腫瘍内科医のひとりごと 118 記憶を絵におきかえて

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
(2020年10月)

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

ある病院の乳腺科病棟でのことです。

Nさん(55歳、女性)が入院されたのは10月ですが、まだまだ暑い日でした。

Nさんは乳がんの手術をしてから3年。骨、肺に転移していました。がんの組織は、エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体が陰性、HER2(ハーツー)受容体も陰性で、がんの治療にホルモン療法や分子標的薬療法は適応にはなりませんでした。いわゆるトリプルネガティブといわれるがんでした。

薬物療法では、抗がん薬しか治療法はありませんでした。アドリアマイシン(一般名ドキソルビシン)、タキソール(同パクリタキセル)、メソトレキセート(同メトトレキサート)、5-FU(同フルオロウラシル)など、主な抗がん薬はすでに使ってきました。

腰に痛みがあり、転移した腰椎に放射線治療を受けていましたが、肺の転移が悪化したため、呼吸困難が出てきて、乳腺外科に入院しました。

私のことを思い出して欲しい

写真:コスモス

Nさんは酸素吸入を受けながら、ベッドで病棟の看護師長さんに話されました。

「また、お世話になります。長い間、何回も入院させていただきありがとうございました。厚かましいですが、もしお願いできましたら、この絵を病棟に置いていただきたいのです。下手な絵ですが、私を思い出していただけたら嬉しいです。最後のお願いです。私が生きていたことを忘れないで欲しいのです」

看護師長は、「あら、コスモスの絵ですね。Nさんが描かれたのですか。秋の空に、とっても爽やかですね」

Nさん「ありがとうございます。爽やかって言ってくださって嬉しいです。誰かが絵を見て、和んでくださったら嬉しいです。置いていただけるようでしたら、ひと安心です。少しの間でも結構です。私のことを思い出して欲しいのです」と、言われました。

看護師長「また、元気になってください。あなたのことは決して忘れませんから」

Nさん「私の両親は亡くなったし、弟はいますが、離れています。長く会社の事務で、言われた通り仕事をしていただけで、世の中に役立つことは何もしてきませんでした。結婚はしていないし、子もいません。

小さい頃から絵を描くのが好きで、休みの日は近くの河原で、風景を描いていました。絵を描いていると、なんにも考えずに時間が過ぎます。死ぬことも頭から離れます。下手で、恥ずかしいのですが、この絵は自分では納得できた絵です」

看護師長「わかりました。ずっと部屋に飾らせていただきます」

Nさん「それでほっとしました。わたしが生きていた証が残せたみたいで、嬉しいです」

生きた証を残こして……

看護師長から、この話を聞いた私は、人は自分が生きていた証が残ることが、それで心が救われるのかも知れない。生きられる希望が残されていれば、その希望にすがる。そして、生きる希望が、もう無理かもしれないと思ったときに、「生きていたことを忘れないで欲しい」、それが「最後のお願い」だというのです。

死後の世界は誰しも未知である。わからない。

それでも、自分はこの世から消えてしまわなければならない。

不安だからこそ、この世とのつながり、確かなつながりを持っていたいのではないだろうか。

自分が納得できた絵、それがNさんの身代わりとなって病棟に置いてもらえることになった。Nさんのひとつの安心に繋がったように思いました。