仕事をしながら療養する
患者体験を再就職先で仕事に生かす

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
(2011年10月)

佐藤 恒さん 佐藤 恒さん

建設機械メーカーの営業をしていた佐藤恒さん(44歳)は、10年前、急性骨髄性白血病と診断された。入院は約1年間。治療費には、健康保険の傷病手当金を充てた。退職後、雇用保険の基本手当の支給を受けながら職業訓練校に通学。今は臨床試験の支援などを行うNPO法人で、データマネジメントの仕事に取り組む。

右腕の腫れと痛みから発覚した急性骨髄性白血病の罹患

2001年10月ごろ、佐藤恒さんは、右腕に腫れと痛みを感じた。40度の発熱もあった。勤務中の会社に事情を説明し、休暇を取った。ふらふらの状態で、近所のクリニックに駆け込んだ。紹介された総合病院で血液検査をした結果、担当医から「急性骨こつずいせいはっけつびょう髄性白血病です」と言われた。34歳のときだ。

1人娘を子育て中の妻が、病気と病院の情報集めに奔走した。入院中の総合病院の配慮で、都立病院に救急車で転院した。病気のせいで体の免疫力が極端に落ちたため、右腕に感染症が起きていた。

診断されたとき、社員100人ほどの建設機械メーカーの営業をしていた。道路の舗装機械のメーカーで、本社と工場は大阪にある。入社して8年目。東京営業所に勤務し、販売店やユーザーへの営業だけでなく、道路工事の現場に出向くことも多かった。夏は、気温40度超えの舗装現場で作業をした。冬は、道路の凍結防止剤を撒く専用車も扱っていたから、マイナス10度の現場で作業をしたこともあった。

営業部長兼務の東京営業所長と同僚らは、「病気が治ったら戻ってこいよ」という感じだった。しばらく有給休暇を取った。その後、健康保険から傷病手当金()の支給を受けた。欠勤1日につき、標準報酬日額の3分の2が、最長1年6カ月間支給された。

傷病手当金=病気休業中に被保険者とその家族の生活を保障するために設けられた制度。病気やけがのために会社を休み、事業主から十分な報酬が受けられない場合に支給される

雇用保険の基本手当を支給されつつ、職業訓練校でスキルを磨く

佐藤さんの急性骨髄性白血病は、M0というタイプだ。骨髄移植による造血幹細胞移植を提案された。白血球の型(HLA型)が一致した骨髄提供者(ドナー)から採取した正常な骨髄を、静脈から輸血のように体内に入れて、患者の造血幹細胞と入れ替える移植である。ただし、活動性の感染症があると、骨髄移植はできない。

入院して1カ月後、右腕の感染症の治療として、お腹の皮膚を右腕に移植する皮膚移植を行った。また、免疫力の低下で、肺の感染症もあった。肺の一部を切除するかどうかの検討もされた。たまたま入院中に、新しい抗真菌薬の治験が行われていた。その治験に参加した。幸い、治験薬のおかげで、肺の感染症は改善した。佐藤さんは「治験に積極的に参加してよかった」と言う。

化学療法がよく効いて、急性骨髄性白血病の症状は安定し、血液学的な寛解()を得た。

入院して8カ月目、骨髄バンクのコーディネートにより骨髄移植をした。移植後、免疫抑制剤や抗菌剤を飲みながら回復をめざした。体力はゆっくりと回復した。

02年9月に退院。入院期間は1年ほど。治療費は、高額療養費制度を使った。退院後は、傷病手当金の支給を受けながら、自宅で療養。職場復帰をめざして、自宅周辺の散歩などで体力の回復に努めた。白血病の患者会に参加し、患者仲間からいろいろなことを学んだ。

「体力を考えると、すぐに営業の第一線に戻るのは無理でした。当分はデスクワークしかないと思いました」

自宅療養中、傷病手当金の1年半の支給期間が終わった。それと同時に会社を退職した。会社都合による退職扱いだったから、雇用保険の基本手当がすぐに支給された。

03年10月1日から半年間、基本手当の支給を受けながら、自転車で職業訓練校に通った。デスクワークの仕事をめざして、パソコンで会計ソフトを使いこなせるように簿記の基本から学んだ。朝9時から夕方5時まで密度の濃い授業を受け、充実した毎日だった。半年間で、デスクワークのできる体力とパソコンのスキルを身に付けた。

血液学的な寛解=体内の白血病細胞が10の11乗個以下になり、血液のなかに、白血病細胞の残存がほとんど認められなくなった状態

治験に参加した経験を生かして臨床試験にかかわる仕事に挑戦

職業訓練校の訓練を終えるころ、NPO法人日本臨床研究支援ユニットでの仕事の話を知人から聞いた。同支援ユニットには、血液疾患などの治験、臨床試験の登録やデータを管理するデータセンターがある。

「自分が体験した白血病の臨床試験のお手伝いができる。社会貢献ができる。チャレンジしてみようと思いました」と佐藤さん。

04年4月。佐藤さんは、同支援ユニットで、臨床試験のお手伝いを始めた。最初からフルタイム勤務で、出勤時間は体調に合わせて自分で決めた。一般の会社と同じく、健康保険、厚生年金、雇用保険にも加入。今では、佐藤さんを含めて数名の元がん患者が勤務している。がん患者に理解のある職場である。

建設機械メーカーにいたときよりも収入は減った。減った分はボランティアだと思っている。妻と共働きになったので、1人娘との生活は何とかなる。

骨髄移植してから9年が過ぎた。健康状態は、普通の人とほとんど変わらない。急性骨髄性白血病の治療や検査はしていない。年1回、一般のサラリーマンと同じように、健康診断を受けているだけである。

同支援ユニットではニーズが増えて、現在のスタッフは100人ほど。佐藤さんは、血液・小児研究支援部門の2人のリーダーのうちの1人として活躍する。最近は、主に臨床試験の安全性情報の管理や、治験の副作用情報を独立行政法人医薬品医療機器総合機構に伝える仕事をしている。臨床試験関係の仕事は増えている。

佐藤さんのように、臨床試験のデータマネジメントを行う人が求められている。

「がんになっても、職場復帰して、それまでの仕事ができるのが1番よいと思います。もし、それが難しくて就職活動するのであれば、臨床試験にかかわる仕事にチャレンジしてみるのもよいかもしれません。患者体験が仕事に生かされます。体力が回復して、パソコン操作の技術があれば、取り組めると思います」と佐藤さんは勧める。

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雇用保険の基本手当
離職して、仕事を求めているのにもかかわらず仕事が見つからないとき、失業中の生活を心配せずに再就職活動ができるように支給されます。離職の日以前2年間に11日以上働いた月が12カ月以上あったときに給付が受けられます。支給日数は、離職理由、雇用保険被保険者として雇用された期間、離職時の年齢、就職の困難性などで定められています。2011年8月1日から基本手当の日額が、5年ぶりに引き上げられました。