生きるすばらしさに灯を点す「一粒の種」
それぞれの思い、それぞれの物語


発行:2009年10月
更新:2014年1月

  

誰もがきっと心に持っている「一粒の種」。 そこには希望があり、生きることの喜びがつまっている。 さまざまな人生があるように、その一粒一粒は、さまざまな色や形で花を咲かせている。

自然の営みに生き続けることの大切さを教えられた
桜井なおみさん

視野を広げてくれた小さな命の営み

桜井なおみさん
桜井なおみさん

「一粒の種」――。初めて、その言葉を聞いたとき、私はこれまでの自らの人生を振り返らずにいられませんでした。

大学入学から現在に至るまで、私は一貫して自然を育み、命を育てる仕事に携わっているし、がんが見つかった後、落ち込んでいたときに視野を広げてくれたのも自然のなかでの命の営みでした。それに何より、今、特定非営利活動法人「HОPE★プロジェクト」で取り組んでいる活動の1つ、「ボタニカルキッズクラブ」()が文字通りの意味。一粒の種に託された生命の素晴らしさを子どもたちに伝えていく活動だから――。

私の右胸にがんが見つかったのは04年6月、私が37歳のときでした。それまで私はある環境デザインの設計事務所で屋上や壁面の緑化計画づくり、地球温暖化防止プロジェクトに至るまで、常に緑や自然にかかわるさまざまな仕事を続けてきました。

仕事は充実感に満ちており、夜遅くまで働く暮らしも苦になりませんでした。

それまでの私はインフルエンザにもかかったこともないほどの健康体でした。それが会社の定期健診で、右の乳房にしこりが見つかってしまったのです。

マンモグラフィ(乳房レントゲン写真)、エコー(超音波検査)、針生検と検査を受け続け、そのたびにあみだくじで悪い方向に進むように陽性の診断が下され続け、3週間後の確定診断でステージ(病期)2の乳がんであることを告げられました。

その過程で、病気に対する不安はどんどん増幅していき「死」という言葉が、自分の背中に張りついているように感じていました。

そうした不安をすべて払拭できればと、実際の治療では右乳房を全摘し、リンパ節も郭清。さらに、術後は抗がん剤による再発予防の治療も受けました。

私がつらかったのは、治療よりも治療後のリハビリでした。

手術の後、右手がまったく上がらない。テーブルの上の胡椒を1つとるのにも、大騒ぎしなければならない有様でした。これでは、とても仕事どころではありません。社会復帰を目指す私は、何としても身体機能を回復させなければとリハビリに精出すことにしたのです。

ボタニカル=植物学の意味

リハビリが嫌でたまらなかった

しかし、病院でのリハビリで私はさらに落ち込みました。その病院のリハビリルームでは交通事故で大けがをした人、脳梗塞で倒れた人など、いろんな患者が汗を流しています。そんな人たちを見ながら、私は自分との違いを感じざるを得なかった。

何といっても、私の背中には「死」という文字が張り付いてしまっているのだから……。

そんな私に希望の光をともしてくれたのが、猫のひたいほどの自宅の庭で垣間見たささやかな自然の営みでした。小さな生命の輝きは私を勇気付けてくれました。

ある日、病院のリハビリルームでゴムボールを握る運動をしているとき、たまたまその姿が鏡に写り、「自分は何をしてるんだろう」と思わず笑ってしまいました。そして同じことは自分が大好きな園芸作業でもできるのでは、と気がついた。それで慌てて自宅に帰り、治療にかまけて放ったらかしにしておいた花の切り戻しや庭木の剪定作業を早速始めたのです。

そのとき、ふと、ペチュニアの枝をはいまわるアブラムシの姿が目に入りました。しばらく経つと天敵のてんとう虫がやってきました。この小さなアブラムシが実は大きな大きな生態系の中で、不可欠の役割を担い、懸命に生きていることに私は気づかされたのです。

そんなとき、育種家の友人から聞いた「病気の種から思いがけない花が咲くこともある」という言葉も脳裏によみがえりました。実際、落ちこぼれのような病気の種から、それまで見たこともないきれいな花が咲くこともあるんです。

そう思ったとき、私は背中に張りついた「死」という文字と共存しながら、精一杯、生きていこうと思えるようになったのです。私にとって庭は、ただ鑑賞するものではなく、生命の輪廻を感じる場。こぼれ種から生まれる一輪の小さな花が、心に希望を灯してくれる一粒の種だったのかもしれません。

自然の輪廻をこどもたちに教えていきたい

写真:「ボタニカルキッズクラブ」

病気の子どもたちが園芸作業を通じて自然とふれあう「ボタニカルキッズクラブ」

写真:「ボタニカルキッズクラブ」

「一粒の種に託された生命の素晴らしさを子どもたちに伝えたい」と桜井さん

それからの私は人に何かを伝えようと、さまざまな活動に取り組むようになりました。

まずはじめに、子育て世代のがん患者・家族に、生命の成り立ちの素晴らしさを伝えたいと思って、ボタニカルキッズクラブの活動に着手しました。

この活動は月に1度、小児・若年性のがん患者と家族らとともに、公園などに集まって行う自然遊びの会です。樹木に聴診器をあてて、樹液が流れる音を聞いたり、大きな樹木の小さな種を探して回ったり、種や球根から、いろんな植物や野菜を育てています。そうして一粒の種が木になり、花を咲かせ、次の世代に命を引き継いでいく自然の輪廻やそのなかでの個々の生命の尊さを理解してもらえればいいなと思っています。活動開始から1年後、エッセイストの岸本葉子さんとともに「希望の言葉を贈りあおう」等の企画を「HОPE★プロジェクト」で展開しました。また、東京大学医療政策人材養成講座でがん患者の就労支援についての研究にも取り組み始めました。

たとえそれがどんなに小さな存在でも、生命はすべてかけがえなく、不要なものなど存在しません。生きとし生けるものすべてが存在することによってこの世界が成り立っているのです。

私たち人間も、同じでしょう。人は皆、支えあい、つながりあって生きている。花が咲くことに意味があるように病気になったことにも意味がある。そのことを1人でも多くの人たちに伝えたい。それが、今の私にとっての「一粒の種」と言えるのかもしれません。

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