ドイツがん患者REPORT 33 「息子とボランティア」

文・撮影・イラスト●小西雄三
(2017年7月)

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

先月、息子が半年間の「放課後学校」の手伝いのボランティアを終えました。いい経験になったと思いますが、息子がボランティアに行くことになった理由は、「子ども手当」をもらうためだったそうです。

ドイツでは、就職していない25歳以下の若者は、子ども手当がもらえます。専門学校に通っているとか大学生であるなど、もちろん一定条件が必要ではありますが。

息子は現在21歳。1年半前にギムナジウムを卒業して、大学入学資格を手にしました。その後、彼は自分の進路を決めきれず、アルバイトをしながらいくつかの学部にトライしていました。

ドイツは日本のような大学入試はなく、医学部などの特別な学部を除き、希望する学部に進めます。しかし、人気のある学部は人数制限のための選別があり、誰でもが入学できるわけではありません。

就職には、技術系の学部は別として大卒の学歴はあまり必要ないので、興味のあることを勉強するために大学に行く人が多いようです。

企業は、すでにその仕事ができる能力がある人を採用します。日本にはない職能制度は、現在のように職業の流動化の激しい時代には都合の悪い面もありますが、無駄な時間と金銭を就職活動のために使わずに済むのはよいことだと僕は考えます。

冷戦後に廃止されましたが、分断国家のドイツには徴兵制がありました。しかし、多くの学生は徴兵より社会福祉活動を望み、その若い労働力を介護などの現場で発揮させていました。

徴兵制のなくなった現在では、自主的に社会福祉活動をする人が少ないので、役所としても息子のような浪人の活用を考えたのでしょう。長い人生、若い時は短いですが、人の助けが必要な場所を体験するのは、いい機会だと思います。

僕の友人の中には、徴兵された後も軍に残った者がいます。家庭の事情で経済的に苦しい若者にとって、運転免許や資格を取らせてもらえることが魅力であったようです。

ドイツの学校制度

ドイツの学校制度は日本とかなり違うので、簡単に説明します。

6歳になると、小学校にあたる基礎学校(Grundschule)に入学します。能力の優れている子どもは、1年早く学校に行くことも可能です。この学校はすべての子どもが入学する入口で、4年制です。

4年間の在学中の成績や能力、そして子どもや親の希望、先生の推薦により、この時点で次の3つのコースに分かれることになります。

1つ目は、基幹学校(Hauptschule)のコースです。

ここで義務教育の6年間を修学して、その後に肉、パン屋さんのなどの技術職を2~3年習い、資格を得て就職するのがこのコースの一般的な就職方法です。

たとえ販売員でも、家具屋さんや工具屋さんなど専門店に就職する場合は資格を求められることが多いので、資格のない人が就職するのは難しいところがドイツにはあります。

2つ目は、実科学校(Realschule)のコースで、基幹学校と同じ6年間ですが、この後に高等教育への道を選ぶ生徒も多く、より高度な学習をします。卒業後は職人ではなく、事務や専門職の資格を取れるような専門職業訓練に進む生徒が多いです。職業訓練中は、1週間のうちの1~2日は学校に行き、3~4日間は職場での実習となります。

3つ目は、Abiと言われる大学入学資格を習得するためのより高度な教育のギムナジウム高等教育(Gymnasium)です。以前は9年でしたが、現在は8年に短縮されました。

ドイツの都市部では高等教育を受ける生徒は多いのですが、農村地域などは今でも日本の戦前のように、高等教育を受ける人が日本に比べはるかに少ないんです。

ドイツでは、飛び級もありますが、落第もあります。問題児だった僕はドイツだったら義務教育を終えることができなかったかも、と思うこともあります。ゲットーと呼ばれるような地域の子どもたちで、落第等を機に学校に行かなくなって卒業すらできなかったことが、生涯を通じて普通に就職できない数多くの人たちの存在要因とも考えられています。

共稼ぎ家庭のため放課後学校が併設

みんなが行く基幹学校には、共稼ぎ家庭のために放課後学校が併設されています。鍵っ子をなくすためのもので、校内の売店で軽食は買えますが、日本のような給食システムがないので、生徒たちに昼食が用意されます。

これは普通の放課後学校の場合ですが、息子が担当したクラスはちょっと違っていました。両親が外国人や、生まれつきの障害で、授業についていけない生徒たちの補助を目的にしたクラスです。

9人の生徒たちと息子(真ん中の円の中)

息子は、生まれたときからひどい喘息(ぜんそく)とアトピー、その要因となるアレルギーに悩まされ、そのせいで落ち着きがなく勉強等に不向きに僕には見えました。

多数の人の庇護と協力のもと、何とかギムナジウムを卒業しましたが、子どもに教えたり、コンビオーブンに入れて配膳するだけとはいえ昼食の用意をちゃんと辛抱強くできるかな? と、少し心配していました。

しかし、彼自身もそういう部分があったせいか、案外にうまくやってるようで、やっぱり子どもの気持ちが理解できるのは、強みなんでしょう。

息子は15、6歳の頃からバレエ教室で小さい子どもたちに教えている経験も役に立ったでしょうが、僕は思考程度が近いからだと思っています。

放課後学校のお別れ会

わずか半年の期間でしたが息子がボランティアを辞めるときに、お別れのパーティをクラスですることになったそうです。

息子は生徒たちに何か小さなプレゼントをしたいけど、なかなかいいアイデアが浮かばないようだったので、僕が描いていた干支の曼陀羅の塗り絵を、各自の干支と名前とメッセージをつけて贈ることを提案しました。

ドイツに干支はありませんが、こちらの子どもたちも日本のテレビアニメをよく見ているせいか、最近は結構知られるようになってきています。干支のプレゼントは大変喜こばれたそうで、僕も頑張った甲斐がありました。

興奮するとちょっと無茶をしがちな子どもたちが集まったクラスでのパーティ。何も起こらないといいけどという心配も杞憂(きゆう)に終わり、息子は生徒たちから彼らの写真の載ったアルバムをプレゼントされました。

生徒からプレゼントされたアルバム

息子に頼まれたカレーライス

「生徒全員にカレーを御馳走したい」

これはお別れパーティに、息子に頼まれたもう1つのことです。彼らの昼食がかなり貧弱なことを、息子は不憫(ふびん)に思っていたからだそうです。

息子の放課後学校での昼食は、前夜に僕の作った残り物のお弁当です。しかし、生徒たちは興味津々。トルコ人やアフリカ系、東欧系、中東系、ベトナム系の子供はよくいるのですが、日本人のハーフは珍しく、しかも日本のテレビアニメに出てくる食べ物は興味を引くのでしょう。それを聞いて、僕はいつも多めに夕食を作るようにしました。息子の昼食のおすそ分けを楽しみにしている生徒がいるからです。

宗教上、豚肉がタブーの生徒が多いのですが、豚肉をよく使うドイツのこと、親も子供に「豚肉は食べないほうがいいけど、仕方のない場合はいいよ」と言ってるそうです。もともと家内が牛肉もラム肉も食べないので、この半年間は鶏肉を使うことがやたらに多くなりました。

カレーは、もちろん牛肉をたっぷりと使いました。それにしても、子どもの舌に合わせた辛くないカレーを作るのは難しかった。しかも、息子は乳製品のアレルギーがあるので、市販のルーが使えず、カレーにこれほど苦労するとは思いませんでした。しかし、喜んでおいしく食べてくれたようで、作り甲斐がありました。

牛肉をたっぷり入れた特製のカレー

クラスの多くの子どもたちは、家庭からの援助をあまり受けられないと聞いていたので、少しでも学校でいい思い出を作ってほしいと思っていました。子ども時代に学校での楽しい思い出があるかどうかで、後の人生にも影響があるだろうし、ましてや親になったときに、その生徒の子どもたちにも影響があると思います。

僕は子どものころ問題児でしたが、悪い記憶はありません。それには、家庭での生活、家族の援助が多方面にあったことを親になってつくづく感じることがありました。

がんで否応無く実社会から強制引退した僕ですが、息子を通じて少しでも社会協力ができるのならしたい。とにかく、みんな健康で健やかに育ってほしい。

ボランティアその後

先日のことです。息子がボランティアを辞めた直後で、息子の仕事が空席になっていたとき、「子どもの1人が問題を起こし、施設に入れられた。そしてもう1人、里親の元で生活していた子どもがトラブルを起こし、里親が変わることになった」という悪いニュースが、ボランティアの同僚から伝わってきました。

それを聞き、息子は罪悪感を感じ心を痛めていたようです。自分のせいではないと頭では理解していても、感情では納得がいかなかったのでしょう。しかし、人生にはこういう理不尽に感じることは多いのですから、後悔しない言動を普段から心掛けるしかないと思います。

今、こういう考えに至ったのも、がんという病気のおかげだと思います。物事には両面があるので、ネガティブに感じることも悲観することはない、逆から見るとポジティブにもなる、心の持ちよう次第。結果は最後の最後までわからないのだから、できるだけポジティブに生きるつもりです。