脳腫瘍を傍らにした元看護婦の心のカルテ

オルゴールがおわるまで 第5回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2019年10月
更新:2020年2月

  

残間昭彦さん(スウェーデンログハウス株式会社代表取締役)

ざんま あきひこ 1962年8月新潟県新潟市生まれ。保険会社勤務の父の転勤に伴い転居を繰り返す幼年期を過ごし、11歳以降は埼玉の地にて少年期から青年期を過ごす。1981年埼玉県立大宮武蔵野高等学校普通科を卒業 。1983年東京デザイナー学院インテリアデザイン科を卒業後、室内装飾及び建築業関連の職につく。1987年、独立起業して一般建設請負業の会社を設立。1994年、スウェーデン産ログハウスの輸入及び国内販売を手がける。2001年、信州安曇野へ移住。著書に『白夜の風に漂う―ビジネスマンが歩いたスウェーデン―』『八月の交響曲―忘れてはいけないことを忘れるために―』がある
「オルゴールがおわるまで」
待望の書籍化決定
2020年7月発売 <幻冬舎刊>
題名:ありがとうをもういちど
副題:〜 去りゆく母の心象風景 〜
● 残間昭彦 著
● 単行本(四六版 / 300頁)
● 1,200円(税抜)

https://www.sweden-loghouse.com/event/5110.html

発作を起こした

2016年5月4日(水)晴 母は毎年この日を楽しみにしていた……。アルプスあづみの公園の恒例「早春賦音楽祭」へ行くことだ。大勢のアーティストたちの演奏や歌を聴くために、押し車で広い公園内を1日中歩いて回り飽きなかった。 無論、今年は行けない。

既に母の身体はほとんど自力で動かず、今日のように陽だまりの窓へ車椅子で来る事さえ希になってしまったから。 けれど、このところ、何故だか穏やかな気分に浴しているように見える時が間々あり、思いがけず私の気持ちまで和まされる。

突然、母が私の手首を強くつかんだ。その手に私もそっと手をかさねると、母は何も言わず涙をこぼした。その涙の意味を確かに図るは難きけれど、母は今とても大切な時を過ごしている。おそらく、この小さくも愛おしい幸いが、指から落ちる砂のように消えていくのを惜しんでいるのだろう。

櫛の歯が欠けるように、脳腫瘍という悪魔は母の頭から少しずつ大切な物を奪ったけれど、その代わりに安息への道程をくれた。

のどやかな 陽だまりつつむ
窓におり
ふと涙おつ 慈しき瞬間(とき)

5月21日(土)晴 食べるも歯磨きも、母は一向に口を開けてくれない。私は、少しでも母にしっかりして欲しくて、半ば強引にスプーンや歯ブラシを突っ込む。

わかっている、これがエゴでしかないという事は。止まってしまったオルゴールのゼンマイを巻きなおすようにはいかないのに……。けれど、そうせずにはいられない。

5月24日(火)晴 出し抜けに母は癲癇(てんかん)のような発作を起こし、初めての光景に私はひどく狼狽した。 今日は、ほとんど食事を受け付けず、仕方なく、ベッドに横になりながらミカンゼリーを食べさせた。大きな口で最初の1口をゴクンと飲み込み、2口目のサジを口に運んだその瞬間のことだった。

始めはただの咳かと思ったが、すぐに「あー、あー」と唸りはじめ尋常ではなくなった。口を半開きにして、顎(あご)と舌を小刻みに震わせている。

すぐにナースコールを押し、看護師が来た時には白目をむいて、身体を大きくゆすっていた。このまま窒息して死んでしまうのではないかと案じ、看護師を急(せ)かした。

まだ若い看護師は慌て、誤嚥(ごえん)吸引の装置を扱い誤り、あたふたしている。 結果、そうこうしているうちに、母の呼吸は徐々に落ち着きを取り戻し、事なきを得たものの、私の胸の動悸はしばらく治らなかった。

5月25日(水)晴 発作から一夜明け、今日は気持ちのいい陽射しがさしている。 窓の外を眺めていた母が、私の声に振り向き少し元気になった顔を見せてくれた。

しかし、一度発作をおこせば今後も再発の心配が付きまとう。だから、今日からは一切の食事をやめ、点滴だけで栄養と水分をとることになった。飲み込むことが苦痛になっていた母にとってはホッとすることなのだろうか、それとも、やはり少し寂しいことなのだろうか。

2010年、早春賦音楽祭で熱唱するヨシ子さん

何も不安などない

6月20日(月)晴 母の口へ運ぶアイスクリームのサジがキラッと陽に光った……。 不意に、昔、高校の学食で目にした一瞬の光景を思い出した。窓辺の彼女が、向かい合った友達に笑顔を向けながらカレーライスを食べていた時のこと……。あの眩しさは今も鮮明に瞼に焼き付いている。

母は、いつにない旺盛な催促で何度もサジを求めた。「旨いかい……。期間限定のイチゴアイスだよ……。明日は、お母さんの好きな小豆のミゾレを買ってくるからね……」

いつの間にか、カップの半分ほども食べてしまった母に、「おっ、今日はすごいじゃん……」と、声をかけた。

一瞬の サジの光に
よみがえる
あの切なさは 今に似ている

6月21日(火)晴 「今日は約束の小豆アイスだよ……」

ところが、母は一向に口を開けようとしない。昨日はあれほど喜んで食べていたのに、どうしたことか……。無理に口に入れた一口さえ、自然に溶けるに任せているだけで、あとは、かたくなに嫌がるばかりだ。ゴックンが辛いのか、それとも、味という刺激自体が負担なのだろうか。

そして以後、一切の飲食を欲しなくなってしまった。

また一つ 母の最後が
忍び寄り
不帰(ふき)の仕舞いの 足音おそる

7月6日(水)晴 廊下で赤木師長とすれちがい、少し話をした。

赤木「今は落ち着いていますけど、この間の無呼吸のように、いつどうなってもおかしくない時期に来てしまっています……。 そうは言っても、一般的に、がんや脳腫瘍の人は皆んな痛い痛いって苦しむはずなのに、お母さまは不思議と呻き声一つ上げないで、いつ見ても穏やかな顔していらっしゃるのは本当に幸せだと思いますよ。

それは、これまでお母さまが生きてこられた姿の現れではないでしょうか。 看護婦として、人のため世の中のためって常に生きてきた、優しい人だったからなんだろうなと感じます」

そうだ、数え切れない数の出産に立ち会い、この世に生を産み出す手伝いをしてきた母の最期が、辛く苦しい非命の最後であるわけがない。なのに私は、何を案じているのだろうか。何も不安などない。善い生き方をした人は 善い死に方をして、そしてまた善い産まれ方をするに違いないのだから。(つづく)

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