鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
福祉美容師・篠田久男さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
(2010年10月)

悪性リンパ腫と闘いながら人のためにいのちを懸ける福祉美容師の情熱
その人にとっていちばん美しい髪型にすれば誰でも明るくなります

篠田久男さん

しのだ ひさお
1955年、神奈川県生まれ。中学を卒業後、靴店に就職。その後、美容師の資格を取り、3つの店を持つカリスマ美容師となる。1992年、介護訪問美容師としての活動に対し、社会福祉法人全国心身障害児福祉財団より感謝状を授与される。2008年、静脈瘤の手術後、悪性リンパ腫と診断され、がん闘病生活に入る。抗がん剤治療を受け、退院後、店を畳み、正式に福祉美容師となって、各施設を回っている

鎌田實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

15歳でがんで亡くなったイラクの少女の言葉に感動

鎌田實さん

篠田さんが大切に持っているJIM-NETのチョコ

鎌田 篠田さんは悪性リンパ腫の患者さんで、5月に『余命一日まで』(文芸社)という本を出版されましたが、その本の最後に、ぼくが代表をしているJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の紹介もしていただきました。いろいろお心遣いをいただきまして、ありがとうございます。

篠田 いえいえ。私は、イラクの病気の子どもたちを支援しているJIM-NETの活動を知り、すぐに会員になりました。JIM-NETが毎年バレンタインデーに行っている「チョコ募金」にも協力させていただきました。(特製のチョコレートの缶を見せながら)そのチョコレートは、こうしてそのまま持っています。もったいなくて食べることができないのです。

鎌田 11歳のときにがんになり、昨年10月に15歳で亡くなった、サブリーンというイラクの少女が描いた絵が、蓋にデザインされていますよね。彼女は、バスラの病院の私たちが協力してつくった院内学級で絵を教えてもらい、絵を描くようになったのです。もともと絵ごころを持っていたんですね。その絵を「チョコ募金」のチョコレート缶のデザインとして使ったわけですが、彼女は完成を待たずに亡くなりました。
チョコレートは10万個つくり、その収益でイラクの病院に薬を送りました。彼女は自分の絵がイラクの病気の子どもたちの役に立つことをとても喜んで、こんな言葉を遺したのです。「私は死にます。でも、悲しくないの。だって私の絵が、がんに苦しむほかの子どもたちを助けていると聞いたから」――。

篠田 私はそのサブリーンの言葉に感動し、JIM-NETの会員になったのです。ですから、チョコレートも私の一生の大切な宝物として、いつまでも手元に持っていますよ。

腹部に17センチの腫れ悪性リンパ腫と診断

鎌田 さて本題に入りますが、篠田さんが悪性リンパ腫と言われたのはいつですか。

篠田 現在55歳ですが、53歳のときです。

鎌田 足かけ3年になるわけですね。

篠田 そうです。

鎌田 自分で触ってグリグリがわかりましたか。

篠田 わかりました。お腹、首、脇の下、腿のつけ根……。

鎌田 レントゲン写真にも写っていた?

篠田 はい。とにかくお腹の腫れが17センチありました。しかし、PET(陽電子放射断層撮影)とか、いろんな検査をしても、原因がよくわからなかったのです。そこで、「切ってリンパの組織を調べてみましょう」ということになりました。切ってから10日ぐらいして、病院から電話があり、「悪性リンパ腫です」と言われたわけです。

鎌田 どんな気持ちでしたか。

篠田 「ああ、そうか」という感じで、顔色ひとつ変えなかったと思います。

鎌田 それで、すぐに治療に入ったわけですね。

篠田 抗がん剤治療に入りました。ただ、その前に足の静脈瘤の手術を受けており、そのために1年間入院が続いていました。それ以上入院しているわけにはいかなかったのです。家庭には妻と重度の障害を持つ長男がいますし、美容師としての私を待っていてくださるお客さまもいらっしゃいますから……。17センチあったお腹の腫れは、抗がん剤治療で8ミリぐらいまで小さくなりました。ですから、放射線治療は断りました。

鎌田 医師は放射線治療を勧めた?

篠田 はい。でも、私のほうから「もうしません。私も元気になりましたから、社会復帰します」と言って退院しました。

評判の美容師だったが閉店に追い込まれる

鎌田 そのときお店を何軒持っていたんですか。

篠田 3軒です。ただ、抗がん剤治療を終えて、まだ日が浅かったからでしょうか、立ったままで長時間仕事をしていると、多少しんどさが出てくるんですね。しかし、それはお客さまには関係のないことですから、毎日12時間ぐらい、立ったままで休みなく仕事をしていました。そうしているうちに、顔つきがどんどん変わってくるのです。眼光が鋭くなり、何かと闘う顔になってくるわけです。表情からやさしさが消えていく。これ以上仕事を続けるのは無理だと思いました。

鎌田 それで仕事をやめた。

篠田 店を畳みました、3つとも。

鎌田 店を畳むということは大変なことですよね。

篠田 長年、お客さまやスタッフとの良き思い出がたくさん詰まっている店なのでつらさもあり大変でした。

鎌田 腕が良いと評判の美容師だったんでしょ。

篠田 そうだったんでしょうかね。私はとにかく10代の頃から夢中に働いてきましたから、何もわからなかったんです。

鎌田 ものすごく働いたんでしょ。

篠田 ですね。命懸けで働くことが当たり前でしたね。

鎌田 一生懸命働いて、事業家としても成功した。

篠田 元気なら、もっと事業を拡張したでしょうね。

鎌田 なぜそんなに成功したんだろう。

篠田 私は働くことしか能がない人間です。それに、常に目標を持っていないと、自分に負けてしまう弱い人間なんです。今日の目標、明日の目標に向かって、必死に働いたのです。