腫瘍内科医のひとりごと 71 「桂の葉」

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
(2016年11月)

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

ある日、A病院の外来廊下でのことです。

点滴架台を引いた入院患者さんと思われるパジャマ姿の白髪の男性が、私に向かって片手を振って、大きな声で「先生、まだ生きていますよ!」と叫びました。近づくとくしゃくしゃの笑顔のSさん(80歳・大腸がん再発)でした。

前回お会いしたのはもう2年前の夏でした。Sさんは大腸がんが肺に転移して、再発が明らかとなり化学療法を行うことで入院されていました。

当時、Sさんはがんによる症状はなく元気でした。お話好きで、色々な話をしてくれました。

「なにもしなければ6カ月の命と言われた」

「人間の命は限られていて、みんなみんな死ぬんだ。健康寿命は長くあって欲しいが、病気で抗がん剤をやりながら1年長生きしたところで意味なんてない」

「娘が化学療法を受けろと言うので受けています。でも私は人生終わった人間ですから、たとえ病気が良くなっても世の中の役には立ちません」

「新聞には医療の財政困難と書かれていますが、私は税金を使って生きていていいんですかね?」

「こんな、気持ちの悪い、むかむかする抗がん剤を、いつまでやるのかね」とか話されていました。

あのとき、とても印象に残ったのは、病室の窓の外で桂の青い葉が風に吹かれているのを見ながら、「先生とは相性がいいのかもしれないな」と言った後、「桂の葉は丸くて、ハートみたいで優しいね」と言われました。私は、え! と思って、葉をよく見てみると、そうだ、ほんとうだ、桂の葉は、優しい葉だ、とそのとき初めて思いました。

「ほらまだ生きています」

Sさんはその後、退院され、担当医から外来で化学療法を受けていましたが、お会いできないでいました。あのとき、Sさんが「抗がん剤で生きていても意味がない」と言われたことも気になって、その後、どうしたのだろうと思っていました。

外来診療が終わった後、病室を訪ねると、Sさんはベッドに座っていて「いやー先生、よくきてくれました。私、あれから2年経って、ほらまだ生きています」と、また満面の笑顔で嬉しそうに言われました。顔は少し浮腫んだような感じで、差し出された腕にはたくさんの皮下出血の痕が見られました。

以前のSさんに比べて、何か痛々しく感じましたが、笑顔で「まだ生きています」と話されたので、私はほっとしました。

しばらく話されてから、少し咳き込みました。

「苦しくないですか?」とお聞きすると、「いや、大丈夫」と。そして呼吸を整えてから、窓のほうに向かって「先生、この桂、枯れたように見えるけど、枝の中にはまた来年の葉が眠っているんですよ」と話されました。

葉がなくなって上を向いた枝だけの桂の木は揺れていました。

私は「2年前、桂の葉は優しいと話されたことをおぼえていますよ」と言ったら、また笑顔でうなずき、「来年も優しい葉がたくさん見れますよ」と言われました。それでも、その言葉になんとなく寂しさを感じ、それはSさんの希望の一部のようにも感じました。