がん体験を活かして県民のための医療改革を推し進めた
元岐阜県知事・梶原拓
梶原 拓 かじわら たく
1933年11月14日、岐阜市本郷町生まれ。
56年に京都大学法学部を卒業後、同年建設省に入省。
大臣官房会計課長、道路局次長、都市局長などを歴任。
85年岐阜県副知事に就任。
89年、「夢おこし県政」を旗印に知事に初当選。
4期16年にわたり知事を務め03年9月には全国知事会会長に就任。
04年2月に勇退。05年3月、岐阜県顧問、財団法人岐阜県イベント・スポーツ振興事業団会長に就任。著書に「国土情報学」(ぎょうせい)、「自治体職員のための地域情報学」(ニューメディア)など多数。
ついでに受けたPSA検査
梶原さんが前立腺がんと診断されたのは、2003年1月のことだ。発見のきっかけとなったのは、健康診断のPSA検査で出た「マーカー値=45」という数字だった。
PSAマーカーは4以下が陰性で、4.1から10までがグレーゾーン、10.1以上が陽性という色分けになっている。しかし、前立腺肥大や前立腺炎でも高い数値が出るので、陽性と出た場合は、さらに直腸診とMRI検査を行い、最終的な判定は組織を採取して行なう生検で決まる。
梶原さんもそのプロセスを経て前立腺がんであることが確定した。
告知の際、担当の医師は、10カ所から採取した組織のうち5つががんで、すでに中期(局所進行がん)の段階に入っているが、転移は認められないので命に別状はないということだった。
ここで疑問に思うのは、比較的進行が遅い前立腺がんの特性を考えれば、がんはかなり前からあったはずだ。とすれば、月ごとの定期検診で何らかの兆候が出ていたのではないだろうか。
「PSA検査はオプションなので、定期検診のメニューに入っていなかったんです。希望すれば受けることができるけど、がんを疑うような自覚症状が出たことがないので、希望したこともなかった。そのときに限ってPSA検査もお願いしたのは、担当のお医者さんに『天皇陛下が前立腺がんを公表されたが、私もPSA検査をしてほしい』と依頼したんです」と梶尾さん。
自分の命を救ったPSA検査を県民にも
梶原さんはがんを告知されたあと、治療法についても説明を受け、とりあえずホルモン療法を選択した。
理由は入院する必要がないからだ。予算編成と人事異動が重なる忙しい時期にさしかかるため、梶原さんは、当面は知事としての公務を優先させ、時間が取れるようになったらがんの治療に集中するという青写真を描いていた。
がんを告知されると、誰しも症状の程度に関係なくショックをうけ、落ちこむものだが、梶原さんにそうした様子はまったくみられなかった。むしろ、PSA検査のおかげで命拾いしたという思いのほうが強かったようだ。
「ある意味で、自分ががんになったことは、県民にがんへの関心を高めてもらういいチャンスだと思ったんです。よく考えてみると、ふだんできないことでも、自分ががん患者になったことでできることだってあるんです。とくに自分がPSAに助けられたわけですから、これを県民の皆さんにも早速受けていただこうと思いました。健康に何の問題もない知事が理屈で早期発見にはPSA検査が不可欠といっても県民は関心を示しませんが、自分はこれで命拾いしたんだから、県民の皆さんも受けてみてくださいと訴えかければ、インパクトがまったく違いますから」
草の根レベルでの大きな成果
梶原さんが最初にやったことは、がんになったことを公表したことだ。
がんの転移がないことが確認されたあと、すぐに県庁の記者室に出かけて行き、PSA検査で異常な数値が出たことから前立腺がんが見つかったこと、がんの進行は中期で生命に別状はないため、当面はホルモン療法による治療を受けながら3月までは予算編成、人事異動などの重要事項を処理し、4月以降、がんの状態を見て、必要があれば然るべき治療を考えると明言した。
こうして県民の関心を自分のがんに引き寄せておいて、一の矢を放った。それはリスク年齢になった県職員にPSA検査を義務付けたことだ。しかも、それを受けないものは昇進も昇格もさせないという条件まで付けて、すぐ実行に移したため、県内だけでなく、全国のメディアが、『知事ががんを公表した岐阜県が始めた他に類を見ないユニークな試み』として、こぞって取り上げるところとなる。
「まず県の職員を対象にしたのは、県民の範となってもらうためです。効果は予想以上でした。その年の6月までに県内96市町村のうち、64の市町村がPSA検査の実施に向けた具体案づくりを開始し、残る32市町村の多くも検討中と伝えてきました。
その結果、平成13年度には96市町村のうち、PSA検査を実施していたのはわずか2パーセントだったんですが、平成16年には一挙に90.9パーセントに跳ね上がったんです。前立腺がんだけやったのでは女性に不公平ということで、平行してマンモグラフィ併用の乳がん検診にも力を入れたので、乳がんの検診を実施している市町村も大幅に増え、平成13年の段階では51.5パーセントだったものが、今年はついに100パーセントを記録しました」
このように、PSA検査の導入を柱にした取り組みは大きな成果を上げ、岐阜県では草の根レベルで早期発見の重要性が認識されるようになった。
知事の立場
梶原さんがもっとも頭を悩ませたのは、自分自身のがんをどんな治療法で治すかということだった。がんを公表した際、梶原さんは4月以降、がんの状態を見て、必要なら然るべき治療を考えると述べているが、3月が過ぎ4月になっても、PSAマーカーの数値は7程度まで下がり、すぐに治療をはじめなければならないような状態ではなかった。
PSAマーカーを下げるうえで効果があったと彼が思っているのはプロポリスだった。親しい友人の娘さんから「父はこれでがんを治したんです」と勧められたので、試してみたところマーカー値が下がるなど効果がはっきりと認められたため、欠かさず服用するようになったようだ。プロポリスは蜜蜂の巣から作る健康食品で制がん効果のある成分を多く含んでいるとされるが、がん医療の専門医などからは科学的根拠はないと、胡散臭い目で見られている。
「ぼくは以前から、東洋医学のよい面を積極的に取り入れて、患者にやさしい医療の実現を目指す統合医療に賛同しているんです。薬についても、西洋医学流の科学方程式で説明できなくても病気に効果があれば、なんでも使えばいいという考えなんです。ですから、ホルモン療法と平行して、人から勧められたものをいろいろ試してみました。その中で効果が認められたのがとくにプロポリスだったと思っています。ホルモン療法は女性ホルモンの副作用で体が目に見えて女性化してくるので、プロポリスの効果が確認出来てからは、それがメインになっていました。
でも、それだとまわりが納得しないんです。会う人ごとに『どうされるんですか?』『手術を受けるんですか?』と訊かれるわけです。そのような状態にピリオドを打つには、まわりを納得させる治療を受けるしかないんです(笑)」
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