仕事をしながら療養する
手術をした月に会社が倒産。高額療養費と生命保険を活用し、医療費を支払う

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
発行:2008年12月
更新:2013年4月

  
田中哲男さん 食道がん術後8年目の
田中哲男さん

田中哲男さん(現在、56歳)は、48歳のとき、食道がんで手術をした。18年間、取締役・営業部長を務めたコンピュータソフト会社を退職したばかりだった。手術をした月に、会社は倒産し、自身も自己破産した。国民健康保険制度の高額療養費と民間の生命保険を活用して、医療費を支払った。術後8年目。「これからは困った人を手助けするボランティア活動をしたい」と言う。

48歳で会社を退職し、国民健康保険と国民年金に加入

田中さんは、都内の大学を卒業後、大手就職情報会社の営業部で働き始めた。就職雑誌の営業広告で手腕を発揮した。

30歳のとき、ソフト開発会社の青年社長から取締役・営業部長としてスカウトされた。全国のホテル向けにソフトを開発し、運用のメンテナンスを行う会社だ。ソフト会社の取締役・営業部長として、就職情報会社での8年間の経験を活かして貢献した。好景気に後押しされて、会社は成長し続けた。社員は50~100人になった。

しかし、45歳を過ぎた頃から会社の経営が傾き始めた。メンテナンスのトラブルが重なった。資金繰りに苦しみ、10~20社の支払いに追われた。田中さんは、取締役・営業部長として、トラブルに対応し、取引先に協力を求め、経営の建て直しに奔走した。仕事のストレスで、酒量が増えた。深酒の毎日だった。

「会社を建て直せると信じて努力しましたが、思うようになりませんでした。貯金を切り崩し、生命保険の解約による還付一時金などで生計を維持しました。借金もしました」と田中さん。

社員への賃金支払いも苦しくなった。社長と5人の取締役は、何度も会議を開いた。経営の継続か、会社整理かで、意見が分かれた。99年12月末に、会社整理を提案した田中さんは、会社を退職することにした。48歳のときだ。退職後は、国民健康保険と国民年金に加入した。

00年4月末の検査結果で食道がんとわかる

田中さんは、会社の経営が思わしくなくなった頃から身体に異変を感じていた。食事のとき、のどの奥がつかえて、食べ物が胃に落ちなくなった。水を飲んで、食べ物を流し込むようにした。しかし、病院嫌いのため、受診は先延ばしにしていた。

00年4月に、やっと、近所のAクリニックで、レントゲン検査、内視鏡検査を受けた。予感は的中した。4月末の検査結果で食道がんとわかった。意外なほど冷静だった。5月1日、手術のために、紹介先のB大学病院に緊急入院。田中さんは、身辺整理を始めた。病院から会社にFAXで取締役退任届けを提出し、手術前日、遺書を綴った。5月17日、午前9時から9時間の大手術を受けた。食道の半分、胃の5分の1、肺の一部を切除した。食道がんでステージ3だった。10日間、集中治療室にいた。手術後、病院の食事以外に、自身の判断で、粉末の栄養剤やドリンク剤などを摂取した。体力がついた。気力がわいてきた。家族や友人の見舞いにも励まされた。

「手術をした5月に、会社が倒産し、私自身は自己破産をしました。しかし、がんになったことで、病院に逃げることができました。がんのおかげで生き延びることができたのです。手術後は、ゼロからのスタートになりました」と田中さん。

入院中、気がかりだったのは医療費である。調べたり、聞いたりして、高額療養費制度を知った。また、契約期間が短くて解約還付金が戻らないため解約しなかった1本の生命保険に助けられた。その生命保険で、1日1万円の入院費を支払うことができた。

高額療養費の支給が経済的に大きな支えとなる

00年8月14日に、やっと退院。自宅で静養した。飲酒はきっぱりとやめた。しかし、9月3日に、食べ過ぎて、救急車で緊急入院。1カ月ほど再入院し、入院中迷った末に、抗がん剤治療を受けた。さらに、11月20日に、3度目の入院。10日間入院し、抗がん剤治療を受けた。各月に病院の窓口で支払った医療費の自己負担額は以下である。Aクリニックで、00年4月2万4082円。B大学病院で、4月2万0010円、5月84万1030円、6月21万2870円、7月21万6800円、8月9万1790円、9月22万6950円、10月3万0520円、11月11万1160円、12月2万4150円。自己負担額の合計は177万5280円。「」印が高額療養費の対象になり、申請した。現在の国民健康保険制度で試算すると、合計132万1360円が還付され、自己負担額は合計45万3920円となる。「高額療養費の支給は、経済的に大きな支えになりました」と田中さん。

3度目の退院後、1年間は自宅で静養した。過去の仕事のことはすべて忘れた。得意のパソコンと向き合って過ごす時間が多かった。歩いて汗を流し、近くの銭湯でのんびりと過ごした。

02年夏頃から就職情報誌などで営業以外の仕事を探した。日雇派遣会社の契約社員として、派遣先の倉庫で荷物運びなどをした。週1日しか仕事がないときもあった。次は、食品工場で、期間契約で働いた。さらに、羽田空港で荷物運びや仕分け作業をした。体力に自信を持ち、深夜作業もした。06年から派遣会社の契約社員として横浜の工場で、20~30代の若者と一緒に汗を流した。1年後、工場の契約社員になり、現在、正社員として働く。

08年2月に、命拾いの体験をした。帰路、横断歩道を走ったあと、近くの喫茶店内で倒れ、救急車で病院に運ばれた。胃の潰瘍の破裂による貧血で、内視鏡で止血する緊急手術で救われた。

「手術時に切除した胃の組織検査で、がんでないことがわかりました。『無茶はするな』との戒めと受け止めています」と田中さん。

術後8年目。08年の夏休みに、タイのプーケット島を旅行した。04年暮れに大津波で被害を受けた島は、観光客で賑わっていた。田中さんには、美しい島の復興と手術後の自分の歩みが重なって見えた。

「尊敬する人はマザーテレサです。今後は、困った人に直接貢献できるボランティア活動をしたい」と田中さんは言う。

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高額療養費
国民健康保険法では、同月内に同じ医療機関で支払った自己負担額が一定の限度額を超えた場合、申請によって超えた分が支給されます。(1)70歳未満と70歳以上75歳未満(2)所得(一般、上位所得者、住民税非課税世帯)(3)過去12カ月間の1世帯での高額療養費の支給が3回目までと4回目以降とで、限度額は異なります。田中さんの場合、48歳、一般での試算です


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