小児がんの子どもの終末期医療にかかわる国内初のガイドラインを作成
小児がんの子どものために何ができるか、皆で一緒に考えて!

取材・文:「がんサポート」編集部
発行:2011年4月
更新:2013年4月

  
酒井正代さん

酒井正代さん

小児がんの子どもたちの病状や周りの医療者の状況などは、1人ひとり違う。それらの状況に合わせながら、「その子にとって最善なことは何か」について、子どもにかかわるすべての人に一緒に考えてほしい。そんな思いから、1冊のガイドラインが誕生した。作成にかかわった、子どもを亡くした親の思いとともにガイドラインを紹介する。

小児がんにかかった子どもの2割が命を失う現実

白血病、悪性リンパ腫、脳腫瘍、骨肉腫など、子どもに発症する「小児がん」は「肉腫」と呼ばれ、大人のがんとは性質が違う。骨や筋肉、血管などに発生し、その進行はとても速い。

小児がんの1970年ごろの死亡率は約95パーセント。当時、小児がんは治せないというのが通念で、緩和ケアしかない状態だった。80年代後半ごろから急速に抗がん剤などの開発が進み、現在は8割が治るようになった。

それでも、やはり2割の子どもたちは治ることなく、短い一生を閉じる。東京都在住の酒井正代さんの長男・光樹くんもその1人。3歳4カ月だった2001年に急性リンパ性白血病を発症し、3年半にわたる闘病の末、亡くなった。

当初、光樹くんの病気はローリスクと診断され、主治医から「7~8割のお子さんは治っています」と言われていた。

当時、正代さんは第2子を妊娠中で9カ月の身重。結局、次男の直哉くんを生後1カ月から乳児院に預けることとなる。

光樹くんは、化学療法、放射線療法とつらい治療に耐えたが、治療中に再発してしまう。

さい帯血移植をしたが、1年後に再々発。そのことを主治医から聞いたとき、「一瞬何を言われているのかわからなかった。再発、再々発のときは病気のことを知ってきているだけに、初発のとき以上に怖かった」と正代さんは話す。

今度は骨髄移植をめざして化学療法を開始。しかし、抗がん剤の効果がまったく現れず、化学療法を断念することになり、余命3カ月と告げられた。

病気は治せなくても少しでも長く一緒にいたい

写真:巨人戦を楽しむ酒井さん一家

2004年8月末、巨人戦を楽しむ酒井さん一家。左から成二さん、光樹くん、正代さん、直哉くん。家族4人そろっての最後の外出となった

しかし、「命をあきらめきれなかった」正代さんは、「財団法人がんの子供を守る会」の紹介で、真部淳さん(現・聖路加国際病院小児科医長)にセカンドオピニオンを求めた。

「ご両親もお子さんもよくがんばりましたね。これだけやってきたんだから、少し休んでみてはどうですか。訪問看護という方法もありますよ」

そんな真部さんの言葉に、正代さんは「それまで、さんざん『ほかに新しい薬はないのか』という気持ちだったのが、『そうか、あきらめるわけじゃないんだ』と思えたんです」と話す。そこで自宅に帰り、聖路加国際病院に転院して訪問看護を受ける決心をした。光樹くんが亡くなる半年前のことである。

自宅で訪問看護師から輸血や抗生剤などの点滴を受けつつ、光樹くんは家族旅行や同じ病気の子どもたちとキャンプに行くなど比較的元気に過ごした。正代さんは、「1日でも長く一緒に過ごしたい。病気は治せなくても、家族の力でいつまでもこのままでいてやる、守ってやるという思いだった」と当時を語る。

亡くなる10日前に光樹くんは発熱して入院。幸い、痛みに苦しんだのは最後の1週間だけで、04年9月9日に永眠した。

病状の進行とともに揺れる親の気持ち

3年半にわたる治療を振り返って感じることを正代さんに伺った。10年前のことなので現在と状況が違う部分もあるだろうが、耳を傾けてみたい。

まずは、初発の診断を恨む気持ちが今もある、ということ。「難治性のものだったのに、なぜローリスクという診断だったのだろう」という疑問は結局消えることはなかった。

次に、治療や副作用の説明について。抗がん剤治療開始前に、「プロトコール」と呼ばれる、何月何日にこの薬を投与するという治療計画表を渡された。

しかし、記号で書かれた薬の名前は全く理解できず、どんな副作用や晩期合併症()が起こるのかについても説明がなくて、後で光樹くんと同室の子どものお母さんたちに教えてもらった。

また、正代さんは、治療に対する考え方が、病状の進行とともに変わったと話す。

「初発のときは、『子どもにこんなに強い薬を使って大丈夫かしら』と心配でしたが、再発してからは、逆に治したい一心で『どんどん強い薬を使ってもらいたい』という気持ちにさえなりました」(正代さん)

小児科の専門医不足も憂いている。光樹くんの病院も、小児がんを診ている医師の数が、現在では当時の半数以下となっている。

これに対し、医師の立場から、同病院副院長の細谷亮太さんは次のように話す。

「小児がんの患者数は少ないため、医療の集約化を図ることが必要です。施設を絞って専門医を集め、そこでリーダーとなる医師がきちっと引っ張っていかなければならない。しかし、現在は小児がんに対する国の力の入れ方が不十分です」

教育・保育機関への期待もある。光樹くんの場合は保育園も小学校も非常に協力的で、最後まで楽しく通うことができたが、そういかない場合もある。

「こういう子どもたちは、外泊や退院したとき、家以外に行くところがありません。自分の社会や友達とのつながりを持てないのです」(正代さん)

晩期合併症= 心機能障害、低身長、知能障害、生殖機能への影響など、診断後5 年を経過しても持続する、または新たに出現する障害のこと

お互いの気持ちを思い合い過ぎて

写真:緩和ケアのガイドライン

『この子のためにできること緩和ケアのガイドライン』

このように、小児がんを患う子どもたちやその家族は、さまざまな悩みや不安を抱えている。そこで、終末(ターミナル)期の子どもの様子や、その周辺の状況を理解する一助となるようにと、昨年、小冊子『この子のためにできること 緩和ケアのガイドライン』がつくられた。

「子どもにとっての死」「親や家族ができること」「教育・保育の役割」「ターミナル期の過ごし方」などが16頁にわかりやすくまとめられている。小児がん治療に携わる医師や看護師、正代さんら子どもを亡くした家族、ソーシャルワーカー、養護教諭などが協力し作成した。

小児がんの子どもにかかわる人たちは、お互いの気持ちを思い合い過ぎて、治療の仕方や今後の過ごし方、最期の迎え方などについて、なかなか率直に話せないという。

「そのため、医療者と親が話し合うきっかけになるガイドラインをつくろうということになりました。〝この子のために何ができるのか〟を皆で一緒に話し合うきっかけにしていただきたい」。発行元の(財)がんの子供を守る会のソーシャルワーカーで作成委員の1人、樋口明子さんはそう話す。

治療開始時に渡せるようにと作成されたガイドライン

写真:緩和ケアガイドラインの作成委員会

何度も話し合いを重ねた、緩和ケアガイドラインの作成委員会の様子

写真:酒井正代さん片山麻子さん 樋口明子さん

(左から)ガイドライン作成に携わった酒井正代さん、片山麻子さん、 樋口明子さん

また、作成委員会委員長の細谷さんは「治療開始時に、このガイドラインを親に渡せるようにも作成したつもりです」と話す。

「親は、子どもたちにもっとがんばってほしいと思いがち。でも、人間は生き物なので、手を尽くしても子どもを治すことができず、最期を迎えなければならなくなる場合もあることをわかっていてほしい」(細谷さん)

同財団ソーシャルワーカーの片山麻子さんもうなずく。

「最期の時間を大切に過ごせた親御さんは、子どもさんが亡くなった後の後悔が少ないように思います」

正代さんも、セカンドオピニオンを受けたときが転換点になった。このとき在宅ケアに切り替え、抗がん剤治療から緩和ケアを中心にした治療に移行したわけだが、その後は自宅で家族一緒に過ごす時間を大切にできたのだ。ガイドラインには、正代さんに代表される、子どもを亡くした家族の思いや経験も生かされている。

あるいは、こんな活用の仕方をしてほしいと細谷さんは話す。

「医療チームにはさまざまな職種の人がいるが、各職種間の連携は決してうまくいっているとはいえない。そこで、たとえば勉強会を開いて、このガイドラインをもとに、だれがどういう役割ができるか話し合って共通理解を深めてもらえれば」

現在、年間約2000~3000人の子どもが新たに小児がんを発症し、全国で約1万7000人が闘っている。その子たちのために一体何ができるのか。ぜひこのガイドラインを活用して、皆で一緒に話し合っていただきたい。

ガイドライン本誌の請求方法
当会本部及び大阪事務所へ電話またはホームページよりご請求ください。冊子代は無料ですが、送料(5 冊まで80 円、10 冊まで160 円、それ以上の冊数をご希望の方はご相談)をご負担いただきますことをご了承ください。

問い合わせ先
財団法人がんの子供を守る会
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本部
〒111-0053 東京都台東区浅草橋1-3-12
TEL:03-5825-6311
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