進行性食道がん ステージⅢ(III)と告知されて そして……

「イナンナの冥界下り」 第11回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2017年6月
更新:2020年2月

  

遠山美和子さん(主夫手伝い)

とおやま みなこ 1952年7月東京都生まれ。短大卒業後、出版社勤務を経て紳士服メーカー(株)ヴァンヂャケットに入社。約20年勤務の後、2011年8月病気休職期間満了で退職

<病歴> 2010年10月国立がん研究センター中央病院で食道がんステージⅢ(III)を告知される。2010年10月より術前化学放射線療法を受けた後、2011年1月食道切除手術を受ける。2015年9月乳がんと診断され11月に手術、ステージⅠ(I)で転移なし。2016年8月卵管がんの疑い。9月開腹手術。卵管がんと確定し、子宮・卵巣・卵管と盲腸の一部を摘出。9月手術結果を受け卵管がんステージⅢ(III)Cと診断。10月17日よりドース・デンスTC療法(パクリタキセルとカルボプラチンの異なる作用の抗がん薬を組み合わせた治療法)を開始し、2017年3月29日終了。


今回は3度目の手術入院、入院期間は約2週間の予定である。

入院初日に看護師さんから手術前後の流れについて説明を受ける。入院中のスケジュール表は婦人科手術のものだが、手術前の飲食についての順守事項は大腸の手術を受ける方と同じものである。

そうか、開腹手術は結構厄介なんだ。婦人科部品の切除なので、消化器や循環器のように日々酷使している臓器とは違って、すでに使用済み核廃棄物扱いのものを取り去るだけのような気になっていたが、そんな簡単なものでもなさそうだ。

初日から下剤服用、手術前日朝から下剤。昼食は低残渣食(ていざんさしょく)、夕方6時から手術当日早朝6時までの12時間は経口補水液OS-1・1500mlのみを飲み、水も飲めない。これによって、完全に絶食するより身体への負担が軽減されるとのこと。

今回の入院も予定通りの日程で退院したいので、そのためにはスケジュール表の目標を確実にクリアしていけることが大事だ。歩行の開始や飲食などは想定外のトラブルさえなければ、決して無理難題が課されているわけではない。

食事は、病院食以外は食べないようにとの指示なので、とにかく術後は頑張って病院食を食べて、歩いて、動いて、無事退院することを目指そうと拳(こぶし)をつくる。

やはり現実はシビアだ

夜、S先生から手術についての説明があった。

面談には義姉に同席してもらう。すでに用意されている面談票に沿って説明を伺うが、やはり勝手な思い込みに反して『そうなんだ』と思わされることもあり、ちょっと緊張する。

「いつも患者さんには申し上げているんですが、腸の合併切除があれば人工肛門の可能性があります。それと開腹してみて、卵巣・卵管が原発でない場合は切除せずに終了します」『あぁ、S先生はにこやかで優しいが、やはり現実はシビアだ』と思いながら「はい!」と元気に返事する。

シビアな現実は誰のせいでもないし、既に生板の鯉だ、いや俎板。

手術前日は麻酔科の先生、手術室の看護師さんが病棟に来られる。病棟担当のT先生も朝・夕と来てくださった。

T先生とは会話が弾んで、結果、まあまあイケメン査定がまあイケメンに1日にして昇格。看護師さんによるお臍(へそ)の処置があったが、限界までお腹が膨れた時にお臍の汚れが押し出されてしまい、もう掃除するものが残っていなかった。

朝の下剤によるトイレ通いは8回。夕方、入浴を済ませ、ひたすらOS-1を飲んで過ごすが、結局力及ばず全部は飲み切れなかった。

手術の順番は2番目の予定で、家族は午前11時までに来るよう指示があった。2番目の場合、前の方の手術の状況により、早く始まることもあるが午後まで待つこともある。今回の手術は予めのスケジュールで予定されていたものではなく、私が孕(はら)んだ悪魔の子の成長の異常な早さを鑑み、カンファレンスでS先生が「早く」と進めてくださったとT先生に伺った。

この日に入れて頂けただけでも有り難く、待つのは仕方ない。が、スタンバイの状態で何時間も待つのは結構つらいなと思っていた矢先、S先生が大急ぎの様子で来られた。

「10時20分開始になりました」

「はい(ラッキー!)わざわざありがとうございます」

ご自分で伝令にならなくても良さそうなものだが、これがS先生の真骨頂と次第に分かってくる。急いでトイレ・体重測定・身支度をして看護師さんに付き添われ9階手術室へ。手術室前にスタッフ一同結集しているが、S先生がまだだ。

「S先生が直接知らせてくださったので時間はご存知です」と私。

走ってS先生到着。

「先生、息切れしてて大丈夫ですか?」

緊迫した雰囲気ではなく和やかだ。

点呼を済ませ、中に入って手術台に横になる。背中を丸めて硬膜外麻酔の針を入れるのだが、膨れたお腹が邪魔になってうまく縮こまることができない。背中に針が入り、腕に点滴が入って、数秒後は記憶がなくなる。

「遠山さ~ん」の声に一瞬目を開けるが、またそのまま眠ってしまう。手術が無事終了したのは3時半頃で、先生から家族に手術についての説明があった。

説明を伺ったのは連れ合いだが、手術前のお話は義姉と伺ったので、連れ合いは先生とは初対面。

ひとり怪しげな白髪混じりのポニーテール男の登場に一瞬たじろいだS先生。

「どなたでしょう?」

「はじめまして遠山です」

みたいな、ちょっととぼけたやり取りがあったらしい。

腹膜内の取り切れていない残存について連れ合いが「大丈夫でしょうか? 心配です」と申し上げ、「薬で治療できると思います」と答えるS先生。

男ふたりのハードボイルドなやり取りも実はあったらしい。リカバリー室から病室に戻って、目が覚めたのは6時前頃だろうか。病室はナースステーションに近い2人部屋。点滴、背中の麻酔、心電図、酸素マスクに導尿、ドレーンを携えている。

人工肛門はなく、足には例の血栓予防のマッサージ機が小さなイビキをかきながら装着されている。術後はやはり身動きできない状態で、夜勤の看護師さんが2時間ごとに状態を見に来てくださった。

どんな時もちょっとした遊び心が嬉しい

手術直後の私

術後1日目の朝には心電図と酸素マスクを外し、ベッド脇に立ってみる。

「歩けそうですね」ということで看護師さんに付き添われて歩行訓練。すぐ近くのナースステーションまで行って体重を計って戻ってきた。

食道切除手術後の歩行は、痛み止めのモルヒネを追加して、ICU担当の先生が付き添って心電図や血圧、酸素濃度を確認しながら、点滴、ドレーンをいくつも下げて、看護師さん2人に脇を固めてもらって、それでもほんの数メートル。まるで高尾太夫の花魁道中みたいに仰々しい出で立ちで始めたので、それに比べたらかなり楽勝なスタートだ。

土曜日なのにT先生が来てくださった。お腹の創部に出血などがないか確認する。腹帯を外したので創部の自撮りをする。傷はお臍の7~8㎝上から縦一直線、傷の上には幅広の透明テープが貼られていて、テープ上にはマーカーで印がある。

傷が広がっていないかの目安にするとのこと。

「後でS先生もいらっしゃいますよ。いつも術後の患者さんがある時は休みでも出てこられますから」

そして、にこにことS先生が来てくださった。

「さっきG先生にお会いしました。休みなのに会議だそうで、私服でした」

「えっ、じゃあ空手着で裸足でしたか?」

「いえGパンで、靴は履いてました。『遠山さんが、死にそうなので会いに来てほしいって笑いながら言ってましたよ』と伝えました」

で、G先生が立ち寄ってくださる。

「元気そうじゃない」

「今朝9時過ぎに歩きました、先生のシゴキのおかげです」

「食道が一番大変だからね」

やはりG先生に会うと安心する、大丈夫っと思う。

日曜日の早朝、エマージェンシー・コールが鳴り響く。外来で何度か放送を聞いたことがあったが、病棟では初めて、スタッフが手薄な時間帯だ。同じフロアではないが野次馬根性もあって落ち着かない。ほどなく解除され、ほっとする。

今週は祭日が2日もある。もう何も起こりませんように。

手術で腹水は抜けたようだが、身体全体、とくに下半身が浮腫(むく)んでいる。手術直前34.3㎏だった体重が2日後は37㎏になっていた。S先生に報告。

「足がこんなにパンパンです」

「素敵な足じゃないですか」

「いや、元々こうなら女子高生みたいで素敵ですが、元はしわっしわですから、手だって名古屋コーチンみたいでした」

先生少し笑う、名古屋コーチンの例えが気に入ったらしい。

「腹水には栄養分も含まれているので、それが抜けて栄養不良状態なのでしょう」

「覆水盆に返らず」と言ってみる。これも先生お気に召した様子。

術後の経過は当初の予定を前倒しする感じで順調に進んだ。硬膜外麻酔は2度ほど漏れてシーツを汚すようなことになってしまい、早めに抜いてしまった。飲水開始になれば痛み止めは経口で摂れるし、麻酔の増量、追加の投与も必要なかった。導尿が取れ尿量の測定が始まる。

早朝尿を取っておくよう看護師さんから指示があったその朝、S先生がにこにこ顔でいらっしゃった。

「今日は尿検査があります。尿意(用意)はいいですか?」

すでに『尿意』のあたりで、ご自分で笑ってしまっている。

「先生、『便秘の時はイッヒフンバルトデルウンチ』って自分は笑わないで言えるまで練習をしてこなくちゃ」

「お2人でなんの競争してるんですか!」

とそばにいた看護師さんから教育的指導が入る。

早速、すでに「まあイケメン」転じて「マー君」と呼ばれるようになってしまった病棟担当T先生にご報告。

「ダジャレなんか仰るんですねS先生」とコメントしたマー君は、レジデントのレポートに「患者さんからマー君のニックネームをつけられた」と記したと看護師さんから聞いた。どんな時もちょっとした遊び心が嬉しい、それにしても尿意ときたか。

私の命の恩人G先生(向かって左)。右側は空手の師匠

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