妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第25回

編集●「がんサポート」編集部
(2022年1月)

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

昏睡などに陥っていない!

ある日の朝焼け

看護師さんたちは昼夜を問わず体位変換、痰の吸引、褥瘡(じょくそう)のチェックなどを明るく恭子に話しかけながらしてくれる。定時の体温、血圧、血中酸素飽和度などバイタルサインのチェックは当然のこと。ベッドのシーツの皴1つ、足の組み方1つも細かくみてくれる。褥瘡を警戒してもらっているのだ。

私も尿量を少しでも多くしたくて、膀胱を軽く圧迫して、ハルンバックに繋がるチューブ内のおしっこをバックのほうに流し込む動作をしきりに繰り返す。膀胱からチューブにチョロチョロと尿が続けて流れ出てくれると、ああ腎臓は元気だとホッとする。何より、チューブの内側を流れる恭子のおしっこが手に暖かいのが嬉しい。

2日の夕刻恭子の意識が少し戻る。 恭子はまだ昏睡になど陥っていない!

義理の妹が夕飯にいろいろな店のお弁当を届けてくれるようになる。母は夕飯の心配をしなくていいだけでどれほど救われることか! ありがとう。

8月4日。母の弟と妹、恭子の叔父と叔母が遠いところお見舞いに駆けつけてくれる。2人の感想はやはり、「いったいどこが悪いの? 顔色も良さそうだし、痩せ細ってもいない、すやすやと眠っているだけに見える」というものだった。危篤を宣告された者には見えないというのだ。2人には不要な切迫感をもたずに見舞いをしてもらえたと有難く思っている。

恭子は予定通り風呂にだって入れてもらう。危篤状態とても日常の生活を続けるということがこの病棟では当たり前のことなのだ。

もう1つの恭子にとっての大切な日常。さっちゃんが遊びに来てくれた夕刻には、恭子はさっちゃんの呼びかけに応じて右手を持ち上げ、さっちゃんがさっと手を握ってくれる。日中昏々と眠り続け、未明には死前喘鳴(しぜんぜんめい)で私を寝かせてくれない恭子にとって、夕刻はさっちゃんとの交歓のために意識を取り戻す奇跡の時間帯なのかも知れない。微かに残った恭子の魂が目覚める時間なのではなかろうか?

絶唱の群青を涙で聴く

ムクゲの蕾

夜勤帯に入って、ちょうど私がとくに頼みに感じている看護師さんが担当の夜のこと。その方に恭子の絶唱をCDで聴いてもらう。2人一組で私たちの部屋を訪れ、尿量、酸素飽和度のチェックや体位変換をして、ベッドのシーツの整理をしている途中で、「家内の絶唱を聴いてもらえますか?」と切り出すと、快く承諾していただいた。「是非、聴きたいです」と。4月24日の私たちの合唱団のおさらい会を録音したCDの最後、恭子がメンバーにほだされ舞台に上がり、椅子に腰かけて歌ったあの「群青」である。

楽曲が始まると2人の看護師さんは凍りついたようにベッドメーキングの手を止めて中腰のまま聴き入ってくれる。私は、その様子を見ながら涙が止まらず、部屋の奥のほうに顔を向けて、声を殺しながらむせび泣いた。曲が終わると、看護師さんも涙をぬぐいながら、「涙腺にきちゃいました」と。患者さんの死には慣れっこになっているだろうに、有難かった。

8月5日、金曜日。午前8時ころ、恭子は痰が多く酸素飽和度が89%に低下する。相当に低い値だ。肺でのガス交換が上手くいっていない。大急ぎで看護師さんを呼んで痰の吸引を繰り返してもらう。ごろごろという痰の残存を示す荒い呼吸音が改善せず、なかなか酸素飽和度の値も上がってこない。暫く悪戦苦闘していた看護師さんが「入った!」と叫ぶ。吸引カニューレの先端が気管内に入ったということだ。施設によれば、また、患者の意識レベルによれば、気管内吸引は患者の苦痛を伴うから禁じ手とされる場合もあるだろう。恭子も苦しそうにいやいやと首を左右に振る。しかし、大量の痰が引けて、呼吸音が落ち着き、マスクによる酸素投与下ではあるが、酸素飽和度が98%に改善。ホッとする。

午前の中谷先生の回診のときも、婦長が覗いてくれたときも、呼吸は落ち着いていて、婦長が「静かですね」と言いながら痰を吸引してくれたそうだ。

私が、昼休憩の際に戻ったとき、12時半ころ、呼吸も荒く、収縮期血圧の低下が認められた。普段は130から140台はあるのが、119、103、109と測り直してもやや低下傾向を示す。脈拍は安定していたが。念のために歯科の午後の診療を休診として様子をみることにする。子どもたちにも週末の帰省を促す。だが、13時半ころ、自力で咳をして痰を出してから、120台後半に血圧が回復し、午後7時前には130台後半で安定する。子どもたちにいうタイミングが早すぎたかも、とラインで知らせる。

8月6日は打って変わってほとんど痰が出ない。昨日とは全然違う。土曜というのに午前11時ころに回診してくれた中谷先生も、「いいですね!」と肯(うなず)かれる。

恭子は、うっすらと目も開けて問い掛けに頷いてくれる。「お口をあけて」というとアーンと口を開けてくれる。昏睡状態ではない!

8月7日。24時間尿量は930㏄で血圧もときに低い値を示すことがあっても測り直せばほぼ安定していて申し分ない。恭子が薄目を開けたとき、「パパからのプレゼントだよ」といって花束を見せると、小さく頷いてくれる。マッサージをしてくれていた理学療法士も驚いて「肯かれましたね」と嬉しそうに声をあげる。

それが奇跡に見える

夕刻、さっちゃんが遊びに来てくれたときには、勿論、意識が戻る。

「おかしいね、クーちゃん。何にもお化粧とかしていないのに、どんどんお顔の肌がつやつやしてきて、赤ちゃんのお肌みたいよ。綺麗な肌してるよね」と、さっちゃんが恭子にとも、私たちにとも、独り言にともとれるように話している。恭子は何も答えない。けれど、言われていることはわかっているのだと思う。答えが難しくてことばにはならないのかも。

恭子の魂は点灯したり、消えかかったりを繰り返している。それは、昏睡とはいえない。

子どもたちも相次いで病院に駆けつけてくれた。長男はお盆休みにかけて「母親の傍にいてあげなさい」と、社長から声を掛けてもらったようだ。

8日のバイタルサインは安定しきっていた。24時間尿量1,000㏄、体温37.5℃、最高血圧142、最低血圧78、脈拍67、血中酸素飽和度100%。家族のことばにはほとんど反応しないのに、さっちゃんの呼び掛けにほだされるように手を振ったり、ふなっしーを抱きしめたりする。そのときには、勿論「パパ」もわかる! 私どもにはそれが奇跡に見える。さっちゃんの来る時間帯、声のトーン、諦めない呼び掛けが恭子の魂を呼び戻し、さっちゃんが遊びにきてくれたことへの喜びと感謝を顕わしたいのだろう。

8月9日も同様に恭子は落ち着き払っている。以前、賑やかに長時間恭子のお見舞いをしてくれ両親をちょっと驚かせた友だちが、また見舞ってくださった。今回は、3人は恭子の前でおいおいと涙を流して泣きながら見舞いしてもらったようだ。安定はしていても、誰の目にも恭子が弱ってきていることが明々白々なのだ。

子どもたちは少し時間を持て余しているようだ。

8月11日、未明に恭子は38.1℃の発熱があり、顔面が紅潮し、呼吸が弱々しい。看護師さんに伝えて解熱剤を静注してもらい、ほどなく体温が下がる。