アルファ・クラブ 世話人代表/梅田幸雄
「照る日、曇る日、嵐の日」がくれた、「支えあう」という生きる喜び

撮影:坂本政十賜
(2003年12月)

梅田幸雄

うめだ ゆきお
1919年、東京生まれ。1954年、株式会社日本短波放送入社。1959年、株式会社協和企画(日本医師会広告代理店)を設立。1979年、胃がんのため胃を亜全摘。この手術体験から1982年、胃を切った人友の会「アルファ・クラブ」を結成、世話人代表となる。「私は胃を切った後遺症のスーパーマーケット」と自認する。

俵  萠子

たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。



闘病が生んだ患者会というエネルギー

 なんというか、ものすごい病歴ですね。

梅田 ええ、13歳のときの虫垂炎に始まって、手術だけで15回、です。そのうち、全身麻酔の手術だけで10回、ですか。

胃がんの手術は79年、60歳のときのことで、その後、3年間に腸閉塞の手術が3回。74歳のときの喉頭がん、その2年後には舌がんもあって、これは目下、経過観察中です。これにまだ、重症の糖尿病もあります。

 次々に病気に見舞われるなかで、どうして患者会の活動を始めることができたのでしょうか。

梅田 一番大きな理由は「貧乏性」だからでしょうか(笑)。もって生まれたものですか。

 患者会の活動で、梅田さんは何をなさろうとお考えになったんですか?

梅田 それはやっぱり、多くの人が手術の後でこれだけ苦しんでいることを、医師に知ってほしい。そこから「アルファ・クラブ」の活動が始まって、それから10年くらいして、やっと外科医の、胃切除後の後遺症の研究会が始まったんです。外科に内科の医師も含めて、病気というものはこれだけ大変なことなんだ、という意識が生まれてきた。

要するに、どうやっておたがいに理解しあうか。医師と患者の話し合い、患者同士の助け合い。その意義は、創立から20年以上たった今も、まったく変わってはいないんです。

降るがごとくの入院生活のはざ間で

 最近の体調はいかがなんですか?

梅田 去年の4月から6月にかけて2カ月間、再び腸閉塞に肺炎を併発して、入院しました。その後また12月に入院して、それから今もまだずっと腹痛が続いていて、現在の食事はもう、固形物はまったくダメです。

かつて、私の体重は85キロありました。それが今では49キロです。

 なんと、体重がほぼ半分近くにまで落ちられた。12月から10カ月たって、もうすぐ1年ですね。私は自分が食べることが大好きなので、「食べられない」って、本当におつらいことだと思います。

梅田 今は1日に1回、自宅で点滴でPEGをしています。

 PEGというのは、どのようなものなんでしょうか?

梅田 経腸栄養のことです。つまり胃に穴を開けて通路を増設して、そこに管をつなぎ、液状の栄養剤を直接送り込む、というものです。

 それはご家族の方々にお手伝いいただいてするんですか?

梅田 いやいや、自分でやります。点滴をやるときは、家族では危なっかしい。難しいときがあるので。

だいたい夜の9時か10時ごろから、6時間くらいかけて、800キロカロリーの栄養剤を流入します。

 そうすると、1日のお仕事を終えられて、夜は毎晩点滴をなさる。それで、昼間はお仕事をしたり、アルファ・クラブのことでご活動なさったり、普通に行動なさっているんですか?

梅田 そうですね。朝はだいたい6時に起きて、新聞を読んだり、テレビのニュースを見たり。それから食事をして、8時に家を出ます。

 お口からも召し上がることができるんですか?

梅田 流動食なので、やわらかい、というよりもトロリとしたものですね。私は喉頭がんをしているので、固形物を入れるたびに気道へ入ってしまう。すると肺炎を起こすんです。肺炎だけでもう7、8回もやっているでしょうか。注意してても、たびたび入ってしまうんですね。私の年になると、肺炎はかなり危険なんです。

 私の父も76歳のときに肺炎で亡くなっているんです。やっぱり、本当にあっという間でした。

手術体験がくれたプラス思考

 あの、とっても珍しい体験でいらっしゃると思うんですけれど、歯槽膿漏で全身麻酔、というのもおありですね。

梅田 そう、58歳のときでしたね。新橋の個人歯科医院に、なんだかちょっと具合が悪いかな、という感じで行ったら、「あなたはあと数年で歯が全部抜けますよ」と言われて。それで大学病院で手術を受けました。上部と下部で2回に分けて手術しました。

「80になるまで20」という言葉をご存知ですか? 私には現在、25本の歯が残っています。だから私は手術に対して、いつも前向きでいられるんです。

 当時からそういう手術があることは、知られていたんですか?

梅田 いやいや。全身麻酔を使う方法については、ほとんど誰も知らなかったでしょうね。全身麻酔というものは、やはり大きな危険を伴うものですし、それが5回以上になると、当時もやっぱり外科の権威が集まって、検討していましたね。

私は、手術で治る可能性があるのなら、手術したほうがいいのではないか、と人には勧めますが、やっぱり最後は死生観の問題になると思うんです。

余談ですが、私は戦争で4回外地へ行っていますし、戦争自体に大きく反発していたので、戦地では大変な目にあった。そうした体験は、大きく影響していると思います。