赤星たみこの「がんの授業」

【第八時限目】抗がん剤治療Ⅰ 抗がん剤って何? 本当にがんに効くの?

構成●吉田燿子
(2004年6月)

赤星たみこ(あかぼし・たみこ)●漫画家・エッセイスト

1957年、宮崎県日之影町(ひのかげちょう)のお生まれです。1979年、講談社の少女漫画誌『MiMi』で漫画家としてデビュー。以後、軽妙な作風で人気を博し、87年から『漫画アクション』で連載を始めた『恋はいつもアマンドピンク』は、映画化され、ドラマ化もされました。イラストレーターで人形作家の夫・新野啓一(しんの・けいいち)さんと、ご自身を題材にした夫婦ギャグをはじめ、あらゆるタイプの漫画で幅広い支持を得ていらっしゃいます。97年、39歳の時に「子宮頸がん」の手術を受けられ、子宮と卵巣を摘出されましたが、その体験を綴ったエッセイ『はいッ!ガンの赤星です』(『はいッ!ガンを治した赤星です』に改題)を上梓されました。

がんの治療法としてよく知られているもののひとつに、抗がん剤があります。

抗がん剤とは、読んで字のごとく、がんをやっつけるための薬剤のこと。手術ではとりきれず、全身に散らばってしまったがんをやっつけるための“切り札的存在”といってもいいかもしれません。

ところが、残念ながらこの抗がん剤、決してよいイメージばかりではないのですね。 「抗がん剤って、もっぱら手術が不可能な進行がんに使われるんでしょ。さんざん副作用に苦しんだあげくに、治療のかいもなく死に至る……そんなイメージがあるけれど」

そんな声をよく聞きます。

ところがどっこい、抗がん剤の世界は確実に進歩しているのです! 効果の高い抗がん剤が次々と開発され、今では副作用を軽くする薬も使われています。おかげで、抗がん剤治療にともなう患者さんの苦痛は、昔と比べると、ずいぶん軽くなっているようです。

では、抗がん剤治療の最前線では、いま何が起きているのでしょうか。今回から2回連続で、そのことについて勉強してみたいと思います。

がん細胞の性質を逆手にとって攻撃する

まず、抗がん剤治療とは何か。

抗がん剤治療とは、がん細胞に直接作用する薬剤を使った治療のことで、別名「化学療法」ともいいます。

5ミリのがんの中には10億個のがん細胞がひしめいています。そのうちのたった1片でも遠くの他の場所に転移してしまえば、もはや手術で取りきることは至難の業です。このように、局所の治療だけでは根治がむずかしいときには、全身に散らばった可能性のあるがん細胞に対して、くまなく治療を行うことが必要になる。

そのときこそ、抗がん剤の出番です。

では、抗がん剤は、どのようなメカニズムでがんをやっつけるのでしょうか。

がん細胞の特徴のひとつに、「異常なまでの勢いで増殖を繰り返す」ということがあります。「がんになる」ということは、うっかり悪徳金融業者にお金を借りてしまったようなもの、と考えるとわかりやすいかもしれません。倍々ゲームで利子(=がん細胞)が増え、気がついたときには1万円の借金が1億円にふくれあがっていた……そんなたとえが大げさではないほどに、がんの増殖能力は高いのです。

こうしたがん細胞の性質を逆手にとって開発されたのが、抗がん剤です。

抗がん剤の多くは、ひんぱんにDNA合成や細胞分裂を繰り返すがん細胞に対して作用します。そして、がん細胞の遺伝情報が刻まれたDNAの合成を妨げ、悪しき細胞の増殖を抑えてくれるのです。

いわば抗がん剤とは、体内のあちこちで気勢を上げる暴走族を見つけては、片っぱしからしょっぴいてくれる白バイ隊のようなもの。がん細胞の不穏な動きをいちはやく察知して、アジトに駆けつけ、組織の撲滅を図るというわけです。

髪の毛は抜けても生えてくる

ところが、ここで問題が発生します。というのも、体内で活発に増殖する細胞は、がん細胞にかぎらないからです。

たとえば毛根の細胞も活発に増殖します。抗がん剤はこれを誤認逮捕してしまい、撲滅しようとしてしまうので「髪の毛が抜ける」という副作用が起きてしまうのです。

また、骨髄中の造血細胞や粘膜なども増殖が活発で抗がん剤の影響を受けやすく、白血球や好中球が減少したり、口内炎になったりといった副作用が出てしまうのです。

96年に、私の姉が初めて乳がんの抗がん剤治療を受けたときは、髪の毛がどんどん抜けてショボショボになってしまいました。姉は安いカツラやヘアピースのついた帽子をかぶっておしゃれに乗り切っていましたが、母や周りの人は抜けた髪を見て涙ぐんだり、ショックを受けていたようです。

その後、抗がん剤を止めると髪は元通りに生えてきました。これが赤ちゃんの髪のように柔らかく、おまけに自然なウエーブまでついていたのにはビックリ! 「あの硬くて多くて扱いにくかった髪が、こんなに柔らかくなってよかったわ」と、姉はあくまでも明るく前向きに対処していました。我が姉ながら、その態度にはちょっと敬服してしまったのを覚えています。

……話が少々脱線してしまいましたね。ともかく、従来の抗がん剤には強い副作用がつきものでした。そのため、「抗がん剤を使うと体が痛めつけられる」と思い込み、抗がん剤治療をためらう人が多いのも事実です。

しかしこうしたイメージは、今では少々時代遅れのものになりつつあります。というのも、ここ数年の間に、副作用の少ない新しい抗がん剤が次々と誕生しているのです。

そのひとつが「分子標的薬」といわれるものです。これは、がんの原因となる分子を狙いうちする薬剤で、がん細胞だけを選んで攻撃するので、正常な細胞に害を及ぼすということがあまりない。したがって副作用が少ないというのですね。

これはヒトゲノム(人間の全遺伝情報)が解読されたおかげで、こうした薬の開発が可能になったのだそうです。分野を超えた科学研究の成果によって、日一日と効果の高い抗がん剤が生み出されている――そう考えると、なんとも心強いものがあります。