鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

人間は死ぬ瞬間まで生きています 柳 美里 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
(2016年2月)

  

東日本大震災後、南相馬に移り住んだ芥川賞作家の波乱に富んだ半生

昨年10月下旬、福島県南相馬市で「海と山の結婚式~草花をまとって自然を祝福しよう~」というイベントが開かれた。芥川賞作家の柳 美里さんと、本欄のホスト・鎌田さんが、同イベントに参加すると聞き、普段から交流があるお2人に、お互いの境遇から、柳さんの今は亡き彼とのがん闘病の顛末など、しみじみと語り合ってもらった。

柳 美里さん「余命という言葉は好きではないんです」
ゆう みり
1968年生まれ。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」に入団。93年、『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を史上最年少で受賞。97年、『家族シネマ』で芥川賞を受賞。99年、『ゴールドラッシュ』で木山捷平文学賞を受賞。01年、『命』で編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。『魂』などを含む『命』4部作は、累計100万部を超すベストセラーとなる。その他の作品に『ファミリーシークレット』『ピョンヤンの夏休み』『自殺の国』『貧乏の神様』『JR上野駅公園口』など
鎌田 實さん「患者さんが何を望むかが一番大事です」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

家にも学校にも居場所がなく 15歳のときに自殺未遂……

鎌田 『ファミリー・シークレット』、いい本ですね。最後のところに、「憎んだり悲しんだりしたら、嫌われてしまうのではないかと恐れていたからだ。/愛してほしかった。/痛みに堪えることで、愛されようとしていたのだと思う。」という赤裸々で痛切な一節がありますね。小さい頃、本人は気がついていなかったようですが、お父さんやお母さんから暴力があったんじゃないかと、この本で臨床心理士の長谷川博一さんが言ってますよね。そして、15歳のとき、逗子の海岸で自殺未遂……。

 家出や自殺未遂を繰り返すようになったのは、中学2年、14歳ぐらいからです。ちょうど今、息子が15歳で、当時の私と同じ年齢なんです。子どもというのは、学校と家のふたつしか居場所がない。私は両方から閉め出されるような状況だったんです。

鎌田 学校にも家にも居場所がなかった。

 母が私と弟を連れて父の家から夜逃げし、愛人との同棲をはじめたんですが、そのマンションは窓から愛人の本宅が見える場所にあり、夜中に奥さんが子どもを連れて怒鳴り込んでくるような、まさに針のむしろでした。また、学校では激しいいじめに遭っていて、どこにも逃げ場がなかったんです。

鎌田 私は1歳10カ月のときに親から棄てられた。あるとき突然、違う家に連れてこられて、「お父さん、お母さんと呼びなさい」と言われたときの感覚がこころのどこかに残っていて、何かの拍子に出てくることがあるんです。私にも、「愛されたい」という気持ちがあったような気がします。

 私は意外と拒絶することが苦手なんです。仕事においても、恋愛関係においても。それはやはり、承認されたいというか、承認されなかったことが負い目となっているんでしょうね。求めに応じることによって欠落感を埋めようとしているんだと思います。鎌田さんの場合、実の親に棄てられたという事実は、大人になるまでわからなかったんですよね。

鎌田 わからなかった。潜在意識の向こう側に、突然、自分の周りが変わったという意識が残っていて、親に喜んでもらうために、常に良い子にならなくちゃと考えてきた。だから、自分は自由に生きてきたように見えて、実は優等生であろうとする意識にがんじがらめになってきたのではないかと思う。

柳さんは結局、学校は中卒で終えて、そのあと東由多加さんのミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に女優として入っています。東さんとの出会いは大きかったですか。

24歳から小説を書き始め 28歳で芥川賞を受賞!

 東が16歳の私に対して最初に言ったのは、「あなたが今まで体験したことは、実社会ではマイナスに作用することが多いけれど、表現の道に進むならば、マイナスのカードが全部プラスのカードに引っくり返る」 ということでした。「だから、あなたは自分の苦しみや悲しみを誇りに思ったほうがいい」と。

鎌田 16歳の少女にそう言ってくれた。

 ただ、その後、東との生活でドロドロの体験をしました。東はアル中だったんです。常に一升瓶を傍らに置き、起きている間はずっと飲んでいました。それを稽古場でもやるので、スタッフも役者もどんどん辞めていくんです。女性関係もだらしがない。お金は見る見るうちに無くなっていく。東は7歳のときに実母を亡くして以来、養母が4回も変わっています。東もまた大きな欠落感を抱え、確固たる家庭像を持ち得なかったんだと思います。

鎌田 柳さんが小説を書き始めたのは何歳からですか。

 戯曲は18歳から書き始めて、小説は24歳からです。

鎌田 それでもう28歳のときに、『家族シネマ』で芥川賞ですよね。

 もう約20年も前の話です。『家族シネマ』は家族が家族を演じるという物語でした。

鎌田 小説を書き始めた頃、芥川賞を取れると思った?

 20代の頃は生意気だったので、担当編集者から、「5年後、10年後、15年後を設計しながらやっていきましょう」と言われたりすると、「私は次の作品を書いたら死のうと思って書いているので、将来のことは考えません」と言っていたんです。

鎌田 カッコイイねぇ。芥川賞のあと『命』4部作が出て、柳さんが15年間同棲された東さんの食道がんの話が取り上げられています。がんが見つかったときには、すでに肝臓と肺に転移しており、頸部のリンパ腺も腫れていたんですね。その当時、柳さんはもう東さんとは別れていますが、別の男性との間に授かった命と、かつては一緒に暮らし、師でもあった東さんの末期の命の、2つの命を直視せざるを得ない立場に立たされたわけだ。

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