進行性食道がん ステージⅢ(III)と告知されて そして……

「イナンナの冥界下り」 第8回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2017年3月
更新:2020年2月

  

遠山美和子さん(主夫手伝い)

とおやま みなこ 1952年7月東京都生まれ。短大卒業後、出版社勤務を経て紳士服メーカー(株)ヴァンヂャケットに入社。約20年勤務の後、2011年8月病気休職期間満了で退職

<病歴> 2010年10月国立がん研究センター中央病院で食道がんステージⅢ(III)を告知される。2010年10月より術前化学放射線療法を受けた後、2011年1月食道切除手術を受ける。2015年9月乳がんと診断され11月に手術、ステージⅠ(I)で転移なし。2016年8月卵管がんの疑い。9月開腹手術。卵管がんと確定し、子宮・卵巣・卵管と盲腸の一部を摘出。9月手術結果を受け卵管がんステージⅢ(III)Cと診断。10月17日よりドース・デンスTC療法を開始


病棟では術後の患者さん向けにオリエンテーションがある。日常生活の過ごし方、セルフリンパマッサージについてとリンパ浮腫の知識。そして毎日廊下に並んで看護師さんの指導の下、腕を上げたり、廻したりのリハビリ体操を行う。

私はリンパ節郭清をしていないので、ストレッチ感覚でできたが、かなりの激痛「痛ててててっ」の声も聞こえ、とてもつらそうな方も多かった、でも先のことを考えると痛くても最初に頑張ったほうが楽だと思う。

退院後の下着の心配もある。ナースステーションに医療用ブラジャーやパットの見本が備えてあって、試着ができる。術後に放射線治療のある方は治療に適したものが必要だ。がん病棟にしては明るすぎる3号室は、

「Sサイズも持ってきましょうか?」

「ホック留めてくれる」

「このパット重い、肩凝るね」

フィッティングルーム状態で、1人では気後れするようなことも束になってかかれば笑いながらのことになった。再建手術をしたTさんには胸も触らせていただき、気さくな皆さんと同室で入院御礼、手術が決まった時の半ベソはどこ行った。

初日に栄養士さんと相談した食事は結局普通食を自分で加減して食べて、あとは間食で補うことに落ち着いた。食道事情は看護師さんにも話し、同室の皆さんにもオープンにしていたので、差し入れのおすそ分けをいただいたり、お断りしたり。午後のおやつ時に義姉に来てもらいロビーで一緒にティータイムと洒落こむ。

消灯後も食堂で少し補給してから休んだりで、心配したほどのストレスにはならなかった。つもりだが、O先生が「大変だったら食事も別の所で、ひとりでゆっくりしてもいいんじゃない」とアドバイスしてくださったときはウルっとしてしまった。食後のダンピングは少なからず出るので、『食事はしんどい』の呪縛から抜けられない。

裸体は我ながら見事な骸骨標本

術後の治療は病理検査の結果が出てから、それぞれの病期や症状に応じて違ってくる。「外来で会いましょうね」退院療養計画書を携えて、ひとり、ひとりと退院し、予定通り7日目でドレーンが抜け9日目に私が退院するときには部屋のメンバーは全取っ換えとなっていた。代わって無菌室から移ってきた高校生のMさんの、おそらくは自室のように可愛く飾ったベッド周りを見、担当医との会話を漏れ聞いて、その入院生活の長さを想像したとき、食道がんの抗がん薬点滴で味わった、あの頭からズルーっと蟻地獄に引きずり込まれるような感覚がよみがえり、吐き気に襲われた。

退院後、毎日の傷のケアは自分でする。傷口に軟膏を塗りガーゼを取り換えるときには否応なしに大きな傷と対面することになる。傷を直視するのが怖いとか、胸を亡くした喪失感を訴える患者さんもおられると思う。私の場合は32㎏になった食道切除後の己が裸体を見たときに、肉体とか身体と言うより人体という表現が当たってるな、と思うほどの我ながら見事な骸骨標本ぶりなので、さしたる驚きはない。驚いてなどいたら傷痕の自撮り記録なんかするわけがない。

退院日から4日目に外来で傷を見てもらう。傷の経過は良好で次回K先生外来まで処置の必要はない。当日病院ロビーで開催した3号室同窓会では病室の続きで楽しいおしゃべりで時を忘れた、私以外はつらい治療が待っているだろうに。

私は1月からの脳トレ・サポーター復帰に備え体力をつけなければ、と毎日散歩に出かけその順調な回復ぶりを周囲も疑うことはなかった。12月の眼科診察、眼圧検査も高めではあるがとくに問題はなかった。

「今よりつらいことが起きませんように」

無事に年を越すと元同僚や友人から年賀状が届く。変わらずに勤続しているもの、退職したが再就職して頑張っている様子などを目の当たりにすると、自身数カ月の乳がん治療で振出しに戻ったような気持ちを抱いていたので、なんとなく心がザワつく。

年明け早々1月4日にK先生の診察。一般企業のような年始気分とは程遠いがん専門病院の外来。術後の病理検査の結果はすでに面談票にプリントされていて、それを見ながらご説明を受ける。

浸潤性乳管がん、リンパ節転移陰性、がんの顔つき1、ホルモン感受性ありなどなど。「浸潤があったのでステージは0ではなくてⅠになるね」とK先生が続ける「この場合、再発率は約10%」

そう聞いた瞬間、私は真っ暗闇の中に立っていた。転ばぬ先の杖だ、じゃなくて一寸先は闇だ。ほんの1~2秒ぼんやりした私を見て『こいつ頭悪いな』と思われたか先生は「遠山さんが100人いるとすると」

「それは嫌です!」と私、我に返る。

「10人が再発する可能性ということ」

あと9日で食道手術から丸5年の今、リセット、出直しですか⁉

10%でも60%でも再発してしまった本人にしてみればそれは0か100かである。10%再発という言葉が私の周りに鉄のカーテンをおろした。

後に皆様のNHKに教わることになるが、この「0か100か」思考はうつ病患者の特徴的な考え方の癖のひとつらしい、でもこの時はそんなことは露ほども知らず、考え方の修正など思いもよらなかった。

5年間のホルモン療法が選択肢としてあるが、K先生は食道のない私の体調を気遣ってくださり、ホルモン薬による副作用や肝機能のこと、ホルモン療法による効果を考えると無治療で経過観察をしていくことでいいのではないかとご提案くださる。

私はいつも『今よりつらいことが起こりませんように』と祈っているので、少しでも副作用で苦しむのは嫌だ、このまま何もしないことを選択する。だが「早く見つかってよかったね、G先生のお陰だよ」やぁ~めでたいとまではおっしゃらなかったが、楽観的な見解のK先生の前で、暗黒の世界に旅立った私。

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