鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
(社)福島原発行動隊理事長・山田恭暉さん/理事・平井吉夫さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
(2011年8月)

がんで死を覚悟した60年安保の闘士がなぜ、福島原発に乗り込むのか
どう生きるかは考えても、死んでもいいやとは全然思っていない

山田恭暉さん

やまだ やすてる
1939年生まれ。 東京大学工学部卒業。住友金属工業で技術職を務めたあと、自営業を経て、2006年より国内外でボランティア活動。2007年、悪性リンパ腫を発症。2011年、福島原発事故を機に「福島原発行動隊」を呼びかけ、現在、(社)福島原発行動隊の理事長

平井吉夫さん

ひらい よしお
1939年生まれ。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務(編集者)を経て、現在、ドイツ語の小説・歴史読物などの翻訳業。2009年、大腸がんの手術で、大腸右側、十二指腸、肝臓、膵臓、胆管、胃の一部を切除。(社)福島原発行動隊の理事

鎌田實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数


東日本大震災が誘発した東京電力福島第1原子力発電所の事故は、日を追うごとに重大な事故であったことが明らかになり、収束に向けて必死の作業が続けられている。そこに60歳以上の高齢者グループが、ボランティアによる現地支援を申し出た。一時は「老人決死隊」とも呼ばれた(社)福島原発行動隊である。がん患者さんでもある。隊員がなぜ福島原発に乗り込むのか。

鎌田  「今そこにある危機のために立ち上がってくれたことに、ものすごく共感を覚えたんです」

山田  「死を受け入れた上で今を楽しく、という考え方でないとダメだと思います」

平井  「正直に言えば、これはやばい。何とかしよう。年寄りなら多少放射能を浴びてもいいじゃないか(笑)」

福島原発行動隊に結集した60年安保闘争の仲間たち

山田さん(中)と平井さん(左)

「技術屋仲間と数日間、議論し、『これはもう俺たち年寄りが現場に行くしかない』という結論にならざるを得なかった」と話す山田さん(中)と平井さん(左)

鎌田  「決死隊」とは言わないんですよね(笑)。正式には何と言うんですか。

山田  当初は「福島原発暴発阻止行動プロジェクト」と言ってきましたが、ちょっと長いので、7月上旬に、「福島原発行動隊」という名称で社団法人として登録しました。

鎌田  福島原発行動隊を結成されたきっかけは何ですか。

山田  あの大地震の直後、テレビを見ていたら、福島原発で電源がすべて無くなっちゃった、と言っていました。政府は詳しいことは何も言わなかったのですが、原発のことを少しかじったことのある人間から見れば、「あぁ、これで終わり」ということは、すぐにわかりました。

鎌田  そう、わかった!山田さんは東大を卒業されて……。

山田  住友金属工業という鉄鋼メーカーで、最初は鋼を溶かしていました。その後、廃棄物を回収するプラントをつくりました。さらにそのプラント技術を売る、エンジニアリングの世界で仕事をしました。その間に、何か商売のネタを広げようと思って、原子力の世界の勉強をしたわけですが、「これは私らの手に負えない」と思って、手を引きました。その過程で原子炉のことは結構勉強していたのです。

鎌田  だから最初の段階で、「これは危ない!」とわかった。

山田  「これはダメだ」と思いました。それから数日間、技術屋仲間といろいろ議論し、「これはもう俺たち年寄りが現場に行くしかない」という結論にならざるを得なかった。

鎌田  平井さんは早稲田大学出身で、出版社の編集者を経てドイツ語の翻訳業をされていますが、山田さんとは60年安保を一緒に闘った、学生時代からの仲間ですか。

平井  そうです。50年以上の付き合いです。

鎌田  私たちは70年安保の世代ですから、10年違うんですね。早稲田は学生運動が激しかったんじゃないですか。

平井  60年安保当時は、どこの大学も激しかったですよ。ただ、早稲田は代々木(日本共産党)系が強かった。デモに行くときは大隈講堂の前に集まるわけですが、代々木系と反代々木系の2つに分かれていましたね。

鎌田  平井さんが今回、行動隊に参加したというのは、学生運動のあともいろいろ連絡を取り合っていたんですか。

山田  私たちの仲間は、50年間にわたって延々と全国の名簿がつながっております(笑)。

鎌田  あぁ、そうなんだ!

山田  6年前に「9条改憲阻止の会」を立ち上げたとき、全国から1200~1300の名簿が集まりました。

鎌田  みんな連絡が取り合えるんですか。

平井  年に何回か、全国のどこかで同窓会が行われています(笑)。また、当時の学生運動のリーダーが亡くなったときには、その葬儀や偲ぶ会に全国から仲間が集まってきます。

鎌田  すごい。そこが70年安保世代と違うところですね。その連絡網で、山田さんから平井さんのところに行動隊の連絡が入ったんですね。

山田  実は、昨年、60年安保から50周年ということで、写真展をやりましたが、その言い出しっぺが平井さんの奥さんでした。その前から、平井さんががんになったときに、がんの先輩として見舞いに行ったりして、深い付き合いをしていたんですよ。

がん手術で死を覚悟し家族に感謝の言葉を告げた

鎌田  なるほど。反戦平和を共に闘い、がんとも共に闘った仲間ということですね(笑)。平井さんは何がんですか。

平井  大腸がんです。まったくの不養生で、大きなしこりになるまで気がつきませんでした。痛くも痒くもなかったものですから。中野区の高齢者の統一検診で、お医者さんが触診して、「こりゃ大変だ。手遅れだ」と(笑)。

鎌田  触診だけでわかった。最近、珍しいですね(笑)。検査をして、どこまで進んでいたんですか。

平井  ばかでかく、20センチぐらいになっていました。それが大腸の外側に出て、あちこちに浸潤していました。結局、それらを全部切除しました。大腸の右側全部と、十二指腸、胆嚢全部、肝臓、胃、膵臓の一部を取りました。

鎌田  上行結腸の右側を切除して、そこに隣接する浸潤していた部分を全部取ったわけですね。それをかたまりとして切除するというのは、ものすごく大きな手術ですよ。

平井  手術後、家内が執刀した先生にそれを見せてもらいましたが、「肉屋で2キロぐらいの肉のかたまりを見たような感じだった」と言っていました(笑)。

鎌田  手術をする前の最初の段階で、かなり厳しいことを言われたでしょう。

平井  「こんな大きくなったら手術は不可能かもしれないので、まず抗がん剤で少しでも小さくしよう」と言われました。

鎌田  抗がん剤で小さくなりましたか。

平井  ほんのちょっとだけ(笑)。あとの手術は担当の先生にすべてお任せでした。

鎌田  もしかしたら助からないかも、と思いました?

平井  思いました。先生も「どうなるか、わからん」とおっしゃっていましたから。

山田  私はお見舞いに行って、「死ぬ覚悟をしろ」って言いました(笑)。

鎌田  いいなぁ、そういう友人がいるのね(笑)。で、覚悟はできた?

平井  実にさばさばした気持ちでした。家内と息子に、「おまえらのお陰で実に楽しい人生を送らせてもらった。あと1週間のいのちかもしれないが、悔いはない」と言いました。

鎌田  かっこいいですねぇ。

山田  そこまでいくまでが大変でした(笑)。奥さんが「どうにかならないか」と、私に泣きつくんです。達観するまでに、結構時間がかかりましたね。

平井  そんなことないよ(笑)。