2度の乳がん再発から乳房全摘同時再建術を受けた生稲晃子さん(48歳) 「普通に生きることが、いかに大切かを実感しました」

取材・文●菊池亜希子
撮影●「がんサポート」編集部
衣装協力●Yukiko Hanai
発行:2016年11月
更新:2016年11月

  

いくいな あきこ
1968年東京都出身。86年『夕やけニャンニャン』オーディション合格(おニャン子クラブ会員番号40番)。87年「うしろ髪ひかれ隊」でデビュー。おニャン子卒業後は女優、タレントとして活躍。『キッズ・ウォー』シリーズ、『ちい散歩』『若大将のゆうゆう散歩』などに出演。女優業の傍ら、夫と共に「鉄板焼 佐吉」を経営

1980年代半ば、一世風靡した「おニャン子クラブ」の会員番号40番。「うしろ髪ひかれ隊」という言葉に懐かしさがこみ上げる読者も多いだろう。

今は一女の母である生稲晃子さんの胸に異変が起きたのは2011年。それから5年、5度の乳がん手術と闘病生活を経てたどり着いた思いは、普通に生きることの大切さだった――。

〝がん〟発覚にショック

2011年5月、乳房温存術を受けた際の様子。「この時は、手術したらもう終わりと思っていました」と語る生稲さん。そこから先の治療が長いということを学んだ、と振り返る

2010年の年の瀬、毎年欠かさなかった区の無料検診を受け忘れていたことに気付いた。「来年でいいかな」と思いつつ、「なぜか胸騒ぎがした」生稲さんは、友人の医師の勧めもあって、年明け1月に人間ドックを受診。まさかの要再検査。穿刺(せんし)吸引細胞診を経て、右胸に8mm大の乳がんが発見された。

「ショックでした。子どものころから体は丈夫だったので、まさか自分が〝がん〟という2文字に当てはまるなんて想像もしてなくて」

2011年5月、乳房温存術で腫瘍を摘出した。1cm未満の早期発見、リンパ節転移なし。早い段階で発見できた生稲さんは、「ラッキーな患者」のはずだった。しかし、病理検査後の医師の言葉に、決して楽観視できないことを知る。

「私のがんは、小さいけれど、顔つきがいいとは言えない、と言われました」

手術で摘出した腫瘍は、病理検査に出され、その結果をもとに、その後の治療方針が決まる。生稲さんの乳がんは、女性ホルモンに依存する「ホルモン受容体陽性」タイプ。大きさは1㎝未満の「ステージ(病期)1」。ここまではよかった。しかし、乳がんの再発・転移を予測する指標の1つである「悪性度」、いわゆる〝がんの顔つき〟が、いいとは言えないという結果。これは、小さくても侮れないことを意味していた。

「小さくても、がんはがん。これからは、再発しないための治療をしていきます」

医師の言葉に、本当の治療は、これから始まるのだと悟ったという。

最初の1歩は30日間の放射線治療。ほぼ毎日、放射線を受けに病院へ通った2011年の夏を、生稲さんは決して忘れない。胸に十字に描かれたマーキングを見たときに思わず出た涙、その線を衣装で隠しながら、笑顔で仕事を続けた日々のことを。

合計60Gy(グレイ)の放射線照射が終わった翌日から、ホルモン療法が始まった。ノルバデックスを毎朝1錠服用。数週間後から更年期障害に似た症状が現れ始めた。のぼせ、ほてり、めまい。冷房の効いた部屋で、皆が涼しく過ごしていても、自分1人が暑い。「暑がりなんです」と言い訳しながら、うちわであおぎ、笑ってやり過ごした。5年間のホルモン療法を終えたら、がんとの闘いは終わる、そう信じていた。

ノルバデックス=一般名タモキシフェン

まさかの再発

放射線治療を終えて数カ月経ったころ、温存手術を受けた右乳房の皮膚に、赤みを帯びた小さい吹き出物が出てきた。「こんな所に、にきび?」と思いながら、無意識に軽くはじいたりしていたという。何カ月経っても治らない。不思議とその小さな吹き出物には、「不気味な存在感があった」。

2012年8月、念のために穿刺吸引細胞診を受けたところ、まさかの悪性。「再発」の2文字に震えた。

9月に再び患部を切除する手術を受け、病理検査の結果、前回と全く同じ性格のがん細胞と判明した。

「放射線を30回も当て、ホルモン薬も毎日飲んでいるのに生き続けるなんて、私のがん細胞は小さいけれど、とてつもなく強いものかもしれない……」

幸い、がん細胞は皮膚だけにとどまっており、治療方針は変わらず。ただし、ホルモン薬の服用期間が、この時点から5年間に切り替わり、延長して服用することとなった。

命を優先する方法を

ホルモン薬を毎朝1錠のみ、3カ月に1度の定期検査を受けながら仕事を続け、祈るように家族との平穏な日々を過ごした。

「検査結果を聞きに行く日は、まるで死刑宣告を受けに行くような、そんな気持ちでした」

そんな願いをあざ笑うかのように、1年2カ月後の2013年11月の定期検診時、医師の触診で「何かある……」。すぐに穿刺吸引細胞診、結果は2度目の再発だった。

「死を覚悟しなくてはならない……」

告知を聞きながらそう思った生稲さんに、医師は、「まず部分切除をして病変を調べ、日を改めて全摘しましょう」と続けた。

乳房がなくなる――それは想像できない恐怖だった。だが、それより何より、生稲さんは「生きたい」と思った。

「私が31歳のときに他界した母を思いました。あのとき私は大人だったけれど、まだまだ母に聞きたいことがたくさんあった。娘はまだ7歳。絶対に死ねない。生きなければ、と。そんな私に、先生が言ったんです。私たちは確実に命を優先する方法をとります、と」

そのとき、生稲さんは初めて先生の前で涙を流したという。命を守るために、体の一部に別れを告げる。そのことに、自ら納得した瞬間だった。

「私の病状をずっと診て、真摯に向き合い続けてくれた先生が、命を優先する、と明言してくれた。私も、生きたいと思った。もう迷いはありませんでした」

右乳房を全摘する覚悟を決めたそのとき、「同時再建」も提案された。

「全摘手術のことで頭がいっぱいで、同時再建と言われても気持ちがついていかず、最初は考えることもできなくて。徐々に落ち着いてきて、できることならやってみよう、と思うようになりました」

乳がん治療は日進月歩。数年前までは、できる限り乳房温存、という考え方が主流だったが、乳房再建の技術が進歩し、今は無理に温存するより、全摘して同時再建するケースが増えてきている。2013年7月にシリコン・インプラント(人工乳房)による乳房再建術が保険適用になったことも大きい。生稲さんが右乳房全摘同時再建術を受けたのが2013年の年末。保険適用直後だった。

放射線を当てた皮膚、再建の壁

2015年10月、再建手術時の病室で。生稲さんの場合、放射線照射後に乳房全摘同時再建を行ったため、皮膚がなかなか伸びず、シリコン・インプラントを挿入するまで約2年の期間を要した

2013年12月27日、乳房全摘同時再建術。右乳房を全摘し、シリコン挿入の前段階として、皮膚を伸ばすためのティッシュ・エキスパンダー(組織拡張器)を装着した。ここに生理食塩水を少しずつ足しながら、右胸の膨らみを作っていき、十分に皮膚が伸びたところでシリコン・インプラントに入れ替えて、再建が完了する。

シリコン挿入までにかかる期間は、通常およそ6カ月。しかし、生稲さんの右胸は、最初の乳房温存術の後に放射線治療を受けていた。放射線を照射した皮膚は固くなり、伸びにくい。そこを無理に伸ばすのは、困難を極めた。

「ティッシュ・エキスパンダーを装着して3カ月間は、毎日、地獄の痛みでした。寝ても覚めても、ズーンズーンと鈍い痛みがずっと続くんです。このときばかりは、再建したことを心底後悔しました」

放射線を当てていない皮膚ならば、これほどの痛みはない。個人差はあるものの、傷みを感じない人もいるそうだ。結局、生稲さんがシリコン・インプラントを挿入できるまでにかかった期間は約2年間。ティッシュ・エキスパンダーに生理食塩水を慎重に少量ずつ加え、放射線で固くなった皮膚を粘り強く少しずつ伸ばし、その時を待ち続けた。そして2015年10月、ようやくシリコン・インプラントを挿入する再建手術を終えた。5度目の手術だった。

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