脳腫瘍を傍らにした元看護婦の心のカルテ

オルゴールがおわるまで 第2回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2019年7月
更新:2019年7月

  

残間昭彦さん(スウェーデンログハウス株式会社代表取締役)

ざんま あきひこ 1962年8月新潟県新潟市生まれ。保険会社勤務の父の転勤に伴い転居を繰り返す幼年期を過ごし、11歳以降は埼玉の地にて少年期から青年期を過ごす。1981年埼玉県立大宮武蔵野高等学校普通科を卒業 。1983年東京デザイナー学院インテリアデザイン科を卒業後、室内装飾及び建築業関連の職につく。1987年、独立起業して一般建設請負業の会社を設立。1994年、スウェーデン産ログハウスの輸入及び国内販売を手がける。2001年、信州安曇野へ移住。著書に『白夜の風に漂う―ビジネスマンが歩いたスウェーデン―』『八月の交響曲―忘れてはいけないことを忘れるために―』がある

「詳しく調べてもらうほうがいいでしょう」

2015年11月4日(水) 高瀬医院

「うーん、また脳梗塞やっちゃったかも知れませんねぇ。ただ、さっき撮ったCTスキャンで、少し気になる影があったのが、ちょっとねぇ……」 母の主治医で私もよく知る老医師、高瀬院長が言った。

「影、というのは?」

「それはまだわかりません。私の診たてだと、たぶん膿か何かがあるんじゃないかと思うんですが……。私は内科医で脳外科じゃないから、ちゃんと専門医に診てもらわないと何とも……」

「脳に膿というのはどういうことですか。そんなに深刻な事じゃないんですよね……」

「状況によっては深刻でない事もないです。それに最悪、脳腫瘍という可能性だってゼロではない。でも、まぁ、それはないと私は思いますがね……」

そして、高瀬医師の結論はすでに出ていた。

「あとは松本の奈良井病院に行って詳しく調べてもらうほうが良いでしょう。あそこの脳外科は優秀ですから……」 ということであり、「それじゃ、ゆっくり休んで……」と、母の肩をポンとして部屋を出ていった。

しばしの沈黙のあと、母が口を開いた。「朝起きたらね、身体がクチャクチャだったのよ。筋肉が無くなったみたいに。起き上がろうとしても肘が折れて立たなくてね。やっとの思いで救急車呼んだのよ……」

「どんな理由でも切開するのはお断りです」

11月10日(火) 奈良井病院(内科病棟)

沢田医師「PET検査の結果を見ますと、左脳の後頭部に黒い影が認められます。これは当初考えられた脳梗塞とか脳膿瘍(のうのうよう)ではなく、おそらく腫瘍ではないかと思われます。 それと、腹部リンパ節を中心にしてお腹全体に無数の影が認められますが、 これもやはり、悪性腫瘍の可能性を否定できないという見解にならざるをえません。それで、今後の治療方針を決めるため、生検(せいけん)、つまり、組織の一部を切り取っての病理検査を行う必要があります。その方法はいくつかの選択肢がありまして……」

物言わずうなづいていた母の口が開き、問答無用!とばかりに毅然と言い放った。

母「検査にせよ治療にせよ、どんな理由でも切開するのはお断りです」

沢田医師「しかし、もしこれが悪性腫瘍であれば、徐々に大きくなっていくという危惧もあるわけでして……」

母「その時はその時で構いません。今さら切っても取っても仕方ないです。だから、検査も不要です!」

「はっきり申し上げて、あと数カ月か半年……」

母は何年も前から、「もし、お母さんががんになっても、手術や延命治療は絶対にやらなんでくれ……」と、事あるごと遺言のように言っていた。母は今、その意志を貫き、決心を堅めようとしているのだ。

沢田医師「わかりました。それでは抗がん薬治療という取り組みはいかがでしょう」

母「抗がん薬だって切ない思いするだけです。ましてや、それで治れば良いけど、治らなけりゃ苦しみ損ってことですよね。私はご免です……」

昭彦「どうして、そんな捨て鉢な事を言うんだ。そうやって全て拒否するというのは、自殺するのと同じことだぞ。いくら穏やかに楽に余生をと望んでも、結局は苦しむことになっちゃうんだよ……」

母「それでも切らない。そう決めたら気持ちが楽になった。これが結論!」

既に母は誰の言葉も耳に入れず、自らの意志だけを頑なに固持しつづけた。〝死〟への尊厳……。これは難しい問題である。

11月21日(土) 神経内科、坂下医師の説明。その後、何人もの医師と面談を重ね、結果、少々強引に畳み込むような格好で母を納得させ、腹部組織および脳脊髄液の生検を済ませ、かくして検査結果を聞く日となった。

「今日は先ず息子さんだけで……」と、呼び出された時、一抹の嫌な予感がよぎった。

坂下医師「原発がどこであるかわからない現段階では〝強い疑い〟としか言えないのですが、染色の状態から見ると、90%以上の確率で『上皮性に由来する腺がん』であると思われます。既に、腫瘍細胞と見られる影は腹部から胸・首・肩まで全身に散らばっていて、大小あわせて100個以上も多発している状態であるので、これはもう手術は無理です。それに加え、脳の腫瘍は悪質かつ極めて進行が早いとされる膠芽腫(こうがしゅ)と見られるため、どう手段を講じても根治は無理だと言えます。はっきり申し上げて、あと数カ月か半年……。もし、化学療法が最大限うまくいったとしても、1年くらいの延命ができるかどうかというところでしょう」

昭彦「半年……? それじゃ今日から、今すぐにでも治療を始めなくてはという事ですよね……」

坂下医師「今はまだ、原発がどこか……つまり正体が判らない以上、治療どころか薬1つ決められないんです」

昭彦「それはもっともでしょうけれど、こちらに入院してから2週間、高瀬医院で最初の検査をしてから既に3週間が経っています。と言うことは、日に日に腫瘍は大きくなっているわけですよね。それなら、そんな悠長な事は ……」

何もしないまま病魔は母の体内でどんどんと育っている……。そう思った時、その怒りを誰にぶつければ良いのだろうかと、やり場のない気持ちを抑えるのに往生していた。

坂下医師「こうしたものは、それほど短期間で著しく肥大するという事はありません。それに、最初に撮ったMRI画像を見ると、当院に来られた時点で既に難しい状況だったという事は確かです。ですから、もし、入院の翌日から放射線か何かの治療を始めていたとしても、おそらく結論は同じだったでしょう。 それであるなら、ここはじっくり情報を集め、副作用や苦痛の度合いを予測して……、結果としての寿命がどうなるか。それを見極める時間が必要です」

坂下医師の説明は的確で解りやすいが、その淡々とした言葉が私の悲しみを更に深くさせていた。

昭彦「よく理解できしました……。しかし、こんなになるまで、なんでわからなかったんでしょうね。今さら詮ない事ですけど、やっぱり悔いは否めません……」

「まだ何も始めてないので万策尽きたわけではありません」

ついに耐えていた涙が堰を切ってこぼれ落ちた。

坂下医師「がんというのはあまり痛みが出ないんです。だから、何の症状もないまま、頭もお腹も広がっていってしまうものなんですよ」

私はしばし言葉を失い、暫時の空白が過ぎた。

坂下医師「とは言え、まだ何も始めていませんので万策つきたわけではありません。 ただ、ここで1つ承知しておいていただきたいのは……、仮に放射線で腫瘍が少し縮んだとすれば、一時的に症状が回復する事はあります。でも、やはりそれは一過性のもので、必ずまた悪くなります。しかも、再発した時には、もっと悪い状態になっているという事もありえるわけで……。その場合、一切治療をしないという選択肢も考えなくてはいけなくなります」

昭彦「かと言って、何もしないほうが楽で快適というわけではないですよね。 だったら……」

坂下医師「いいえ、薬を使ったほうが一層に苦しいという事、放射線をやったがために、よりつらい思いをする事だってあります。それでいて、寿命は変わらないという事も……。

つまり、副作用ばかりで効果が期待できない…… と、いう事です。だから、先ずはもっと詳しい検査と検討が必要です。そのために大事なのは、第一に本人が納得することです。小さな子供であれば親が判断しますが、お母様のように、自分で判断できる状態にある大人であれば、検査も治療も、やはり本人の意思でないと無理矢理にはできません。たとえ医者でも、この方法でいきましょう……と強制するのは、患者さんの人格という領分を侵すことになるからです」

昭彦「それでも、やはり先生方が最良と思われる事を強く勧めてあげてください。頼みます」

坂下医師「これから病状が進めば、本人の判断力も失せてきますので、そうなった時に、ご家族がそのようなお考えであるなら、そのように承知しておきますが、ただ今の時点で、自分の病状が重篤であることを理解していながらも、ほとんど説明を聞くのを拒否されている状態ですから、何はともあれ、そこから一緒に考えていきましょう」

頼もしい励ましである……。しかし、心は既に悲鳴を上げ、思考を放棄しようとしていた。そして、母と共に〝俎上(そじょう)の魚〟となるが楽、と思おうとするほどに精神は混乱していた。

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