鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

元気になった姿を見ていただき、患者さんの気持ちの支えになりたい 歌舞伎役者・市川團十郎 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2012年11月
更新:2019年7月

  

歌舞伎界の大御所が全国骨髄バンク推進連絡協議会会長に就任した理由

歌舞伎の市川一門の宗家であり、歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている市川團十郎さんは、8年前に急性前骨髄球性白血病を発症し、その後、自家末梢血幹細胞移植、ミニ移植といった治療を体験して、現在、第一線で活躍しているが、昨年からは全国骨髄バンク推進連絡協議会会長として、全国を駆け回っている。

 

市川團十郎さん

「この病気は本当にお医者さんのさじ加減が大事だと、つくづく感じました」
いちかわ だんじゅうろう
本名・堀越夏雄。昭和21年8月6日生まれ、66歳。東京都出身。日本大学芸術学部卒業。昭和33年、6代目市川新之助を襲名。同44年、10代目市川海老蔵を襲名。昭和60年、12代目市川團十郎を襲名。主な受章に、平成19年、フランス芸術文化勲章・コマンドゥール受章、紫綬褒章受章、第55回菊池寛賞受賞。平成16年、急性前骨髄球性白血病を発症、平成18年、自家末梢血幹細胞自家移植、平成20年、ミニ骨髄移植を受ける。平成23年、全国骨髄バンク推進連絡協議会会長に就任

 

鎌田 實さん

「團十郎さんから病気と闘うパワーをもらえれば、治癒率も上がるんじゃないですか」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

骨髄移植を体験して骨髄バンク会長に

鎌田 團十郎さんは昨年、全国骨髄バンク推進連絡協議会の会長に就任されましたね。すごくお忙しいのに、ボランティア精神が旺盛な方だなと(笑)。

團十郎 骨髄バンクについては右も左もわからなかったのですが、私の主治医である虎の門病院の谷口修一先生や、以前から存じ上げていた骨髄バンク推進連絡協議会前会長の大谷貴子さんから、「お願いできませんか」と頼まれて、「私でお役に立てるのであれば……」と、お引き受けしました。

鎌田 歌舞伎のお仕事だけで手一杯でしょうが、迷わずにお引き受けになったんですか。

團十郎 そうですね。お陰さまで大きな病気を克服させていただき、ここからの人生はおまけみたいなものですから(笑)、お役に立てることは何でもお引き受けしようと。

鎌田 急性前骨髄球性白血病になり、造血幹細胞移植も経験して、そこから生還できたということで、團十郎さんのお気持ちの中に、同じような病気に苦しむ人たちを少しでも助けてあげたい、という思いが生まれたんですね。

團十郎 そういうことですね。入院していると、骨髄移植は決して100%のものではない、ということがわかるんですね。私は幸せなことにうまく適合し、術後も非常に順調な経過をたどって、今は免疫抑制剤も飲まなくていい状態になりましたが、入院中に周りの患者さんたちを見ていると、正直なところ、というんですか、抜きもならず差しもならず、ご苦労なさっている方がいらっしゃる。そういう方々が大勢いらっしゃるのであれば、少しでもお役に立ちたいと思って、お引き受けしたわけです。

海老蔵襲名披露の最中に急性骨髄性白血病で倒れる

鎌田 團十郎さんは今、お元気になられて淡々とお話になっていますが、病気の経過は決して順調な一本道ではなかったですよね。私はこの21年間に97回、チェルノブイリに医師団を派遣して、白血病の子どもたちの救援活動をやってきました。血液疾患の専門医たちをベラルーシ共和国に派遣して、團十郎さんがおやりになった自家末梢血幹細胞移植や骨髄移植を指導してきましたから、團十郎さんの闘病生活が決して平坦でなかったことが、よくわかるんです。

團十郎 途中経過はいろいろ紆余曲折がありました。最初、急性前骨髄球性白血病という宣告を受けても、どんな病気だかまったくわかりませんでした。「完治はしない。寛解だ」って言われても、「何だ、その寛解は?」って感じでしたね(笑)。寛解導入療法だ、寛解維持療法だと、いろんな療法をやりました。1年経って「もう大丈夫かな」と思ったら、また「あやしい」と言う。風邪が再発したくらいに思っていたら、全然違う。

鎌田 白血病の再発って、非常に厳しいですよね。1回目の治療成績と比較すると、2回目は本当に厳しい。再発して大変だとは思わなかったんですね。

團十郎 でも、だんだんお医者さんの話を聞いているうちに、前より確率は落ちると言うし、大変だなぁと(笑)。ただお陰さまで、私が発病したちょっと前に、ベサノイドというビタミンAの誘導体、次に亜ヒ酸といった新しい薬が認可されていたんです。2度目のときに、亜ヒ酸を使ったんですが、「この病院で使うのは初めてですよ」と言われて、「エェーッ!」という感じでした(笑)。

鎌田 それでご紹介されて、虎の門病院の谷口先生のところに行かれるようになったわけですね。最初は2004年5月に、海老蔵さんの襲名披露をやっている最中に倒れて、病気がわかったということですが、そのときはどんな感じでしたか。

團十郎 襲名披露というのは私どもにとって大きな仕事ですから、1カ月前にちゃんと人間ドックに入って、体調をチェックしました。そのとき、少し風邪気味で、白血球が少なめだということはありましたが、特別にここが悪いというような診断は出なかったんです。ところが、襲名披露の舞台を続けているうちに、見る見るうちにアザができたり、息苦しかったり、風邪の症状がなかなか治らなかったり。これは尋常ではないと検査をしたら、「即入院」と言われました。そのときは、病気の心配より、襲名披露の舞台を務められないのが残念で、口惜しいという思いでいっぱいでしたね。

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