がん細胞から世界平和まで縦横に語り合う白熱の3時間 「知の巨人」立花さんが自らのがん体験を踏まえ、樋野さんに鋭く迫る がん特別対論・立花 隆(評論家) × 樋野興夫(順天堂大学医学部教授)

撮影:板橋雄一
構成/江口敏
発行:2008年11月
更新:2019年7月

  

生きるとは、いずれがんになる運命のどこかの地点にいることだ

評論家の立花隆さんは昨年暮れ、膀胱がんを手術した。その渾身の闘病ドキュメントは、月刊「文藝春秋」(5~7月号)に連載された。思想史から宇宙論まで幅広い評論を手がけてきた博覧強記の立花さんは、いま、真摯なまなざしでがんを見つめている。その立花さんが、「がん哲学外来」を開設し、行き場を失ったがん患者さんと真剣に向き合っている順天堂大学教授で病理・腫瘍学者の樋野興夫さんに、がんとその周縁について鋭く迫った――。

 

立花隆さん


たちばな たかし
1940年、長崎市生まれ。1964年、東京大学文学部仏文科卒業、文藝春秋に入社。その後、東京大学文学部哲学科に学士入学した後、ペンネーム「立花隆」でジャーナリストとしての活動を開始する。1974年、月刊「文藝春秋」に田中角栄首相失脚のきっかけとなった「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表し、ジャーナリストとして不動の地位を築く。現在は、政治・経済から生命・宇宙論まで、幅広い分野で評論家として活躍中。昨年暮れ、膀胱がんの手術を受け、月刊「文藝春秋」(5~7月号)にその同時進行ドキュメントを連載した。近著に『天皇と東大 大日本帝国の生と死』(文藝春秋)『滅びゆく国家』(日経BP社)『ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊』(文藝春秋)など

 

樋野興夫さん


ひの おきお
1954年、島根県生まれ。順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授、順天堂大学大学院医学研究科環境と人間専攻分子病理病態学教授、医学博士。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、癌研実験病理部長を経て、現職。順天堂大学医学部付属順天堂医院に2005年に「アスベスト・中皮腫外来」、2008年に「がん哲学外来」を開設した。主な著書に『われ21世紀の新渡戸とならん』『われOrigin of Fireたらん―がん哲学余話』『がん哲学』など

生きるということはがん化への道です

立花 樋野さんは順天堂大学病院で「がん哲学外来」を開き、がん患者の苦しみや悩みに関する相談に応じていますが、そもそも「がん哲学」という概念はどこから発想したのですか。

樋野 若き日に出会った人物が東大法学部の南原繁の弟子で、私は若い頃から南原繁に関心を持っていました。南原繁の「政治哲学」の提唱にならい、「科学としてのがん学」を学びながら「がん学に哲学的な考え方を取り入れていく領域がある」との立場に立ち、「がん哲学」という言葉を造ったわけです。

立花 南原繁がルーツですか。がんと哲学はおよそ無縁に思われますが、そこに南原繁が絡んでいるとは面白い。

樋野 私は順天堂大学に来る前、癌研究会に居りました。1960年代の癌研所長に吉田富三という人がいます。NHKのディレクターだった吉田直哉さんのお父さんです。吉田富三からは「がん細胞に起こることは、人間社会にも必ず起こる」という考え方を学びました。
「がん哲学」という発想は、吉田富三から大きな影響を受けていると思います。

立花 きょうここへ来る途中、国立がん研究センターの総長だった杉村隆さんの『自らがん患者となって』という本を読みながら来ました。この本の出版元が哲学書房。きょうは「がん哲学」に縁があると(笑)。

樋野 杉村先生には、今もいろいろ大事な核心的ポイントを学んでいます。先週も最近の流行であるがんの Stem cell(幹細胞)の言葉が既に1952年の吉田富三の論文の中にあることを教えて頂きました。

立花 その本に書かれていましたが、国立がん研究センターの歴代総長は、ほとんどががんで亡くなっているそうですね。

樋野 そうですね。とにかく現代は2人に1人ががんになる時代ですからね。今では、生きるということががん化への道ですよ。私たちの身体は37度の体温にインキュベートされていますから、必ずDNAが傷つきます。だから、がんは避けられないのです。生きることががん化への道であり、がんにならない唯一の方法は死ぬことです(笑)。

立花 なるほど。生きることはがんになること、ですか。

樋野 2回以上分裂する細胞にはがんが起きるのです。分裂する能力のない細胞からはがんは起きません。外からどんな刺激を与えたとしても、死んだ細胞はがんになりません。

「がん哲学」から見た世界平和の極意

立花 僕も自分ががんになる前から、がんに興味を持ち、いろんな本を読みましたが、読めば読むほど奥が深いと思いますね。

樋野 なぜこの地上にがんが存在するのか、誰も説明できません。私たちが説明できるのは、WHYではなくHOW、いかにしてがんが存在しているかという点です。

立花 そもそも、がん細胞とはどんなものですか。

樋野 がん細胞の大きな特徴はトランスフォーメーション、顔かたちが変わること。そしてインモータライゼーション、永遠性。最初からインモータライズな細胞はがんになりません。順番が狂って、最初に顔かたちが悪くなったものが、永遠に生きる。これががん細胞です。ただ、最初の段階のがんは、まだアンテナ型であり、依存性が強く、それほど怖くありません。

立花 アンテナ型?

樋野 ホルモンなどに依存するアンテナ型です。乳がんでも前立腺がんでも同じですが、最初のうちは周辺の情報に依存するアンテナ型です。それがいつしか羅針盤型になり、自分の意志で動き始める。そのアンテナ型から羅針盤型に移行するステップがあるはずですが、まだよく解明されていません。

立花 その段階を超えたというメルクマール(指標)は何ですか。

樋野 あとから考えれば、遺伝子の異常が付加されているということです。転移を起こさなかったものが転移する。浸潤しなかったものが浸潤する。そこにはそれに付随する遺伝子の異常が加味されているということです。だから、がんの進行は多段階的なんです。

立花 うーん、僕は最初「がん哲学」と聞いたとき、患者の生き方に関する問題だとイメージしましたが、がんそのものを哲学的にとらえるという視点もあるわけですね。

樋野 「がん哲学」の考え方をひと言で言えば、先ほど述べましたように「がん細胞に起こることは、人間社会にも必ず起こる」ということです。がん細胞というミクロの世界を研究すれば、人間社会というマクロの世界もわかってきますね。がん細胞の研究をすれば、どうしたら世界平和を実現できるかも具象的にわかってくるものです。また、「がん哲学」は「生物学の法則」と「人間学の法則」をプラスしたものですから、その視野は広々としたものです。

立花 たとえば、人間の身体にがん細胞ができるということを、人間社会に当てはめると、どういうことになりますか。

樋野 人間の細胞がなぜがん化するのか、そのメカニズムは、人間社会で1人の人間がどうしてぐれて悪くなるのか、どうすればそれを立ち直らせることができるかということに、示唆を与えてくれます。また、私たちの身体には「がん遺伝子」がある一方、「がん抑制遺伝子」もあります。交感神経がある一方、副交感神経もあります。つまり、私たちの身体の中には、相対するものが共存しています。その姿は同心円ではなく、2つの中心を持つ楕円形で、緊張感の上に上手にバランスを保っているわけです。
がんも共生ではなく共存ですよ。これを人間社会に当てはめれば、平和の極意は緊張の上にバランスを保つ共存関係を築くことだと言えるわけです。

1人の人間の異常で地球ががん化する恐れ

立花 がんのメカニズムから世界平和を説くことができるとは思わなかった(笑)。授業でもそういう講義をするのですか。

樋野 やります。私は順天堂大学で「がん哲学」という授業のコマを2つ持っていますからね。また、こんど講演で「日本肝臓論」というテーマで話をします。

立花 日本肝臓論?

写真:立花さんと樋野さん

樋野 肝臓は正常なときには分裂せず静止状態ですね。つまり、順調な時には、ごちゃごちゃ言わない。しかし、イザというときには再生能力抜群で、3分の2を切っても2週間で元どおりになる。そして異物に対して寛容性を持つ。だから肝移植が容易にできる。また、解毒代謝作用がある。さらに血中を流れているタンパクの80パーセントは肝臓で造られていると言われています。日本も肝臓のような国になれば、世界から尊敬される、という話です(笑)。がん、臓器、生命現象は世界共通語ですから、がんや臓器や生命現象にたとえて平和の話をすれば、難しい話も具象化され、人種を超えて、思想を超えて世界に通じるのです。
たとえば虫垂。正常なときには何の意味もないように見えます。しかし、そこに炎症が起き虫垂炎になると、身体全体が痛み、虫垂の存在を知ります。国際情勢も同じですよ。どんな小さな国でも、そこに問題が起きれば、世界中に影響が及ぶ。

立花 グルジア共和国の問題がロシアとアメリカの新たな冷戦につながりかねないというのは、虫垂が身体全体に痛みを及ぼしているようなものですか。

樋野 そういうことです。人間の身体は60兆の細胞から成り立っていますが、1個の細胞を地球の大きさにたとえると、染色体が国の大きさになり、遺伝子が町の大きさになり、塩基が1人の人間の大きさになります。塩基1個の異常で細胞はがん化します。ということは、1人の人間の異常で地球ががん化し得るということです。また、遺伝子治療で1つの塩基を治すことによって細胞を救うことができますから、1人の人間で地球が救えるということもできます。だから1人の人間の力をあなどるな、というのが発がん病理の立場です(笑)。

立花 恐れ入りました。これまで、そういう形でがんを語った人はいないんじゃないですか。

樋野 いないかもしれません。ただ、吉田富三は「がん哲学」とは言わなかったけれども、顕微鏡を通して哲学、思想を語る人物でしたね。私がそんなことを考えられるのは、病理学が専門で忙しくないからです。いつも「暇げな風貌」をしていますから(笑)。臨床医は忙しすぎますから、そんなことを考える暇はないでしょうね。


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