ドキシル承認までの、卵巣がん患者たちが闘った3年間の軌跡
患者たちに、薬の承認を待つ時間はない!

取材・文:町口充
(2009年6月)

写真:片木美穂さん
卵巣がん体験者の会
スマイリー代表の
片木美穂さん

卵巣がんの患者らの願いが実って、抗がん剤ドキシル(一般名ドキソルビシン塩酸塩リポソーム注射剤)が厚生労働省から承認された。2度にわたる署名活動を行うなどしてきた患者とその家族、支援者たちの声が届いた結果だった。しかし、海外では広く使われているのに、日本ではいまだに未承認の抗がん剤はほかにも数多い。あまりにも長い承認までの時間の差、「ドラッグ・ラグ」の解消に向け、患者たちはまた新たな歩みを始めている。


09年3月30日、卵巣がん体験者の会「スマイリー」の事務所がある東京・三鷹市の片木美穂さん宅に、厚生労働省医薬食品局の審査管理課から1通のファックスが届いた。

どこよりも早く知らされた

「本日開かれた薬事・食品衛生審議会薬事分科会で、ドキシルを卵巣がんの治療薬として薬事承認することを了承しましたので、お知らせします」

どこよりも先に、片木さんの元に知らせてきたのだ。

正式承認は4月だが、いち患者団体に、決定のその日のうちに厚労省からファックスが送られてくるのは、異例のことと言えよう。それだけスマイリーの活動が国を動かすものだったという証左といえるかもしれない。

「今までの努力が報われた気がしました。たくさんの人たちに助けてもらいながら、自分たちがやってきたことは決して間違いじゃなかったと、感無量でした」。そう語る片木さんは、ドキシル承認をめざす活動の出発点となった06年の春を思い出す。

片木さんは04年、30歳のときに卵巣がんの手術を受け、卵巣と子宮を失った体験を持つ。その後、インターネットを通じ、がん患者や家族らと交流する中にハンドルネーム“たひ”さんという当時44歳の女性がいた。

卵巣がんの化学療法は、タキソール(一般名パクリタキセル)とパラプラチン(一般名カルボプラチン)の併用療法が第1選択薬で標準治療となっている。

しかし、中にはこの薬を使うとアレルギーを起こす人がいるし、治療を続けるうちに耐性ができて、効果がなくなってくる問題もある。ところが、現在このような場合に用いられる第2選択薬の種類が少なく、やがて治療の手段がなくなってしまう。

たひさんの場合がまさにそうだった。国内の承認薬ではもはや治療できないと医師から言われ、未承認薬のドキシルを試すしかないと、個人輸入に踏み切ることにした。ネット仲間たちもたひさんを応援した。そして、「誰かが動いてくれるのはもう待てない。たひさんのためにも、自分たちのためにも、ドキシルをはじめ、世界で有効と認められている抗がん剤の早期承認を求めよう」と、署名運動を起こす声が上がった。

しかし、スマイリーが活動を開始してからわずか2週間後、たひさんは志半ばにして帰らぬ人となる。署名活動はたひさんへの追悼も込めて取り組まれたが、何しろやることなすことすべてが初めてだった。病気のことも勉強しないといけないが、署名の提出先もわからない。

「わからないことは、何でも聞く!」。最初は三鷹市議会へ行き、耳を傾けてくれる議員に直接尋ねた。製薬会社にも電話をかけ、問いかけた。近所の婦人科クリニックを受診し、「診察はいいですから、ガイドラインのこの記述について教えていただけますか?」と質問したこともあった。

患者の声が大臣を動かす

写真:ドキシル早期承認の要望書を厚生労働省に提出

2009年1月27日、「卵巣がんのドラッグ・ラグをなくす有志の会」と「卵巣がん体験者の会スマイリー」が、ドキシル早期承認の要望書を厚生労働省に提出した

3カ月で2万8603筆の署名を集め、厚生労働大臣にあてて提出。それでも国は動こうとしなかったが、何度も厚労省の担当部局である医薬食品局審査管理課に足を運び、課長や担当者とコミュニケーションがとれたことが大きな収穫だった。

「厚労省によると、ドキシルには既存の治療を上回るデータが出ていないので優先審査に該当しない、ということでした。でも私たちは、再発などによって耐性やアレルギーが出た場合の選択肢を増やしてほしいと要望している、標準治療としては既存治療の成績を上回っていなくても、第2選択薬としての有用性を認めてほしい。今このときも、承認を待って命と向き合っている多くの患者がいるのですから、と訴えました」

片木さんは追加質問を重ね、承認の可能性を探り続けた。

そんな片木さんらに転機が訪れた。07年10月、日本テレビ系列のニュース番組で「ドラッグ・ラグ」の問題が取り上げられたのだ。日本では、製薬会社による申請の遅れや、審査官の数が少ないなどの問題があり、海外で発売されている薬の承認にも時間がかかる。あまりに長い承認までの国内外の時間の差が、ドラッグ・ラグ。その例の1つとして、片木さんらの運動とともに、ドキシルが取り上げられた。

翌日、この番組を見た舛添厚労大臣は「(ドラッグ・ラグ解消のため)新薬の承認期間を3年以内に、現在の平均4年から1年半(欧米並み)に短縮します」と発言した。

しかし、大臣の発言は新薬についてだった。ドキシルはすでにエイズ関連のカポジ肉腫の治療薬としては認められていたので新薬ではなく、卵巣がんでの承認はあくまで適応症の拡大。片木さんはすぐにその旨を手紙にしたため、大臣宛に送った。

すると11月に入って、厚労省の担当者から連絡が入った。

「ドキシルの優先審査は薬事法のルールでできないが、そのかわり迅速審査となりました」と。審査期間を短縮する優先審査以外に、新薬でなくても他に有効な治療法がなく、必要性が高いと認められた場合の迅速審査のシステムがあり、ドキシルをその対象にするというのである。

抗がん剤では異例のことであり、大いなる前進であった。

「もちろん、ただ待つだけでは何も動かないからと、08年5月にも要望書を提出し、担当者と意見交換をしました」

しかし、その後は、待てど暮らせど何の変化もなし。そんなとき、もう1度追い風となるテレビ番組が放映された。

あやちゃん23歳の訴え

写真:集まった署名は15万4552筆にものぼったち
集まった署名は15万4552筆にものぼった

スマイリーの会員で、長崎県在住の川上あやこさんが「卵巣がんと向き合う あやこさん23歳」と題する報道に実名で登場したのだ。

大学生だった川上さんは、21歳のときに卵巣がんが見つかり、手術。08年に晴れて卒業したが、卒業式の2日後に再発がわかり、卵巣と子宮の全摘手術を受けた。手術後再び始まった抗がん剤治療。しかし、抗がん剤は使い続けると効果がなくなる恐れがあるから、ドキシルが1日も早く使えるようになってほしい……。

「反響は大きく、あちこちから何かしないといけないという声が川上さん宅にずいぶん寄せられたそうです。番組をきっかけに、ご家族も、ずいぶん考え方が変わったとおっしゃっていました。今までは娘の病気に対して戸惑われていることも多く、ただ見守っていただけだった。でもドキシルの早期承認の願いを伝えたいと、強い意志を持ってテレビで話す娘の姿を見て、ようやくわが子の病気と向き合うことができた。親として何かしたいが、何をすればいいでしょうと、あやこさんのお母さんの由美子さんに相談されて、じゃあ、この勢いでもう1回署名を集めようということになったんです」

2回目の署名運動に踏み切ったとき、まわりの仲間から言われたのは、「1回目は盛り上がっても、2回目はうまくいかないものだよ」ということだった。それで片木さんも、由美子さんに言った。「目標は前回と同じ3万人。そこまでいったらヨシにしましょうね」

ところが由美子さんは、こう電話してきた。「いえ、2万、3万という数字じゃないと思いますよ。ものすごい数の郵便が届いているんです!」

福岡のサッカー少年団から、街頭署名をしたいと申し出があった。長崎では学校ぐるみで署名に取り組んだところもあった。

わずか2カ月半で15万4552筆の署名が集まり、09年1月、再び厚労省に提出した。

ドラッグ・ラグ解消に向けて

写真:川田龍平議員(左)主催の「患者の権利を守るための公開勉強会」で講師を務め、ドラッグ・ラグの現状を伝える片木さん

川田龍平議員(左)主催の「患者の権利を守るための公開勉強会」で講師を務め、ドラッグ・ラグの現状を伝える片木さん

ドキシルが卵巣がんの治療薬として認められた今、「次の活動がもう始まっています」と片木さんは語る。「使い方とか副作用とか患者目線で、ドキシルの正しい知識を伝えていきたい。承認に至るまでに、厚労省や製薬会社の方々が精一杯の努力をしてくださったのだから、その努力に報いていきたいです」

ドキシルが承認されて、片木さんの耳に喜びの声が多く届く。

「ドキシルの承認は、あくまでも、1つの壁を突破しただけです。ドラッグ・ラグが解決したわけではありません。根本解決のためには、がんだけでなく、疾患を越えて多くの患者が一緒に勉強して“患者力”を高めていくことが大切です」

片木さんは09年3月8日に都内で行われたセミナー「知っていますか? ドラッグ・ワクチン『ラグ』」や、国会議員を中心とした勉強会などで講演し、ドラッグ・ラグの現状を伝える。

現在、片木さんらは、次の訴えを厚労省や製薬会社に投げかけている。ジェムザール(一般名塩酸ゲムシタビン)のように、製薬会社が日本での卵巣がんの治験(臨床試験)を検討中で、これから治験に踏み切っても承認申請に至るまでに何年もかかるような薬剤は他にもある。そういった薬剤でも、海外や国内の症例で有効性・安全性が認められるものに関しては保険償還(※1)や、高度医療評価制度(※2)を利用して患者に薬剤を届けることができないのか。

「製薬会社1社だけに働きかけても、製薬会社が困ってしまいます。根本的解決には業界全体がこの問題を考えないといけないのです。今後は業界団体への働きかけも必要だと感じています」。ドキシル承認で、片木さんらの活動は新しい段階に入ったといえる。

※1 保険償還……その治療に対して保険適用外でも、妥当と判断された薬剤は特例として保険適用を認めるケース
※2 高度医療評価制度……認定されれば、未承認の薬を保険診療と一緒に使っても、未承認の薬剤費とその投与にかかる費用のみ全額自己負担となる。日本では保険診療と保険が効かない自由診療を組み合わせた「混合診療」は認められず、治療の一部に未承認の薬を使うと治療費を全額自己負担しなければならない


卵巣がん体験者の会スマイリー
代表 片木美穂
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