進行性食道がん ステージⅢ(III)と告知されて そして……

「イナンナの冥界下り」 第9回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2017年4月
更新:2020年2月

  

遠山美和子さん(主夫手伝い)

とおやま みなこ 1952年7月東京都生まれ。短大卒業後、出版社勤務を経て紳士服メーカー(株)ヴァンヂャケットに入社。約20年勤務の後、2011年8月病気休職期間満了で退職

<病歴> 2010年10月国立がん研究センター中央病院で食道がんステージⅢ(III)を告知される。2010年10月より術前化学放射線療法を受けた後、2011年1月食道切除手術を受ける。2015年9月乳がんと診断され11月に手術、ステージⅠ(I)で転移なし。2016年8月卵管がんの疑い。9月開腹手術。卵管がんと確定し、子宮・卵巣・卵管と盲腸の一部を摘出。9月手術結果を受け卵管がんステージⅢ(III)Cと診断。10月17日よりドース・デンスTC療法を開始


4月12日精神腫瘍科R女医先生初診。

レクサプロの副作用なのかめまいや立ちくらみが続くので半錠に減薬。診察時間を長引かせてしまって先生にはご迷惑だったに違いないが、5年間にはいろいろな事がありました。これからはもっと自立した患者にならなければと改めて思った日。

町の脳トレ・サポーターと学童クラブのボランティア復帰は諦めることにしたが、この頃には休みがちだったヴァイオリンのレッスンもちゃんと行かれるようになり、趣味の落語会に東京へ。

なんと町の福祉センターで有志がやっている「おばさん(失礼)ヨガ」にまで参加する始末。気功もヨガも「今、此処にある自分に集中する」という意味ではマインドフルネスに通じるものがあり、自分を見つめる貴重な時間と感じる。近所の午後ティー仲間が誘ってくださったもので、だんだん半人前に戻ってきた気分。

5月16日の眼科定期診察、眼圧は今までになく良好で、レーザー治療の効果があったようだ。点眼薬は手離せないがこれでひと安心といったところ。

5月24日乳腺外科K先生の問診と触診。

「体重はどう?」と気遣ってくださるK先生に「いやぁ増えたつもりが、手術で取っていただいた分がかなり大きかったので微妙に減っちゃって」

「じゃあ今度はすごく重いの入れてあげようか」

「いや、手術はもう(笑)」

以前のペースに戻りつつあり。

同日、食道外科の血液検査、頸部から骨盤までのCT検査、上部消化管内視鏡検査とG先生診察。食道切除手術後4カ月に1度だった各種検査は、2年目は年2回、3年目以降は年1回になっていた。

やはり検査結果を聞くのに若干の緊張はあったものの、1年ぶりの検査はとくに問題なく、G先生との楽しい雑談の時間。毎回体重を聞かれる。

「何キロ?」

「33.5です」

「去年が33.6だから、ちょうど100gが取った分ってことかなぁ~」と嬉しそうなG先生。『昨年の体重-今年の体重=切除した左乳房の重さ』

この引き算が気に入ったみたいだ。あまりに的を射た数値に私もおかしくてたまらない。「いえ、その倍はありましたよ」

「それでも200gか」

「脱ぐとスゴイって言ったでしょ」

「じゃ、200gってことで」

これってセクハラだよな? でも落語大好きな診察室の主治医と患者はこの思い付きにしばらく笑った。

平穏な日々は 2カ月と続かない

次回11月、乳腺外科のマンモ検査日に食道外科も診察予約を入れていただき、ほっと一安心。しかし、平穏な日々は2カ月と続かない。

眼圧は安定しているはずの右目だが、このところ点眼薬を指す時とても痛い。刺激のある薬を使ってはいるがその痛さは尋常でない。ほどなくして7月の眼科診察。眼圧異常なし、点眼薬を一部変更することにするが、その夜から右眼が開けられないほどになる。翌日腫れた眼と片眼でおぼつかない足取りで再度眼科へ。

「これが拷問だったらなんでも白状しますっていうくらい痛いです」

検査の結果「ヘルペスでしょう」とのことで、子供の頃、結膜炎の時にガラス棒で眼医者さんがつけてくれたみたいな軟膏を処方され、1週間様子を見ることになった。

その夜は友人を誘っての落語会。痛みも見た目も散々で、弱り目に祟り目状態だが意地でもチケットは無駄にしないぞ。真夏の夜の出し物は「怪談真景累ヶ淵・豊志賀の死」ではなかった。幸い痛みも腫れも10日ほどで治まり、神経痛などが残ることもなくヘルペスはひとまず終息した。

がんも怖いけど眼病もね。おまけに災いは病気だけではなく、明日の我が身は誰にもわからない。人は、日々メゲずに乗り越えて、生きていくしかない。

「1つ解るためには1つ傷つかねばならん」多感な頃に読んだ短編の一節をまだ覚えていた。年を重ねると満身創痍(まんしんそうい)、1つの傷を死ぬほどつらく感じた頃の自分が懐かしくもあり。

ポケモンの子を 身籠ったのか

8月8日午後、乳がんで入院時同室だったMさんと待ち合わせ。詳しい病状は伺っていないが、Mさんは退院後抗がん薬治療(AC療法)を受け、そしてその日から放射線治療を開始したところだった。

放射線は毎日通院が必要なので、築地のがんセンターではなく自宅に近い病院で受けることにしたという。暑い日だったが一見それとはわからないウィッグをつけたMさんは「家に帰ったらさっさと外して放り投げちゃうの、夏の乳がん患者あるあるよ」と明るくて良かった。

乳がんで3号室に入院していた4人の仲間のイラスト(Mさん作)。左からKさん、遠山さん、Tさん、Mさん

私は8月1日からポケモンGOを始め、公園などに出かけてポケモンをゲットしたり、ポケモンの捕獲道具や卵を集め、せっせと歩いては卵を孵化(ふか)させたりとすっかり夢中になっていたので、Mさんの最寄り駅まで出かけて行って、おしゃべりとポケモンGOの両方を楽しんだ。

前日は国立能楽堂で能を自発的に鑑賞したし、元気になったもんである。そういえば少し下腹がふっくらしたような気もする。やはりメスの入った部分は脂肪が付きにくいのだろうか、太るなら下腹からではなく、残った右胸に重点的についてほしいものである。

だが数日経つと太ったわけでもなさそうに思え、少し気になりだす。胃は引き延ばして食道代わりに使っているので、食べたものを蓄えられないため、普段から食後は下腹部が膨れる。

いつぞや何年たっても体重の増えない私に「あまり食べないからじゃないの」とおっしゃるG先生。

「夕食後は腸の形が分かるほど食べてます!」と口答えした。

だがそれも寝起きはぺったんこになってしまい、豊満な肢体は一夜の夢と儚く消えてしまう。のに、朝から下っ腹膨れ気味だ。

便秘はしていないが、ガスでも溜まっているんだろうか、お腹だけどんどん太っていく気がする、尋常ではない気がする。

ポケモンの子を身籠ってしまった説も浮上する。

「これは腹水が溜まっています」

8月20日、気のせいではない、思い余って近所の内科を受診した。下腹部が張っているが触診だけではよくわからないので、ひとまず腸の働きをよくする漢方(大建中湯)を飲んで様子を見ることになる。便秘も下痢も痛みもないが快癒する気配がないばかりか、日々確実に何かが育っている。不安もあって食事も進まなくなる。

24日CT検査のできる病院を受診し、単純CT撮影。結果「これは腹水が溜まっています」とのこと。『良かった悪魔の子を孕んだわけではなかった』などと安心している場合ではないが、腹水が溜まっていることの重大さが良く理解できていない。……取りあえずその方針で予約を入れて帰宅した。

次回の精神腫瘍科外来が6日後の30日火曜日。月、火はG先生が外来に出ておられるので、予約センターに電話して予約をお願いする。

「来週、G先生は休診になります。ご予約は9月5日以降になりますが」

「月、火両方休診ですか?」

そっ、そんなぁ、私に断りもなくお休みするなんて、それにこのまま10日も待てない。

「すみません、このお電話をG先生に繋いでいただくことはできますか」

「確認いたしますので少々お待ちください」

長い保留のメロディーが鳴り続ける、この曲なんだっけ、レッスンで習ったな。

「先生に代わりますのでお待ちください」

「もしもし~」あ~~、G先生の声だぁ~。

「お腹が膨れちゃって……」この間の経過をかいつまんでご説明する。

「来週休診なんだよね、明日来られる? 昼過ぎまでいないけど午後だったらいるから」

「午後でも夜中でもいつでも大丈夫ですっ!」

「じゃぁ、先に採血して3時くらいまでに外来に来てくれる? CT撮るつもりで昼食はとらないで」

あぁ良かった、ここまでで、もう8割がた解決したような気分。

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