妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第12回

編集●「がんサポート」編集部
(2020年12月)

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

 

 

 

 

第五章 再発・皮膚転移―2次化学療法

11.再発・皮膚転移

「乳首のできもの、なかなか小さくならず……。がんかもと覚悟する」(恭子の闘病記録)

そんな覚悟がそんなにやすやすとできるものだろうか? 恭子の肝の据わった人間の大きさだ! いや! 恭子はただの人間ではないのかも知れない? 人間を越えた存在なのかも知れない?

2015年10月5日。谷本先生のところで脳転移に対する2回目の放射線治療後、1カ月の経過を造影MRIでチェック。私も説明を聞く。

「あまり小さくなっていないが大きくもなっていないことと、他に新しい転移が見つからなかったので、良しとしていいのではないでしょうか」と言われる。

恭子は、「以前治療した脳内に浮腫が出ている」と言われたことのほうがちょっとショックだったと言っている。「浮腫」という言葉に捉われているような気もする。

夜、左足がジンジンして、膝が曲がりにくいという。

「膝がすごく痛い。曲げるのもつらい。立ったり座ったりに苦労する。波がある、歩くのもふらふら。夕方、さっちゃんに少し愚痴る。乳首のブツ3×8mm」
「スーパーに行って階段の降りがつらい。筋肉痛で、膝の関節ではないと気づく→ストレッチすると調子よくなる。動かさないのが一番悪い。1.ストレッチ。2.筋力つける。3.散歩」(恭子の闘病記録)

恭子はからだの不調に苦しんで、いろいろと考えを巡らせている。ああでもない、こうでもないと、前向きに自分で解決策を模索している。私も考えられる限りの励ましはするのだが……。悲観するようなことは私にも多くは語らない。

患者の不安を煽るインターネット情報

10月9日。9月29日に山崎先生の病院で行った造影CTと骨シンチの結果を聞きに行く恭子に同伴する。左乳首皮膚にニキビのようなのが頭を出しているのが気になったからだ。

「骨転移はないが、左胸に8~9mmのもやっとしたがんの再発がある。6月の検査でも3mmくらいのがあった」と山崎先生に言われる。

「このくらいが出てくるのは想定内。ああ、出てきたか、よしよし、でいいんだよ。少ししか大きくなっていないから、フェマーラ継続でいいと思う。急に大きくなってきたり、他の転移が見つかれば、ホルモン薬を変えてみる」と事もなげに言われた。

「それよりも」と真顔になって、「乳房の赤いニキビみたいなのは皮膚転移だね。大きくなるか気をつけて見ておいてね。乳首のは、あまり心配ないんじゃないかなあ?」と。

半年に及ぶ苦しい1次抗がん薬治療で治癒が得られても、再発まで僅か3、4カ月とは……。私も呆然とする。それに加えて皮膚転移という響きが悪い。恭子にとっては、どうでもいいことだろう。先生が皮膚転移と言われるのだから、皮膚転移をネットで検索するんだろうな、とそのほうが心配になる。

「小さな蕁麻疹(じんましん)みたいな赤い小さな点の数は確かに増えている」と心配そうに恭子がいう。それでも私は絶望的にはならなかった。なんとかなるという漫然とした確信があった。「要チェック!」と、恭子が冷静そうに気丈に振る舞ってくれているのも有難い。

「かなりの落ち込み‼ 午後、パパとウィッグのお店に行って、同じ型で髪の長めのものを作ってもらう。ありがとう、パパ。ため息ばかりが出る。首にも発疹? 不安。ネットで皮膚転移を見るともっと不安!」(恭子の闘病記録)

やはりか、と思う。皮膚が大きな潰瘍になって乳房の形が崩れたり、出血したり、強烈な臭がしたりという極端なものをネットで見て、心配しているのだ。味噌も糞もいっしょくたになってしまうインターネットはよくない。患者の心配を煽(あお)るばかりだ。

森へドライブに行って、ランチを食べる。自然の中にいるとちっぽけな人間が見える。風や光を見ていると、人間の悩みがどうでもいいようなことに思えてくる一瞬がある。

恭子は町内会費を集めに回る。日常は進行している。

「小さな発疹が胸いっぱいにあって心配でたまらないから、来週、また山崎先生に診察してもらうようにお願いしてみる」と恭子がいう。

女性にとっては、あるいは、がん患者にとっては、再発したとか、脳転移がある、皮膚転移があるといった概念的なことよりも、乳房がグジャグジャになって出血して、強い臭がしたらどうしようという整容的なことのほうが大問題なのだ。それが、本当にがんである者が生きるということなのだろう。「パパはがんじゃないからわからないよ」と寂しそうに恭子がいうことがある。

私たちにとって歌うことが生きがい

プランターで育てた里芋の収穫

10月12日。合唱団の練習に参加する。こんなときだからこそ、なおさら練習に出ないと。高嶋先生にはメールですべてお伝えしてある。楽しかったけど、なんとなく元気出ないと恭子。当たり前だろう。オペは本当に有効だろうか?

「木曜の朝一番の時間で山崎先生に診てもらうことになる。ちょっと安心。何気ないひと言で眠れない。今までの人生、いろいろたくさん苦労してきたのに、最後にがんになって、それで全て流されてしまった感じ。むなしい。今までのつらい日々はどうなったのか? やり場がない。広い心をもてない」(恭子の闘病記録)

この期に及んで、まだ、広い心をもたなくてはいけないと、恭子は思っているのだ。強くて正しい人だ。

花期の長かったムクゲ(木槿)も、今日で食卓に活けられるのは終わる。

家からほど近い高速道路のサービスエリアに広い緑地帯があって、瀬戸の島々が一望できる。店の前の木製のデッキにもテーブルがあり、お茶のできる小さなコーヒー店まである。恭子と散歩に出かける。

「サービスエリアにさんぽ。秋晴れ。発疹6mm。首の発疹はなくなったようでホッとする。憂鬱な1日」(恭子の闘病記録)

10月15日、木曜。山崎先生の診察と皮膚科に紹介されて生検を受ける。

山崎先生は、「あやしいところを皮膚科で採ってもらって、病理検査に出して性質を調べてから薬の治療になる。今、オペをしても取り切れないから適切ではない。むしろ皮膚が治って落ち着いてから取ったほうがよい」と説明してもらったらしい。

「放って置いても、乳房の皮膚が潰瘍なんかでただれてくるのは1~2年先だから焦らなくて大丈夫と、先生が何度も言ってくださって嬉しかった。相談に行ってよかった」と恭子。

思わず「先生、助けてください!」とすがったらしい。

それにしても、殺人的なスケジュールをこなす山崎先生には自らバイオプシー(生検)する時間的な余裕すらないのだろう。誰に採ってもらっても結構なことではあるが。

「皮膚科の山本先生は女医さんだったからよかった。大きいところ、そこから遠くにあるところ、発疹はないが、手で触るとブツがあるところの3カ所から採取、検査に出す。一針ずつ縫う。来週抜糸。今日はこのままにしてお風呂はダメ。明日からシャワーOK。カットバン貼り換え! 帰りに本山さんちでアンサンブルの練習(に参加)。30分遅れで合流。気分転換になってよかった」(恭子の闘病記録)

これぞ、恭子の本領発揮。誰が再発したがんの検査の直後、知人の家によって歌ったりするだろう。3人のアンサンブルだからという責任感と、やはり私たちにとっては歌うことが生きることなのだ。

翌日の朝方、トイレに行こうとした恭子は、ふらついて壁を探ろうと左手を伸ばし、そのまま頭から壁にぶつかりたんこぶをつくる。左腕もずるりと剥けてしまい、夜になって肩やらあちこちが痛いと訴える。

「ついてない。全く! 胸の傷と両方でへこんで、だらだら。小脳転移のせいかな? ちょっと不安になる。夜、シャワーをする。胸の傷はきれい。こわいけど!」(恭子の闘病記録)

長めの髪のウィッグが出来てきて、「うまく移行したい」と恭子。「寒くなってきたら、長めの髪のほうが自然でいいよ。ウィッグをどんどん替えてお洒落しないと」と私。

この街の私たちが大学生の頃からある天ぷら屋。入りたいけど、高そうで入れなかったその店に夕食に行く。長い間の念願が叶う。

目の前で揚げたての天ぷらをいただくのはさすがに美味しい。美味しさにも、値段にもびっくりした恭子は、店の人に「天ぷらが、こんなに美味しいとは知りませんでした」と言っている。店の人は、今さらといった感じで反応に困っている。

「おいしいものを食べて元気が出てきた。おかしい? おなかがいっぱいになるというのは、いいものだ。がんばろう! と思う」(恭子の闘病記録)

公園の掃除当番。私たちは班長だから公園のトイレ掃除をする。「パパが一緒でよかった」と。午後、恭子が若いころ股関節の手術をしてもらった岩城先生の講演会を聴きに行く。帰りがけに、講演を終えて舞台裏の戸外で煙草を吸われている先生と偶然お会いできた。「少しだけれど、お会いできてうれしかったし、外に出ると元気になる」と恭子。

庭の大きなプランターで春から育ててきた里芋の一部を収穫する。「里芋がとてもおいしい。うれしい」と恭子が言ってくれる。