がんが歌手になりたいという夢を実現させてくれた 甲状腺がんを経て、大きく人生が動き出した 歌手・木山裕策さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2012年2月
更新:2018年9月

  
木山裕策さん

きやま ゆうさく
1968年10月3日生まれ。妻&子供4人有りのサラリーマン&歌手。日本テレビ系テレビ番組『歌スタ!!』に挑戦。08年2月6日『home』でメジャーデビュー。オリコン8位を記録し、その年の紅白歌合戦にも出場。10年11月には童謡アルバム『うたおうか~親子で歌う童謡VOL.1~』をリリース。

若い年齢でがんを経験すると、人生観や、ものの考え方が大きく変わる人は少なくない。4人の子どもを持つサラリーマン歌手として知られる木山裕策さんもその1人だ。甲状腺がんになったことは精神面で木山さんにどのようなインパクトを与え、どのように考えを変えるきっかけを与えたのだろう。

36歳で3児の父、がん告知を受ける

木山裕策さん 歌手

木山裕策さんが甲状腺乳頭がんを告知されたのは2004年3月のことだ。人間ドックの触診で甲状腺のところにしこりがあると言われ、そこで紹介された大学病院で詳しい検査を受けたところ甲状腺の左葉に2センチ×3センチの悪性腫瘍があることが判明したのだ。

当時、木山さんは36歳。インターネット関連の会社に課長として勤務する身で、家には奥さんと3人の男の子がいた。

「お医者さんからは『甲状腺のがんは進行がゆっくりで暴れないことが多いから、このくらいの大きさであれば手術で取ってしまえば大丈夫でしょう』と言われました。でも不安はありました。それまでは盲腸すらやったことがなかったのに、いきなりがんですから。子どもはまだ1番上が小学校4年生で、下は幼稚園の年少組でしたから、この子たちが成人するまで生きられないんじゃないかと思ったりもしました」

それでも、本やインターネットで甲状腺がんについて勉強していくうちに、当初思っていたほどダメージの大きい病気ではないことがわかったので多少不安は和らぎ、その年の5月末に手術を受けることになった。

手術前日、声を失うリスクに直面

09年に行われた1stコンサートツアーで熱唱する木山さん

09年に行われた1stコンサートツアーで熱唱する木山さん

しかし手術の前日になって、また大きな不安に襲われた。術前の説明で、医師は木山さんに「甲状腺近くには、反回神経という声帯を動かす神経が走っていて、その神経はすごくデリケートなので直接触っても触らなくても、かすれ声になってしまうリスクがあり、最悪の場合、声がまったく出なくなることもある」と言ったのだ。

そのことは手術の承諾書にも明記されており、受けるにはそれにサインをしなければならなかった。

「承諾していいものかどうか悩みました。やっぱり小さいころから歌を歌い続けてきましたし、ずっと心の支えでしたから」

木山さんは3歳からピアノを習い、音楽に囲まれた環境で育ってきたので、小さいころから大の音楽好きだった。とくに歌うことが好きで、中学、高校時代にはラジオで聞いて気に入った曲を片端からテープに録音し、自室で心を込めて歌ったりしていた。

また、大学時代は大好きなビリー・ジョエルのコピーバンドを組んで、自らボーカルを担当。人前で歌うようにもなった。歌もバンドの演奏も好評で、学園祭やライブハウスで歌えば、大勢の人が聴きに来た。

自分の歌の才能に自信を持つようになるが、プロの歌手になろうという発想はなく、大学卒業後はしばらく脚本家を目指した時期もあったが、26歳のとき脚本家教室で知り合った女性と結婚。その後、インターネット関連の企業に就職し、堅実なサラリーマン人生を歩んでいった。しかし歌との縁が切れたわけではなく、休日の土曜日、日曜日になると朝の2時間、1人部屋にこもり、心ゆくまで歌う生活を続けていた。そうしていると、落ち込んだときでも自分自身を確認できたし、生きるエネルギーも沸いてきた。

このように歌は切っても切り離せないものだった。そのため木山さんは医師から「最悪、声が出なくなることもあります」と聞かされたとき、目の前が真っ暗になったのである。

「もっと早く言ってくれればいいのにと思いました。でも、僕の歌に対する思いを、お医者さんが知っているわけはないですし、歌の仕事もしていないのに『声が出なくなると困ります!』というのも変じゃないですか。結局は予定通りに手術を受けるしかありませんでした」

それでも木山さんはすぐには気持ちの整理が付かず、奥さんである直子さんに、ある1つの頼みごとをした。

「手術中に、お医者さんから『声を失う処置をとらざるを得なくなった』と言われたら、開いたところをいったん閉じて、1度起こしてくれと頼んだんです。目が覚めたら声が出なくなっていたなんて、とても精神的に受け入れられなかったので、心の準備をしてから声を失いたいと思いました」

大好きな音楽が心の支えとなった入院生活

手術は全身麻酔で行われ、甲状腺の左葉をすべて切除し、無事終了した。

術後の経過はどうだったのだろう?

「痛みは想像以上でした。夜、傷がすごく痛むようになったので何度もナースコールをしたのですが、看護師さんが来てくれなかったんです。そうしているうちに隣のベッドの患者さんが床にラジオを落としたんです。その拍子でボリュームがドーンと大きくなったので、看護師さんが慌てて来たんですが……、ラジオの音量を下げ、元のところに戻すと、すぐに出ていってしまったんです(笑)。その後はちょっと体を動かすだけで激痛が走るので、ナースコールを押す気にもなれず、音楽プレイヤーで音楽を聴いて痛みに耐える長い夜を過ごしました」

しかし激痛に苛まれたのも術後3日目くらいまでで、その後の経過は順調だったそうだ。1週間ほどで入院生活は終わり、退院の運びとなった。

思うように動かない喉の筋肉

その後は3週間ほど自宅で療養したが、やはり気になったのは声のことだった。

「声はちゃんと出るし、しゃべる分にはまったく問題がなかったので、自宅療養に入ってしばらくたったとき、歌を歌えるか試してみたのです。でも、ダメでした。音階は追えるのですが、ビブラートをかけられないんです。手術のダメージで喉の筋肉が動かなくなっていましたから。待つしかないと思いましたが、正直、前のように歌えるようになるか不安でした」

甲状腺がんは手術後、ホルモンを分泌する機能が低下する。そのため、体の代謝機能が悪くなり、脱力感、無気力、脱毛、皮膚の乾燥などの症状が出ることが多い。木山さんも職場に復帰したあとは、しばらく体調がすぐれず、精神的にもやる気が起きない状態が続いた。

「手術後の検査でホルモン値が低くなっていたのでチラーヂン()をずっと飲んでいたのですが、半年くらいはいつもだるくて、精神的にも不安定でした。駅のトイレから出られなくなったこともありました」

とりわけ落ち込んだのは、会社の人たちとカラオケに行ったときのことだ。歌う気などなかったが、誰かが1曲予約したので木山さんは仕方なくマイクを手にした。

「ぜんぜんダメでした。久しぶりに高音域を出してみたけど、まったくコントロールできないんです。声がふらつくし、伸びもなくて最悪でした」

ショックを受けた木山さんは1番が終わったところでストップボタンを押し、歌うのをやめてしまった。

帰り道、木山さんは惨な気持ちになり悔し涙が込みあげてきた。これだけは人に負けないと自負していたものが、まともにできなかったのだから、その心情は想像するに余りがある。

チラーヂン=一般名レボチロキシンナトリウム


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