乳がん体験は生と死を深く考えるきっかけになった
生きていることの素晴らしさを私は音楽で伝えたい・日比野和子さん

取材・文:崎谷武彦
発行:2005年4月
更新:2013年8月

  
日比野和子さん
日比野和子さん
(音楽家)

ひびの かずこ
1941年、東京都生まれ。
武蔵野音楽大学卒業。
卒業後はオーケストラ活動、ヴァイオリン、ピアノ、コーラスの指導、またコンサートの企画、演出を手がける。
四街道市教育文化功労賞、印旛郡市社会教育功労賞受賞。
1997年、乳がんの手術を受け、1カ月後に復帰する。
現在、コーラス、トーンチャイム指導、コンサート企画、老人保健施設での音楽療法などに携わる。


音楽の持つ力はすごい

うさぎ追いし、かの山

小鮒釣りし、かの川

コーラスの歌声がデイルームに優しく広がっていく。それまでうつろな目をしていたお年寄りが表情に生気を甦らせ、静かに耳を傾け始める。小さな声で一生懸命言葉を紡ぎ出すようにしながら一緒に歌いだす人もいる。やがてヴァイオリンの演奏が始まると、うっとりと聞き惚れている人の目から一筋二筋、涙があふれ出てきた。

音楽の力はすごい。音楽療法のために訪れた老人保健施設で日比野和子さんは改めて強くそう感じた。 チェロを弾く次女と友人のピアニストと3人で一緒に自宅で演奏していたら、不思議な幸福感に包まれ、目から涙がこぼれ落ちた。演奏しながら涙を流すなんて、それまでなかったことだ。音楽を奏でることで自分も癒されることを強く実感した瞬間だった。

長い音楽人生のなかで明らかに何かが変わっていた。音楽に対する考え方、向き合い方、自分にとっての音楽のあり方……。

「いつ頃からかしら。2、3年前くらいかな」

にこやかな笑顔を浮かべながら日比野さんが言う。2、3年前といえば、手術からちょうど5年が過ぎた頃のことだ。がんをして、再発も転移もせず5年が経過したとき、日比野さんは自分の音楽人生に1つの句読点を打ったのかもしれない。

先生、私、死ぬんですか

1997年の初め、なにげなく左胸に手をやった日比野さんは、指先に異物がふれるような違和感を覚えた。確かめるようにもう1度手をふれると、確かにそこに何かがある。

「なんだろう、このグリグリは」

なんとなく気になっていたので、そのしばらくあとに市の健康診断を受けたところ、乳腺炎という診断だった。

日比野さんの母親は乳がんになったことがある。だからこのときもがんの可能性をまず思い浮かべて不思議はないはずだった。だがなぜか「まさか私ががんになるはずがない」と思いこんでいた。8月にドイツから合唱団を招いて交換演奏会をする予定があり、バタバタと忙しい日々を過ごしていたせいもあったかもしれない。結局そのまま放っておいた。

だがある日、友人から「きちんと検査を受けたほうがいい」と強く勧められ、西千葉にある病院を紹介された。日比野さんが初めてその病院を訪れたのは、もう6月に入ってのことだった。

友人が「とてもいい先生よ」と言っていた医師は一呼吸ついてから、おもむろに切り出した。 「乳がんです」

一瞬、頭のなかが真っ白になった日比野さんは思わず聞き返した。

「先生、私、死ぬんですか」

すると医師は笑いながらこう答えた。

「大丈夫、あなたが死ぬんだったらみんな死にますよ」

これで少し落ち着いた。だがやはり頭のなかは混乱していたのだろう。日比野さんは病院を出ると一目散に車を走らせて好きなインテリアショップに行き、気がつくと椅子8脚と雑貨や小物を山のように買い込んでいた。今でも日比野さんの家のリビングには、そのときの椅子が並んでいる。

もうヴァイオリンは弾けない

写真:自宅のサロンで開くコンサート

入院中は室内に音楽を流し、自然に腕を上げて指揮をする動作をしていた。それが術後のリハビリになった

その後、医師の勧めで大きな病院の精密検査を受けた。診断はやはり乳がん。ステージについても説明を受けたはずなのだが、日比野さんはよく覚えていないと言う。ただ医師は「なるべく早く手術したほうがいい」と言った。

ところが8月には演奏会が控えている。それまでにもう2カ月もない。いまさら予定を変更することはできないし、する気もない。8月、無事演奏会を終えるとその2日後、日比野さんはあわただしく入院した。

「手術については、いくつかの方法があることを先生が説明してくださいました。でも私は迷わず全摘手術にしてくださいとお願いしました。そうしないと、また乳房に再発する可能性がゼロとはいえないので、結果的には全摘(乳房切除術)を選んでよかったと今でも思っています」

日比野さんは小学校4年生のときからヴァイオリンを始めた。武蔵野音楽大の器楽科でもヴァイオリンを専攻し、演奏会に出演したり後進の指導をする傍ら、地元の合唱団の指導にもあたっていた。

「どんな手術をするにしても、もうヴァイオリンは弾けないんだろうなと思いました。だったら全部とってしまったほうがすっきりするだろうと考えたんですよ。自分でも見事と思うくらい、割り切っていましたね」

約10日間の入院中、日比野さんは病室でいつも音楽を聴いていた。回診のときは、音楽をとめるよう看護師に言われた。しかし病室に入ってきた医師はいつも「いいですよ、そのままで」と言ってくれた。音楽を聴いていると自然にタクトを振るように手が動く。それを知っていた医師は、そうして手を動かすこともリハビリになると考えていたのだろう。

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