腫瘍内科医のひとりごと 113 新型コロナウイルス感染症とがん治療

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
(2020年5月)

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

周りの誰が、新型コロナウイルス感染者かわからない。

いま、病院では戦争が起こっている。〝コロナ戦争〟だ。相手は、とらえどころのない存在だ。

外来で、入院で、消毒・マスク・防御衣の不足は深刻だ。

コロナ患者の動く導線、コロナ病棟の編成、そればかりではない。患者ばかりではなく、病院職員も守られなければならない。中には妊娠している看護師もいる。

1人の感染がわかると、接触した可能性のある数10人のPCR検査、そしてその人たちは自宅待機になる。病院の機能はマヒする。そのため新しい外来・入院患者を断った大学病院は1、2カ所ばかりではない。

崖から蹴落とされたこれまでの〝がんの死生学〟

がんの化学療法の多くは外来で行われている。抗がん薬点滴は、いつにも増して患者の状態に注意が払われる。ある病院では、乳がん患者の抗がん薬点滴を内服のホルモン治療に変えたそうだ。

新型コロナウイルスに罹っても、多くの人は症状なしで過ごすが、むしろそれが患者の蔓延(まんえん)を引き起こす。そして悪化した人は厳しい。健康で元気な方が、ある日、発熱からたちまち呼吸困難、肺炎、急激な意識状態の悪化。

人工心肺装置(ECMO)に繋がれて助かる人もいるが、あっという間に亡くなる方もいる。テレビで報道された志村けんさんの死は、多くの人が衝撃を受けた。

クルーズ船の集団感染、クラスター(集団)感染、病院の院内感染、そして市中感染に及んでいる。目に見えない新型コロナウイルスが、ひたひたと身近に迫ってきた。

すでに、世界で約305万人以上が罹り、21万人以上が亡くなった(2020年4月末現在)。そしてそれが毎日増えている。

コロナの死は悲惨だ。感染症だから、うつるから、家族の面会も出来ず、亡くなったら遺体にも、焼き場にも立ち会えず、骨になってから家族に引き渡される。

この不条理さは何なのだ。この急激に迫りくる死は、がんにおける「死を大事にする社会」とは180度違う。がんにおいては、治る見込みがない場合でも「余命あと半年、3カ月」、人生を考える時間、そして看取る時間があった。

今回の新型コロナウイルス感染症による死は、考える時間がない。これまでのがんの哲学は、まったく役立たない。がんを基にして考えてきた死生学は崖から蹴落とされたのだ。

ウイルスと闘う医療者を称えながら

人類が地球を我が物顔にして、いじくり、壊してきた報いなのか?

ウイルスは人間を住処(すみか)にし、増殖する。

多くの人に差し迫っている、目に見えない影。電子顕微鏡でしか見えない、地球でもっとも小さな生物・ウイルスに、人間はたくさんの命を失い、怯えている。

いま私たちは、ウイルスと闘う、感染した患者を診る医療者を称えながら、治療薬、ワクチンの開発を待っている。国の対応に、イライラしながらも、うつらないように、人から離れて、見えないウイルスから逃げて暮らす。

しかし、医療者をはじめ介護サービスなど、人から離れられない方たちはたくさんおられる。

経済よりも、まず命が大切だ。

この流行が早く過ぎて欲しい。そして、その後には、国は次の流行を阻止するための防御にお金をかけて欲しい。

昨年、家の庭に1本の小さな柿の木を植えた。今年も小さな葉が芽吹いてきた。

私たち夫婦が生きているうちに実が成るとは限らない。

それでも、乾いた日には水をやろう。

PCR検査=Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応検査