脳腫瘍を傍らにした元看護婦の心のカルテ

オルゴールがおわるまで 第3回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2019年8月
更新:2020年2月

  

残間昭彦さん(スウェーデンログハウス株式会社代表取締役)

ざんま あきひこ 1962年8月新潟県新潟市生まれ。保険会社勤務の父の転勤に伴い転居を繰り返す幼年期を過ごし、11歳以降は埼玉の地にて少年期から青年期を過ごす。1981年埼玉県立大宮武蔵野高等学校普通科を卒業 。1983年東京デザイナー学院インテリアデザイン科を卒業後、室内装飾及び建築業関連の職につく。1987年、独立起業して一般建設請負業の会社を設立。1994年、スウェーデン産ログハウスの輸入及び国内販売を手がける。2001年、信州安曇野へ移住。著書に『白夜の風に漂う―ビジネスマンが歩いたスウェーデン―』『八月の交響曲―忘れてはいけないことを忘れるために―』がある
「オルゴールがおわるまで」
待望の書籍化決定
2020年7月発売 <幻冬舎刊>
題名:ありがとうをもういちど
副題:〜 去りゆく母の心象風景 〜
● 残間昭彦 著
● 単行本(四六版 / 300頁)
● 1,200円(税抜)

https://www.sweden-loghouse.com/event/5110.html

命の交差点がここにある

12月9日(水) 作務衣をはおり、押し車で院内散歩に……。4階ホールのソファーで、若い夫婦が新生児の赤ん坊を抱えてあやしている ……。母が「おめでとうございます」と声をかけ、「ありがとうございます」と、2人が微笑んだ光景が印象的だ。かつて、自らの手で沢山の赤ん坊を取り上げた事を思い出しているのだろう(40年ほどの看護婦人生のうち、その半分以上を、母は産婦人科に勤めていた)。

新しく産まれ育ってゆく命と、老いて病いを得ていく命の交差点がここにある。

宇宙(そら)摂理 生命(いのち)の辻は
未来(あす)もまた
つきぬバトンを あずけつづける

12月13日(日) 母は今日で数えの80歳〝傘寿(さんじゅ)〟を迎えた。

けれど、あたかも最後の誕生日であるかのように特別な事はしないほうが良いと思った。

まして、これまでに一度だって、母の誕生日を祝ってあげた事などないのだから。それで、プリンと小さな盛りのカットフルーツを買ってきてあげた。

ただ、それだけの、最後になるかも知れないバースデイを2人で静かに過ごした。

2016年 1月9日(土) いつものように手足のマッサージをしてあげていた……。

股関節を開いたり閉じたり回したりと、そうしているうちに腸の動きが良くなってきたのか、母は私の顔前で無遠慮に大きな音をたて放屁した。途端に母は大笑いし、「ハハハハ、アキの顔が屁まみれだぁー」と、大はしゃぎ。何とも、まるで子供のような母である。この無邪気な笑顔を、いったいいつまで見ることができるだろうか。いつ、この笑顔を失ってしまうのだろう……。そぞろ、不安がよぎる。

1月15日(金) 羊羹(ようかん)をモグモグさせながら、窓際の母が言った……。「お母さんの事ばっかりじゃなくて、山の景色も撮って……」と。

確かに美しい雪景だ。日々母の心を癒してくれるこの景色を、こうして言われなければ撮らずじまいとなってしまうところであった。

「それから……、そこのお菓子工場と火の見櫓(やぐら)も……」

病院周りのこの辺りは、いつも母が散歩して歩いた思い出の場所だ。窓の外に見える全てのものが美しく、感動的に母の目には映るのか……、母は袖に涙を拭った。

母の精神の灯は未だ消えていない

動かない右足を動かそうと懸命に努力するヨシ子さん

「いんない、院内を……」と、涙の乾かぬ母が言った。きっと、全てのものを、どんな景色も全部、今の自分の目と頭に焼き付けておきたいのだろう。私は車椅子を押し、1階の玄関から順に、全ての階を端から端まで母に見せてあげた。

こよなくも 美し愛し
煌めきの
すべての色を 魂(こころ)にとめん

1月24日(日) 部屋に行くと、母は動かない右足を動かそうと七転八倒していた。「根性みせてやる……」と、繰り返し口にしながら、「うん、うん……、ヨシ子ちゃん、頑張れ……」と、自分を励ましている。

すると、ほぼ動かなかったはずの右足首をクイクイっとさせ、そしてついに、その足をベッドから下ろし、また上げた。「ここまで、ここまで出来たよ……」と、母は誇らしげだ。何回もやったのか……と、聞くと、「うん、今朝から何度もやってんだよ ……」と、鼻を拭う。

あまり好きな言葉ではないけれど、いつしか私は「ガンバレ、ガンバレ」と、心の中で叫んでいた。いずれ母の身体は動かなくなるであろう事を私は知っている。けれど、一縷(いちる)の望みと気力だけは最後まで無くしてほしくない。

早ければ3カ月……、そう言われたあの日から2カ月が過ぎ……、けれども 母の精神(こころ)の灯(あかり)は未だ消えていない。

病床の 寝台(ねだい)にしがみ
吾(われ)を鼓(こ)す
負けじ負けじと 唇歯(しんし)かみしめ

母に歌があって本当に良かった

1月30日(土) 楽しい気持ち、嬉しい気持ち、ありがとうの気持ちを誰かに伝えるために産まれたのが、『音楽』という世界最古の言葉だ。この世界に音楽が有って良かった。母に歌というものが有って本当に良かった……。

何年か前、今ではほとんど聴くことの出来なくなった古い歌がどうしても聴きたい……と、母は言い、何件ものレコード店を探し回った事がある。

結果、それは徒労に終わった。が、近年、ユーチューブなるものが巷(ちまた)で流行り、パソコンのキーボードを叩けば大抵の曲は見つかるという便利な世の中になった。

それを母に教えると、それじゃぁ……という事でチラシの裏にメモしたリス トを作って私によこした。思いつくたびに書き足したそのメモは200曲以上を数え、私は暇々に検索しては、その画面をビデオに撮り、更に編集してDVDに焼くという作業を繰り返した。

そのVOL..4が完成し、母の喜ぶ顔が見たくて急いで持ってきた。

母がムスメ時分によく聴いたという「谷間の灯火」や「婦人従軍歌」「ゴンドラの歌」「アリラン」「走れトロイカ」、それから藤山一郎や東海林太郎な どの懐かしい歌の映像が盛り沢山だ。

♪まぼろしの 影を慕いて……。

「この歌ねぇ……、小学校6年生の時に、歌ったのよ」

「お母さん、歌が好きで良かった……。好きな歌が聴けて、本当に幸せだよ ……」しみじみと母は言った。

2月4日(木) 高瀬医師「先日のCT検査の結果ですが……、腹部リンパ腺の腫れはまだ少しありますが、前回の検査より小さくなっているのが分かります。これは 〝リンパ腫〟といってがんなどの病変とは違います」

昭彦「がんではない……という事は、治ったという意味ですか。あんなに沢山あった影は何だったんですか……」

高瀬医師「いや失礼……。一般に〝がん〟と呼ぶのは、特定の臓器などに塊をつくるものを言い、血管やリンパ組織内に発生するものはそれと区別します。ですから、いま申し上げたのは、そうした〝固形がん〟ではないという意味であり、がんでないかどうかと言えばがんであるかもしれませんが、通常、がんであれば何も治療をしないで腫れが小さくなることはありませんので、これはもしかしたら、単純な炎症が起きていただけだったのかも知れないという可能性を感じています。

要するに、リンパ節が腫れるのには色んな原因がありまして……、例えば風邪や肺炎などで黴菌(ばいきん)が増殖した時にも起きます。

でもまぁ、(奈良井病院で)本当に100個からの影が認められたというのであれば、何らかのがんがどこかに隠れているのかも知れないし……、今は何とも言えません。しかし、深刻な状態からは脱しつつあるという事は確かでしょう。

それに対して頭のほうですが、こちらは少し心配ですね……。今はまだ認知機能はある程度しっかりしていますが、これからもっと症状が進めば、自分が何処にいるのかも、息子さんの事が誰かも分からなくなってしまうかも知れません」

初めに聞いた良い報せのほうが、急に小さくしぼんでしまった。

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