毎日新聞の名物コラムニスト、玉置和宏さんの「がん発病効果」
食道がんと胃がんの同時重複がんを克服した言論界の重鎮

取材・文:吉田健城
発行:2006年11月
更新:2019年7月

  

玉置和宏さん

玉置 和宏 たまき かずひろ
1939年北海道生まれ。
北海道大卒業後、62年毎日新聞社入社。
経済記者として財務省、日銀、外務省、経団連などを担当。
80~81年ロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LSE)大学院に研究留学。
86年「週刊エコノミスト」編集長。論説委員として16年書き続ける。
93年より「酸いも甘いも」を担当。名物コラムとして現在も同紙電子版で継続執筆中。
著書に『きのう異端あす正統』(毎日新聞社)など多数。財政制度等審議会委員。
06年4月から毎日新聞社特別顧問

名物コラムニストの不摂生

写真:毎日新聞社論説委員室で
毎日新聞社論説委員室で

大新聞は、この春「がん対策基本法」の成立を睨んで、がん医療の質の向上やがんの早期発見を推進することの必要性を強調する社説やコラムを繰り返し掲載していた。

しかし、社説やコラムで立派なことを書いている人間が、言行一致の生活をしているかと問われれば、答えは明らかに「ノー」である。

社説や名物コラムを書いているのは各誌のオピニオンメーカーである論説委員だが、この人たちは大半が入社以来、現場で長い間、記者生活を送ってきた経歴の持ち主だ。夜討ち朝駆けが当たり前の不規則な生活を続けてきた上に、ストレスの溜まる仕事なので「チェーンスモーカー&エブリデー・アルコール」の二重苦になっているケースが実に多い。

記者時代に20年間そうした生活を送ってきた人間が、いわば新聞社の「顔」である論説委員に出世したからといって急に生活が改まるわけがない。毎日新聞の経済コラム「酸いも甘いも」で健筆を振るってきた玉置和宏さんも、記者時代からの二重苦から抜け出せない論説委員の1人だった。

こうした生活を送っていると食道がんのリスクが高くなるが、会社の定期健診もまめに受けるほうではなかったので、玉置さんは家で食事中に焼肉が食道に詰まって、はじめて体に異変が起きていることに気がついた。

「94年のゴールデンウィークが終わる頃、家で食事中に、食べた焼肉を急に飲み込めなくなって吐いたんですよ。ぼくはまさか食道にがんができているなんて思っても見なかったけど、女房の茜が医学方面に関心があって、日頃から健康関連の雑誌をよく読んでいたものですから、食道がんかも知れないと言い出したんですよ。そこで、会社の診療所の紹介で池袋にあるクリニックで食道のバリウム検査を受けたら、一発で食道にがんがあることがわかりました」

食道だけでなく、胃にもがんが

食道がんの手術は患部周辺だけでなく、食道の大半と胸部腹部のリンパ節も広く切除する大掛かりなものになる。

それを知った玉置さんは横浜で整形外科を開業している北大時代に学生寮で一緒だった先輩に電話を掛け、食道がんが見つかったことを伝えた上で、どこで治療を受けるべきか調べてもらった。

早速その方面に詳しい医師たちに当たってくれた先輩は、その日のうちに玉置さんに「国立がん研究センターに渡辺寛先生という、食道がんの世界的な権威がいるから、その先生に診てもらうのがいい」とアドバイスした。

こうした経緯で玉置さんは国立がん研究センターに入院し、渡辺寛医師のもとで治療を受けることになった。

入院後は連日検査が続くことになるが、玉置さんはその結果を知らされたとき、予想外のことを聞かされ愕然とした。3期の食道がんで、根治を目ざすためリンパ節まで切り取る大掛かりな手術になると伝えられたときは、とくに驚かなかった。十分予想された結果だったからだ。

しかし、「胃にもがんが見つかりましたよ。食道のがんが転移したものじゃなく、まったく別のがんです」と言われたときは、いったい自分の体はどうなっちゃうんだろうと思った。

食道と結腸をダイレクトにつなぐ

玉置さんは、手術で食道の大部分が切り取られたあとは、胃を管状にして喉のあたりまで上に引き上げ、食道の残っている部分と繋ぎ合わせると思っていた。どの本にもそう書いてあった。

玉置さんのがんは食道の真ん中あたりにあったので、通常ならそれでいいのだが、胃にもがんがあるとなると、食道の上のあたりから十二指腸がはじまるあたりまで、全部切り取ることになる。つまり、ヘソから上の消化器がすべてなくなってしまうのだ。

渡辺医師からは「結腸を切り取ってそこに繋ぐことになります」と説明されたが、給水管が壊れたので、そこに下水管を持ってきて繋ぎ合わせるようなやり方が、果たして生身の人間の体の中で機能するものか、玉置さんには不安でならなかった。

「でも、死に対する恐怖のようなものはなかったですね。人は死ぬときは死ぬんだし、生きるときは生きるんだと、割り切って考えていましたから。渡辺先生から5年生存率は70~80パーセントと言われたので、生きられる可能性がけっこう高いんだなあと思ったりもしました。根が楽天的で、いいほうに考えるタイプなんですよ。

生存率70~80パーセントということは、逆に言えば5年後に死んでいる確率が20~30パーセントもあるわけですが、そうは考えないんです。それに、渡辺先生への信頼が大きかったですね。ニコニコしながら明るい声で『胃にも立派ながんがありましたよ』と患者に言えるってことは、よほど自信がなければできないことです。もう、この先生にお任せするしかないという気持ちでしたね」

命が無事、声帯が無事でホッ

玉置さんは、こちらがどんな質問をしても、ユーモアを交える当意即妙な答えを返してくれる。

手術についても、他の人の手術をレポートするような口調で淡々と語ってくれたが、途中12時間に及ぶ大手術が終わって麻酔から目が覚めたときのことをお聞きしたときは、一瞬言葉に詰まって目が潤んだ。

「麻酔が切れてきたとき、ぼくが何度も『寒い、寒い』と言ったようなんです。これで女房はホッとしたようです。亭主が生きていることがちゃんと確認できたし、声帯が無事であることもわかったからですよ。手術前に先生から食道を切除する際、声帯が損傷する恐れがあると聞いていたんで、女房はそれを心配していたんです」

玉置さんは家族や看護師さんから声を掛けられ、いったん意識を取り戻すと、奥さんの茜さんに「全部取れたか」と尋ねた。そして「大丈夫、ちゃんと取れたわよ」と茜さんが言うのを聞くと、ホッとした気分になって、また深い眠りに落ちた。


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