鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
日本インベスター・ソリューション・アンド・テクノロジー(株)社長・関原健夫さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實
医師に「神懸かり的患者」と言われた男の闘病哲学
がん手術6回を乗り越えた金融マンの「あきらめない・投げ出さない」人生
せきはら たけお
1945年、中国・北京生まれ。京都大学法学部卒業。1969年、日本興業銀行に入行。取締役総合企画部長、取締役営業第5部長、みずほ信託銀行代表取締役副社長などを経て、現在民間の年金管理・運用会社である日本インベスター・ソリューション・アンド・テクノロジーの代表取締役社長。39歳のとき大腸がんと診断されて以来、がん手術を6回行っている。著書に『がん六回 人生全快―現役バンカー16年の闘病記』(朝日新聞社刊)がある
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)
金融マンとしてNYで誇りを持って働いていた
鎌田 関原さんは日本インベスター・ソリューション・アンド・テクノロジー(JIS&T)という会社の社長ですが、これはどういう会社ですか。
関原 アメリカでは401Kと言われている確定拠出型年金が、1999年に日本でも導入されました。そのとき、これは膨大な個人勘定を持っており、管理するには大変なシステムが必要だということで、日本で金融機関が中心になって2つの管理会社を設立しました。そのうちの1つが私どもの会社です。資本金は429億円で、お客さまの年金資金を管理・運用しながら、年金の支払いも行っています。
鎌田 年金の支払いもやっているんですか。
関原 これからは年金給付の仕事が増えてきます。
鎌田 民間の社会保険庁みたいなものですね。そこの会社の社長ですか。大変な仕事ですね。ところで、関原さんは1984年、39歳のときに、アメリカで大腸がんになった。そのときはどんな仕事だったのですか。
関原 日本興業銀行ニューヨーク支店の営業課長でした。当時、日本は「ライジング・サン」と言われて、経済の調子も良く、どんどんアメリカに進出した時代ですから、とても忙しかったですね。
鎌田 「ライジング・サン」、久しぶりに聞く言葉ですね(笑)。日本の経済力がアメリカを抜いたと言われました。
関原 アメリカ経済・産業は国際競争力を失い、レーガノミックスで立て直している最中でしたね。そこへ日本企業が相次いで進出したわけです。日産、トヨタが工場を造りましたし、日本の鉄鋼メーカーが現地の製鉄所を買収したりしました。その後、バブル期に、日本企業が有名ホテルやニューヨークのロックフェラーセンターを買収して話題になりました。
鎌田 仕事は忙しかったけれど、面白かったでしょう。
関原 そりゃ、そうですよ。働き盛りでしたし。世界の金融の中心であるニューヨークで働くことに、金融マンとして誇りを持っていました。
病院で初めて聞いたチューモアという英語
鎌田 そんなときに、どんな症状が出て受診しようと思ったんですか。
関原 便秘の症状と、何となくおなかが張るという自覚症状がありました。たまたま日本から送られてきた週刊誌を見たら、「大腸におけるポリープとがん」という記事が出ており、そこに書かれた症状が私の症状と非常に良く似ていたんです。
鎌田 それですぐに受診に行ったんですか。
関原 いえ、自分に限ってそんなことはないと思ったんです。私は酒もタバコもやらず、身体に気をつけていましたから。それに年齢もまだ39歳と、若かったものですからね。実際は、がんと言われるのが恐かったんでしょうね。
鎌田 関原さんの書かれた著書『がん六回 人生全快』を読んで面白かったのは、他のことではびしびし決断している関原さんが、大腸ファイバーの最初の受診のときだけ逡巡していることです。予約まで取っているのに、ちょっとした理由でキャンセルしちゃった(笑)。
関原 いや、その反省があるから、あとはびしびし決断したんですよ(笑)。
鎌田 改めて新谷弘実先生の診療所で検査を受けたら、大腸がんと言われた。
関原 はい。キャンサー(がん)という英語は知っていましたが、チューモア(腫瘍)という英語は、そのとき初めて聞きましたね(笑)。そして、すぐに手術をすると言われましたが、そこで迷ったのは、手術をアメリカでやるか、日本でやるかです。
鎌田 最初は、日本で手術するつもりだったのですか。
関原 やはり、アメリカの病院で英語をしゃべりながら手術を受けるなんてことは、ビヨンド・イマジネーション(想定外)のことでしたから。手術をするなら日本で、と考えていました。
「5年生存率は20パーセント」
鎌田 しかし、新谷先生はアメリカでの手術を勧めた。
関原 それに、京都大学で手術をしたことがある父親が執刀医の教授に、アメリカで手術をすることの是非を聞いてくれたんです。すると、もともと大腸がんはアメリカに多く、ニューヨークの一流病院なら信頼できると言われ、現地での手術を決断したわけです。執刀医は若い米国人医師でしたが、非常に穏やかな感じで、説明が上手く、これなら大丈夫そうだなと思いました。
鎌田 ただ、治る率は20パーセントと言われたんですよね。
関原 はい。手術室から出てきて、麻酔が醒めたとき、執刀医に「どうだった?」と聞いたら、「パーフェクトだ」と言われました。そう言われれば、こちらは完全にうまくいったと思うわけです(笑)。ところが、術後4日目に病理検査結果を踏まえて行われた詳しい説明では、「かなり高い確率で再発リスクがある」と言われました。
アメリカの病院では普通、生存率何パーセントというようなことは言わないようですが、私がそこで「確率はどのくらいか?」と質したものですから、「5年生存率20パーセント」という返答が返ってきたわけです。私はそのときまで、5年生存率という言葉があることも知らなかったのですが、「20パーセント」と言われてしまったものですから、早晩、死は免れないと絶望感に襲われました。
鎌田 手術の前後、何日間ぐらい入院したのですか。
関原 手術の前々日に入院し、術後7日目に退院しましたから、9日間の入院でした。
鎌田 24年前の話ですよね。日本だったら少なくとも20日間は入院したでしょうね。
関原 日本に帰ってきてから、医師に聞くと、やはり手術までに10日間、術後2週間の入院が必要だ、と言っていましたよ。
鎌田 最初の手術はアメリカで行い、その後、国立がん研究センターで森谷宣皓先生の治療を受けるわけですが、4半世紀前のアメリカの病院の印象はいかがでしたか。
関原 入院する人間にとっては、素晴らしかったですね。当時の日本の医療はまだ貧しくて、病人を癒すというような環境ではなかったわけですから。
鎌田 当時は、がんセンターも汚かったし、東大病院も汚かった(笑)。
関原 アメリカの病院はとても快適でした。しかもスタッフが多く、ボランティアのサポート・システムも整っていました。日本に帰り、日本の病院で治療を受けるようになって、日米の病院はかくも差があるのかと思いました。ただ、医療費は日本のほうが断然安いですね。私はニューヨークの一流病院で手術を受けましたが、手術料は300~400万円かかりました。日本の病院なら80万円前後でしたね。
鎌田 今でも日本の医療費は安いですよ。数年前のデータですが、ニューヨークの病院で250万円かかる盲腸の手術費用が、日本では37万円ですからね。
鎌田 ドクターたちが一生懸命やっているのに対して、医療費が安すぎると思いませんか。
関原 おっしゃるとおりです。ドクターたちは土日もほとんどなく、朝早くから夜遅くまで仕事をし、週に3~4回も手術をしている。アメリカとまったく違います。
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