なるべく楽しく生きること 田舎暮らし6年目、手術後S状結腸がん3a期と診断されて
大友和紀さん 「田舎トライアルハウス坂本家」マネージャー
2010年、東京から徳島県勝浦町に移住。「田舎トライアルハウス坂本家」マネージャーの大友和紀さんが体調に異変が出たのは移住して6年目の2016年8月、42歳のときだった。
8月のある日、お腹が突然鳴り出し、しばらく止まらないことが続き、その後腹痛で町営病院に駆け込むもウィルス性胃腸炎と診断された。しかし、一向に良くならないどこか悪化する一方。救急で駆け込んだ徳島赤十字病院で思ってもみなかった診断が……。人工肛門になるかも、と告げられ落ち込む大友さん。その闘病のすべてを訊いた。
これはウィルス性胃腸炎なんかじゃない
現在、徳島県勝浦町にある「田舎トライアルハウス坂本家」でマネージャーをしている大友和紀さんが、最初に体調に異変を感じたのは2016年8月3日の夕方のことだった。
「お腹がゴロゴロと鳴り続けたんです。そのときは、しばらくして止まりました。翌日、妻と一緒に山崎まさよしさんのライブを見に行くため、車を運転して隣町のライブ会場に向かっていたのですが、またお腹がゴロゴロと大きな音をたてて鳴り出しました。1分か2分だったでしょうか。そのときもそのうち治まり、別にお腹が痛いわけではないので、そのまま会場に行き、ライブを楽しみました」
翌日の午前中、「坂本家」で仕事をしていると、今度はお腹が痛くなってきた。我慢して仕事を続けていたが、30分もすると10分間ぐらい横にならないと仕事が続けられなくなるほどに。「これは、さすがにおかしい」と仕事を切り上げ、町営病院で診察を仰ぐことにした。
町営病院の医師は、大友さんを触診後、レントゲン撮影をして、ウィルス性胃腸炎と診断した。
「5日間ぐらいは、痛みがありますが自然に治りますよ」と、胃腸薬を処方された。
しかし、翌日になっても腹痛はひどくなる一方で、食事はもちろん、処方された薬も吐いてしまうほど。
「何かおかしい。これはウィルス性胃腸炎なんかじゃない」と思った大友さんは、妻の運転で自宅から車で30分の徳島赤十字病院の救急外来に駆け込んだ。
徳島県勝浦町に移住を決意
ここで徳島県出身者でもない大友さんがなぜ勝浦町に移住してきたのか、話を少し戻そう。
東京の美容系の出版社でアートディレクターとして働いていたのだが、アウトドア派の大友さんは仕事場と遊び場が近くにある、そんな働き方ができないものかと「田舎暮らしの本」や雑誌などによく目を通していた。
そんなある日、「田舎暮らし」の雑誌を読んでいると、地域おこし協力隊募集の広告記事が目に飛び込んできた。
田舎に暮らして、生活していくためにはそこで仕事がないといけない。
仕事と住居の用意がパッケージ化された地域おこし協力隊の募集記事は、大友さんの興味を大いにかきたてた。
「興味を持っていくつかの地域について調べてみたのですが、正直、そこに行って何をするのかよくはわからない内容でした。そのなかで徳島県勝浦町は、道の駅を立ち上げるためのオープニングスタッフを募集するといった具体的な内容でした」
「これだ!」と早速、応募し、2010年10月から道の駅オープニングスタッフとして徳島県勝浦町に妻と一緒に移住することになった。大友さん36歳のときである。
「妻は私が、会社を辞めて田舎暮らしをすることには反対はしなかったのですが、移住する場所についてはずいぶん、意見を戦わせました」
大友さんが徳島県に拘ったのには理由がある。それは25歳のとき、四国八十八カ所巡りをしていて〝四国はなんて素晴らしいとこなんだろう〟と感じていたからだ。
「最初の仕事を辞めて、次の仕事に就くまで少し間があったので、お遍路さんをしてみたのです。四国には〝お接待〟という風習(お遍路に対して茶菓をふるまうなど)がある、と本で読んでいたのですが、『そんなの伝説だろう』としか思っていませんでした。ところが実際にお遍路してみると、いろんな方たちが親切に対応してくれるんです。そのとき『ここはなんて素晴らしいところなんだろ』と思いましたね」
道の駅が開業し、そこで3年半就業した後、勝浦町で移住者誘致を行うプロジェクトが立ち上がり、その現場責任者として県外からの誘致を進めるための中短期に滞在できる「田舎トライアルハウス坂本家」の立ち上げに参加することになった。
「大友さん、入院になるわ」
さて、話を徳島赤十字病院の救急外来に駆け込んだ場面に戻そう。
町営病院のときと同じように触診とレントゲン検査が行われたのだが、ここでも原因はわからなかった。そこで大腸内視鏡検査を行った。
検査が終わり、グッタリしたまま検査台で横になっていると、40歳前後の男性医師がやって来て、何も言わず大友さんの手首に黄色のリストバンドを取り付けた。
不審に思って「これは、何ですか?」と尋ねると、その医師は「大友さん、入院になるわ」と事も無げに告げる。慌てて「どういうことですか?」と再び尋ねると、「おそらく大腸がんが原因で現在、腸閉塞を起こしています。痛みはそれが原因です」と。「ああ、そういうことか」と一瞬、驚いたもののそのときには、まだ事の重大さがよくわかってはいなかった。
「がんという病気についてもよくはわからなかったこともあるし、がんと告知されたことより、私が入院したらいま抱えている仕事は誰がやるのか、そんなことを考えて頭が一杯になっていたからです。ちょうど私が所属している団体での一般社団法人の立ち上げ準備の真っ最中でした。諸々の事務処理があり、『どのくらいの期間、入院することになるのか』尋ねると、『最低でも3週間』と言われ、ますます焦りました」
人工肛門を覚悟してください
まず、腸閉塞の治療をするため、大腸にバルーンを入れた治療が行われたが、最初のうちは医師が思っていたより便の出が悪く、痛みを伴う炎症も引かないため、バルーンを入れたまましばらく様子を見ることになった。
そんなとき、主治医が大友さんの寝ているベッド脇に来てこう言った。
「現時点までの診断では、S状結腸がんのステージ2です。開腹してみなければ正直はっきりしたことは申し上げられませんが、もしかしたら、人工肛門(ストーマ)になるかもしれませんので覚悟しておいてください」
大友さんは、がんはステージ2ぐらいなら、切ってそれで終わりかもと考えていた。けれども人工肛門となると、「退院してからもずっと病人であるように思われ、気持ちが滅入ってきた」という。なるべく人工肛門にならないようにと願っていた。
しかし、すぐにその望みも絶たれることになった。
「大腸の状態を安定させ、炎症を抑え、原発がん切除手術を1日でも早く行うためにも人工肛門を造設することが必要だ」と、主治医から説得されたのだった。
8月10日、腹腔鏡による3時間ほどの人工肛門造設手術が行われた。
夜中、麻酔から醒めた大友さんがまず目にしたのは、自分のお腹にある梅干しのような傷口だった。
「ショックでしたね。覚悟はしていたものの本当に人工肛門になってしまったのか。ランニングが好きだったのでストーマ付けて走れるのだろうか、そう思いましたね」
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