「倦怠感」を感じていても、医療者に話せない、話していない患者さんはとても多い
もっと伝えてほしい、がんの倦怠感

取材・文:半沢裕子&がんサポート編集部
発行:2009年7月
更新:2013年8月

  

病院で「だるい」「落ち込む」なんて話を言っても
しょうがないと思っていました
平澤睦さん(46歳)

平澤睦さん 平澤睦さん

ひらさわ むつみ
自治体職員。98年に左乳管内乳頭腫で部分切除後、05年局所再発で乳房温存療法。07年、右乳房にがんが見つかり、乳房温存療法後、ホルモン療法を続けて今日に到る。乳がん患者会「イデア・フォー」世話人

がんで3回治療を受けましたが、いちばんきつかったのは2007年の3回目のときでした。

98年に小さながんが左乳房に見つかり、部分切除後に経過観察。7年後の42歳のとき、局所再発をして乳房温存療法を受けましたが、10年来交際していた現在の夫と結婚し、妊娠希望があったので、術後のホルモン療法は受けませんでした。その2年後に右乳房にがんができたのです。「何でこんなに何回も」という思いもありましたが、術前の抗がん剤治療(CEF療法(※1)4クール、タキソテール4クール)が現実にきびしかったです。加えて「妊娠はむずかしい」という事実があり、いわゆる「倦怠感」が出てきたように思います。

CEF療法は体が重く、胃をわしづかみにされるようなムカムカを感じましたし、タキソテールのときは体がこわばり、味覚障害が出ました。食べもののことを考えて抗がん剤治療を乗り切っていたのに、食事も楽しめなくなりました。でも、味覚障害については医師に言っても「へえ、そうなんですか」という感じだったので、問題になるような副作用ではないのかなと思い、それ以上言えませんでした。

脱毛のことは知っていましたが、やっぱりショックでした。今はウィッグ(カツラ)があり、外も歩けますが、お風呂上がりにはどうしても脱毛した姿が見えてしまう。爪も日常生活に差し障るほど黒くなりました。それまでは朝に飛び起きてそのまま出勤という人だったのに、カツラをかぶり、メイクをし、爪の手入れをする。おしゃれに目覚めてメイクが楽しい反面、おしゃれでメイクをしているわけじゃない。「私、何やっているんだろう」と思いました。

職場には恵まれ、働き続けられましたが、それでも以前と同じように働けない部分もある。病気のせいにしたくないと頑張るわけですが逆にプレッシャーになって、2倍落ち込む。今も、そんなことがあります。

そういうことを医師に伝えようと考えたことは、ほとんどないですね。病院は乳がんのことを話す場であって、「だるい」「落ち込む」なんて話をする場じゃないという感じ。痛みとか貧血とか、解決策があるような症状なら言うけれど、言ってもしょうがないと思っていました。5月号の倦怠感の記事を読み、「言ってもよかったんだ!」と目からウロコでした。

倦怠感を軽くするには生活を楽しむ。そのために自分なりに行っているのは、鍼灸や都内お風呂巡り、野球観戦やコンサートなど、病気の前にできていた好きなことを、1つずつ再開すること。髪が戻って自分の頭で出かけられるなど、以前と同じようにできることが、気持ちの支えになりますね。「適当にする」ことも、大事ではないかと思います。情報がありすぎると、逆に心配事が増えてしまう。「まあいいや」という気持ちがあるとないとでは、物事の受け止め方に差があるような気がしています。

※1 CEF 療法……シクロホスファミド(一般名、Cyclophosphamide)、エピルビシン(Epirubicin)、フルオロウラシル(Fluorouracil)という3種類の異なる作用機序の抗がん剤を組み合わせた治療

治療の最初から終了まで感じていた倦怠感。
妻や娘との生活が立ち向かう原動力に
吉田寿哉さん(48歳)

吉田寿哉さん 吉田寿哉さん

よしだ としや
一橋大学卒業後、大手広告代理店入社。89年、アメリカ国際経営大学院でMBA取得。2003年に急性骨髄性白血病を発病し、翌年臍帯血移植。05年復職。著書に『二人の天使がいのちをくれた』(小学館刊)

03年に急性骨髄性白血病とわかり、がん化した白血球を減らすための寛解導入療法、4クールの地固め療法(がん細胞をとことん減らす治療)を受けて退院。まもなく再発し、臍帯血移植(※2)を受けました。いずれも激烈な治療ですから、一貫して吐き気、口内炎、便秘、頭痛、倦怠感などに苛まれました。

最初は緊急入院だったので、歯の治療が受けられず、虫歯から感染症を起こして、歯ぐきが腫れたり、出血したりしました。地固め療法のときは毎回、3日~1週間、便もガスも出ない徹底的な便秘になりました。飲食が禁止されて点滴になり、夜も眠れないほど苦しかったですね。吐き気が1番ひどかったのは、移植前処置のとき。1日数10回も吐き、しまいに、洗面所に椅子を持ち込みました。

だるさや倦怠感も、治療の最初から終了まで、ずっと感じていました。倦怠感でうつになる人もいると聞きましたが、ぼくは楽天的なのであまり気になりませんでした。それでも、トイレに行くのもだるい、人と会話する元気もないという日はありました。本を読む気にもならず、音楽のCDを入れ替えるのも億劫でした。倦怠感が最もきつかったのは、移植直前から移植後に組織が生着するまで。抗がん剤に放射線が加わると、だるさがいっそうひどくなり、火傷の感覚や吐き気などの身体症状もあいまって、身の置き所がない感じでした。 副作用が強いときは孤独感を感じ、とくに夜がきつかったです。身体的につらいうえ、看護師さんの行き来も減り、家族も友人もいない。相部屋だと電気もテレビもつけられず、ひたすら朝が来るのを待ちました。

そんな激烈な治療や副作用に立ち向かうとき、最大の心の支えはやはり家族や友人でした。発病の直前に結婚し、移植が成功して退院した翌日に娘に恵まれたという事情がありました。

妻や娘と幸せな共同生活を築きたい、まだ何も築いていないという気持ちは、大きな原動力になりました。また、仕事が好きなので、早く復帰し、再びみんなと働いたり、酒を飲んだりしたい、という気持ちも心の支えでした。治療が一段落するたび、親しい人たちにメールで報告をしましたが、その返信の言葉にも励まされました。

それでも、つらい治療や倦怠感を乗り切る大前提は、「気の持ちよう」だと思います。ポジティブに考え、できるだけ体を動かすこと。ぼく自身は、「この苦しさを乗り越えてこそ、完治がある」「つらければつらいほど、治る可能性も高くなる」と考え、本を読む、日誌を書く、ビデオを見るなど、できるだけ何かするようにして、何とか治療をやり過ごしてきたように思います。

病気のつらさは、本人以外の誰にもわかりません。ぼくは「みんなはつらいというが、そんなにつらくない。ラッキー」と考えるようにしました。その意味では、比較できないつらさを自分としてどう意識するかということも、「気の持ちよう」の1つかもしれません。

※2 臍帯血移植……自分の造血幹細胞(白血球や赤血球のもとになる細胞)を抗がん剤や放射線で叩いて死滅させ、代わりに出産後のへその緒の血液(臍帯血)にふ くまれている新生児の造血幹細胞をもらう移植の方法

倦怠感を乗り越えられたのは、
家族の支えとブログ仲間による応援メッセージだった
三浦秀昭さん(53歳)

三浦秀昭さん 三浦秀昭さん

みうら ひであき
昭和31年札幌市生まれ。大手カード会社で新規事業に携わった。2003年に肺がん(腺がん、3B期)に。抗がん剤、放射線治療で会社復帰するが、4カ月後リンパ節転移、さらに1年後、脳転移。「がん患者支援プロジェクト」代表

私が倦怠感に苦しんだのは、2度目の再発で、脳転移をし、その治療でTS-1とシスプラチン併用の抗がん剤治療をしたときです。

がんになったのは、その2年ほど前の2003年4月のこと。肺に3センチを超えるがんとともに、縦隔リンパ節への転移も見つかり、ステージ(病期)は3B、非小細胞の腺がんでした。

最初の治療は放射線と抗がん剤です。これは功を奏し、一旦は会社復帰を果たします。しかし、4カ月後に縦隔リンパ節に転移が見つかり、これは放射線で治療しました。

そして、2度目の再発です。しかも場所が脳という大事な場所だったので、さすがに前向きに闘病に取り組んできた私もショックで、「もうだめか」と死を覚悟したほどでした。

その再発治療の抗がん剤は3クール、3カ月間受けました。最初にシスプラチンの点滴をし、その後20日間TS-1を飲み続けるのですが、そのTS-1を飲んでいる間中がずっと苦しいんです。全身がだるくてだるくて、何もする気がない。この倦怠感に加えて、色素沈着といって、顔や指が真っ黒になったので、精神的にもどんどん落ち込んでいき、ついにはうつ状態になりました。

最初の5日間は入院、その後は自宅で過ごすのですが、一切外出することなく、ずっーと部屋に閉じこもっていましたね。人と会いたくないし、友だちと話もしたくない。だから外出したくないわけです。

部屋の中に1人閉じこもっていると、考えることは悲観的、否定的なことばかりです。とくに脳転移でしたし、その上に抗がん剤の副作用が加わっているので、希望などわく余地がありません。

「がんが広がり、どんどん悪化していくのではないか」「これでは人生真っ暗だ」……そして、ついには自殺まで考えました。免疫力は落ちていくし、体もどんどん衰弱していく。ほんとにつらかったですね。

これを乗り越えられたのは、そのつらさに耐えること、堪え忍ぶだけでしたね。ただ、そのとき心の大きな支えになったのは、家族の励ましですね。みんなが気を遣ってくれて、一緒に食事をしてくれたり話をしてくれたのが何よりうれしかった。あまり考える力もなかったので、何を話してくれたのかよく覚えていませんが、家族の話してくれた言葉が大きな支えになったという事実はよく覚えています。

とくに家族に感謝したいのは、外に出たくない私を連れ出して、一緒に公園などを散歩してくれたことです。これはとてもよかったです。

それと、助けになったのは、インターネットでのブログ仲間たちとの会話ですね。自分のブログに現在の状態、つらい症状などを書き込むと、仲間が励ましや応援メッセージをくれる。ブログは公開だけど、彼らとの直のメールのやりとりでは隠し立てなしにいろんなことが話し合えて支えになりました。

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