鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

人のために何かすることが私の生きがいであり、エネルギーのもとです 元ミス日本のプロダンサー・吉野ゆりえ × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2011年4月
更新:2018年9月

  

6年間に7回の手術を乗り越え、ブラインドダンスと肉腫の啓発・診療改善に取り組む

身長170センチ、元ミス日本のプロダンサー、吉野ゆりえさん。6年前に後腹膜平滑筋肉腫という希少がんを告知され、これまで7回の手術を受けた。普通なら、がんとの過酷な闘いに意気消沈するところだが、とにかく明るい。ボランティアで視覚障がい者にブラインドダンスを教える一方、肉腫の啓発活動、肉腫診療の改善に邁進している。鎌田實さんも、吉野さんのパワーに圧倒された。

 

吉野ゆりえさん

「多分、私はかなり変な人なんだと思います」
よしの ゆりえ
1968年、大分県生まれ。86年、筑波大学入学と同時に競技ダンスを始め、在学中にプロに転向。ミス日本にも選ばれる。卒業後、イギリスに10年間留学、世界のトッププロダンサーとして活躍。2005年に後腹膜平滑筋肉腫と告知され、以後7回の手術を受ける。現在、世界ダンス議会国際審判員、日本ブラインドダンス協会理事を務める。また「日本に『サルコーマセンターを設立する会』」代表。著書に『いのちのダンス』(河出書房新社)

 

鎌田 實さん

「自分が重い病気なのに、ボランティアにそんなに打ち込めるものですか」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

盲学校でボランティアで社交ダンスを教える

鎌田 吉野さんがいま一生懸命されていることは何ですか。

吉野 私のライフワークは2つあります。1つは、ブラインドダンスといって、盲学校(都立八王子盲学校)などで視覚障がい者の方にダンスを教えることです。もう1つは、日本における肉腫の啓発活動と、肉腫診療を改善することです。

鎌田 ブラインドダンスというのは、目の見えない人が踊るダンスですか。

吉野 先天的視覚障がい、後天的視覚障がい、全盲、弱視の方などいろいろですが、視覚に障がいのある方のための社交ダンス、競技ダンスのことです。

鎌田 なぜブラインドダンスをやろうと。

吉野 競技ダンスの選手を引退したあと、視覚障がい者の方のブラインドゴルフに携わったことがあります。日本ダンス議会の会長をブラインドゴルフにご招待したら、「ダンスでもできるんじゃないか」と言われました。それで盲学校に教えに行くようになったのです。それまでにも視覚障がい者の方がダンスを楽しむサークルはありましたが、競技会はなく、ブラインドダンスという言葉もありませんでした。

鎌田 なかった! 外国にも?

吉野 はい。言葉もないし、競技会もありませんでした。世界で初めて、私たちがブラインドダンスをつくったのです。日本ダンス議会が、全日本ブラインドダンス選手権を開催したのが、世界初の視覚障がい者のダンス競技会でした。2006年のことです。私が所属しているダンススタジオが、以前から日本テレビの「ウリナリ」でダンスを指導していた関係で、その大会は24時間テレビのメインで放映され、視覚障がいの方たちがタレントさんとペアを組んで踊りました。

鎌田 ボランティアでブラインドダンスを始めたことと、悪性腫瘍と関係している?

吉野 いえ、私は高校時代から、毎月、お菓子を焼いて老人ホームに慰問に行ったりとか、国際平和年の署名を集める活動をしたりとか、平和を訴える弁論大会に出場したりとか、もともとそういう感じだったんです(笑)。

鎌田  子どものころからそういうボランティア的な活動をしていた。

吉野 人さまのために何かできるということが、自分の生きがいであったり、生きるエネルギーのもとだったりするんです。それがないと生きる力が湧いてこない(笑)。

いのちは神様にまかせ人さまのために生きる

写真:吉野ゆりえさんと鎌田實さん

鎌田 しかし、自分が死ぬかもしれない病気をかかえて、目の不自由な人たちに初めてのダンスを教えるのは、すごく大変だったでしょう。

吉野 いつもそう言われるんですが、全然大変じゃないんですよ。全盲の方には言葉で教えるだけではなく、その方の手や身体を触って指導したり、私の身体を触らせて教えたりします。また、弱視の方は自分の周りはある程度見えるんですね。それに、視覚に障がいがある方というのは、逆に耳がすごくよくて、リズム感がいいんです。初めて指導する場合、もしかすると、一般の方より指導しやすいかもしれませんよ(笑)。

鎌田 みんな上手くなる?

吉野 上手いですよ。全日本が1回、関東大会が2回と、ブラインドダンス選手権が年3回ありますが、毎回、ウチの学校が優勝者を出します。まあ、盲学校でダンスを教えているのは、世界でウチだけで、選手の年齢が若いということもありますけど。でも、学校には中高年の生徒もいますよ。歳をとってから全盲になり、按摩や鍼灸の資格を取るために入学される方がいらっしゃるのです。

鎌田 目が不自由でもダンスが踊れるのは、楽しいだろうね。

吉野 楽しいし、自信が持てるようになりますね。40代の弱視の生徒がいますが、この方はダンスを始めて4カ月で全日本のチャンピオンになりました。彼が「これまで人生にあまり楽しいことがなかったけれども、ダンスと出合って初めて青春を経験した。そのうえチャンピオンと評価されて、とてもうれしいし、自信になった」と言ってます。私もそういう生徒たちを教えられて、本当にうれしい。

鎌田 自分が重い病気なのに、そんなに打ち込めるものなんですか。

吉野 多分、私はかなり変な人なんだと思います(笑)。自分のことはさておき、人を助け、救いたいと思っているんです。私は、自分の寿命は決まっていると思っています。寿命は神のみぞ知る、です。あと何回手術をするのか、手術をして助かるのか、新しい特効薬ができるのか、それは私にはわからないし、どうすることもできません。神様が決めることです。現世での私の役割が終わったら、いのちも終わる。今は生かされている。そう思っているんです。

細胞診で良性と診断され腹腔鏡で腫瘍を切り刻む

鎌田 最初は、7年ほど前、オーストラリアで倒れた。

吉野 下腹部が痛くて、脂汗が止まりませんでした。

鎌田 帰国して、病院で診察を受けたら……。

吉野 最初、「卵巣が4センチに腫れているだけだから、大丈夫。何の病気でもありません」と言われました。でも、一応、3カ月に1回、CT(コンピュータ断層撮影)とMRI(核磁気共鳴画像法)を撮っていたんです。しかし、1年間、何も見つかりませんでした。

鎌田 経過観察で何も見つからなかったけれども、1年後にまた激痛に襲われて、同じ病院に駆け込んだ。

吉野 はい。そこで10センチの腫瘍が見つかりましたが、悪性ではない子宮筋腫だと診断され、手術をしたほうがいいと言われました。しかし、その先生がどうも信用ならないと思って、ふだんかかりつけの先生と相談して、セカンドオピニオンを受ける先生を紹介していただきました。最初の先生は腹腔鏡手術では日本で1、2を争う名医だと言われていましたが、私が「セカンドオピニオンを受けたいのですが」と言うと、「僕のところからセカンドに行くのか!」と怒られました(笑)。それで、セカンドオピニオンの先生にMRIで診ていただいたところ、腫瘍がバルーンのようになっていて、どこにつながっているかわからないけれど、卵巣膿腫じゃないかと言われ、腹腔鏡手術をしていただきました。

鎌田 手術をした結果、場所が卵巣ではなかったけれど、良性だったと言われた。

吉野 手術中の細胞診の結果、良性だったと言われました。

鎌田 いわゆる上皮性のがんではなかったために、細胞診をしてもわからなかったんだ。

吉野  細胞診で良性だと確認してから、腹腔鏡で腫瘍を切り刻んだようです。それが結果的にがん細胞をばらまいてしまうことになりました(笑)。

鎌田 開腹手術だったら、できるだけ残さないように大きく切り取りますが、腹腔鏡手術の場合、腫瘍が大きいと、どうしても切り刻みますよね。

吉野 あとでいろんな先生に聞きますと、私の場合、10センチの腫瘍でしたが、悪性度は低く、形はバルーンのように球状になっていて、首根っこが1カ所に付いているだけでしたから、開腹手術できれいに取り除けていたら、再発転移はなかっただろうと、皆さんおっしゃいます。でも私は、これが運命だなと(笑)。

手術後の病理検査で悪性の肉腫と診断

鎌田 よく笑って言えるなぁ(笑)。

吉野 最初に何の病気でもないと診断され、その後10センチになったときも、良性と診断され、腹腔鏡手術のときの細胞診でも良性と確認した上で腹腔鏡手術を受けたわけですから、手術した結果、違いましたと言われても、もうこれは運命と受け止めるしかありませんよ(笑)。

鎌田 結果的に、腹腔鏡手術後の病理検査で、悪性の後腹膜平滑筋肉腫と診断されたんですね。そのとき、かなり厳しい予後を言われたんですか。

吉野 心のある先生でしたが、良性と診断されていたからか、オドオドされちゃって、もう僕の手には負えないという感じでした。そして1週間後に、「とにかく開腹して、取りこぼしたものを全部回収したい。その後、6カ月間、抗がん剤をやりましょう」ということでした。私は抗がん剤は肉腫に効くというエビデンス(科学的根拠)がないと聞いていましたので、その治療を拒否したわけです(笑)。

鎌田 しかし、しばらくして腫瘍は大きくなり、再発した。

吉野 6カ月後ぐらいに再発して、初めて開腹手術をしたら、腫瘍が60個ぐらいありました。

鎌田 切り刻んだがんが散らばってしまっていたわけですね。大変な手術だった?

吉野 その後にもっと大変な手術がありましたから、今から思えば、そんなに大変ではなかったような感じもしますが、数からすると、やはり大変でしたね。でも、心のある先生と、その先生からバトンタッチされた悪性腫瘍の先生がとてもいい先生で、1つひとつきれいに取ってくださったようです。

鎌田 それが2回目の手術。

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