を調べます」

内川院長の声がする。聡子さんは小さな声で「はい」と答えた。

その後、「子宮体部の細胞を採取しますからね」と言われ、また何か器具が挿入されたような痛みが伝わってきた(*4子宮細胞診)。

「では、1週間後に検査結果をお知らせします」

内川院長の穏やかな表情を見て、聡子さんは「何でもなかったんだわ」と思い込んだ。

赤ちゃんを産みたいという希望

12月22日、前週の検査の結果を聞くために聡子さんは内川産婦人科クリニックを訪れた。聡子さんは結婚以来、1日も早く子どもがほしいと願っていたし、夫の裕也さんもそれを希望していた。だから、前の週に検査が終わったあと、内川院長があまり深刻そうな様子を見せていなかったことに、期待する気持ちがあった。夫には、おりものが気になってクリニックで検査を受けたこともまだ話していない。聡子さんは待合室で、「きっとシロよ」と、自分に都合よく考えていた。

「下村さん、中へどうぞ」

スピーカーで呼び出され、診察室に入る。内川院長は前の週と同じように穏やかな表情で迎え入れてくれたので、聡子さんは、「ああ、やっぱりなんともなかったのだ」と思ったが、内川院長が口を開くと、様子が違っていた。

「じつは子宮体がん*5)の疑いがでてきました。細胞診で異型増殖細胞*6)というものが見つかったのです」

「えーっ。そうなんですか?」

予想が裏切られ、聡子さんは頭からすっと血が引いていくような気持ちになる。そして、急に取り乱して、悲壮な声をあげた。

「やっぱり肥満が良くなかったのでしょうか? やだ。どうしようかしら?」

内川院長はちょっとあわてたようにフォローする。

「肥満の方のほうが確かに子宮体がんになりやすいことがわかっていますが、そうかといって肥満ならがんになるというわけではありません(*7子宮体がんの危険因子)。今はそんなことで悩むより、確実に治すことを考えるほうが大切でしょう。かりにがんだとしても、まだかなり早期で、十分治るでしょう」

すると、聡子さんは内川院長を問い詰めるような話し方になる。

「早期なら、赤ちゃんは産めますよね。子宮をなくしたりすることにはなりませんよね?」

内川院長は、また言葉に詰まったようだ。

「うーん。そこまではまだはっきり言えません。まずがん専門病院でくわしい検査を受けてください。標準的には子宮体がんは子宮全摘ということになっていますが、場合によっては子宮を残すことができるかもしれません。そのこともがん専門病院で相談なさってください。私の大学の同級生が、E病院の婦人科にいますので、ご紹介しましょう」

病理検査のために組織採取

2005年1月11日の火曜日、聡子さんは内川医師の紹介状を携えて、E病院の婦人科を訪れた。初診受け付けで問診票の記入などの手続きを済ませ、待合室で30分ほど待つと聡子さんが診察室に呼ばれる。内川医師が連絡をとっておいてくれた金子医師は、内川医師とは対照的にがっしりした体つきの医師だが、物腰は柔らかい。

「子宮体がんの可能性があると言われたそうですね。おりもの以外に何かお気づきになった症状はありますか?(*8子宮体がんの症状)」

「いえ。ですから、検査したらがんでないことがわかるのではないかと、今でも思っているんです」

「本当に、そうならいいですけどねえ。そのためにはまず組織を採る検査をさせていただきます」

そういって、金子医師は傍らの看護師に、「超音波と組織診*9)」と準備を指示した。そして、聡子さんに内診台に乗るよう促し、まず超音波検査をした。ついで病理検査のために組織の採取を行った。ひと通りの検査を終えるのに、1時間ほどかかった。

「では、来週の今日、検査の結果と治療方針についてお話しますから」

翌週の1月18日、聡子さんは夫・裕也さんと一緒にE病院の婦人科を訪れた。裕也さんは、暮れに聡子さんががんの疑いがあることを聞いて以来、とても心配してくれて「ぜひお医者さんの話を聞きたいから」と言ってくれたのだ。診察室に呼ばれたときも、裕也さんは聡子さんと一緒に入っていった。

しかし、金子医師から告げられた言葉は、2人にとってショッキングなものだった。

「子宮体がんに間違いありませんでした。手術が必要です」


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