がん治療と医療崩壊
アメリカのシステムに追従すれば日本の医療は崩壊する

文:諏訪邦夫(帝京大学幡ヶ谷キャンパス)
(2008年7月)

すわ くにお
東京大学医学部卒業。マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学などを経て、帝京大学教授。医学博士。専門は麻酔学。著書として、専門書のほか、『パソコンをどう使うか』『ガンで死ぬのも悪くない』など、多数。

巷には「医療崩壊」という言葉があふれています。ところが本誌の雰囲気も一般のニュースも、「がん治療」はこれと比較的無縁な雰囲気があります。それを身近に感じてない理由の1つに救急医療と産科と小児科など「待ったなし」の分野で「がん治療」は時間も情報も余裕があるからと思っています。ともあれ、「がん治療」が「医療崩壊」と無縁ではないので、それを探って見ます。

「医療が不確実で限界がある」ことを理解していない

まず虎の門病院、小松秀樹さんの主張を紹介します。この方には、『医療の限界』(新潮新書)のような優れた著作もありますが、インターネットに「死因究明制度に関する厚労省第2次試案発表に寄せて医療の内部に司法を持ち込むことのリスク、医療と司法の齟齬の解決は多段階で時間をかけて」という優れた文章を発表しています。

小松さんの主張はこうです。

「厚生労働省や法学者は、医療関係者の中に悪いことをしている奴がいる。そいつらを見付け出して罰してやろうというスタンスだ。つまり、法律家は通常の患者さんと同じく、『医療は無謬でなければならないという前提』に立っている。現代医学は万能で、医療行為が適切なら有害なことは起こり得えないと信じ、有害なことが起きるのは善悪の問題で、システムや費用のかけ方の問題ではないと思い、『医療が不確実で限界がある』ことを理解していない」と述べます。

小松さんはさらに言葉を加え、「ものごとがうまくいかないとき、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとしてもダメだ。医療に限らず、工学・航空運輸など専門家の世界では、うまくいかないと研究や試行錯誤を繰り返して、自らの知識・技術を進歩させようとする。あるいは、規範そのものを変更しようとする。それが有益な結論を導き、システムの改良に至る道筋だ。地動説に対する宗教裁判は、規範的予期類型が認知的予期類型を押しつぶした歴史的1例だが、そんなものを跳ばして自然科学も人間の認識も進み、結果として神学の権威が失墜したではないか」と指摘します。

そうして「医療事故に関する調査機関を設けること自体には賛成で、科学的調査を行い、事故原因を究明することは医療の安全向上に不可欠であり、調査結果を患者側に説明をすることも紛争解決に不可欠だ」が、「個人の感情を持ち込まず、社会で扱えるように整理された感情とすべきだ、感情面の軋轢を小さくして事故を冷静に検討するため、事故調査と医師の処分は制度として分離すべき」と結論します。

ここでは小松さんの主張を約7分の1程度に要約しましたが、原文は用例も引いてわかりやすくしかも充実した文章です。

今日の「医療崩壊」はアメリカの圧力が原因である

現在の医療の「危機」ないし「崩壊」には、日本の国の貧困と同時に国際的圧力、簡単にはアメリカの圧力が大きな役割を果たしています。

この点を大声で突いている例として、長周新聞の論説を挙げます。山口県で発行されていますが、ただし名前は前記で「長州新聞」ではありません。ホームページの他、問題の論説は2007年12月17日付です。

タイトルは「営利一本槍で日本の医療破壊:医療改革本格化した1年」で「産科、小児科、救急、外科も」という副題がつき、がんを含めて一般的な病気を扱っている箇所を抽出します。

「高齢者医療切捨て 病院追い出され難民化」という見出しで、「小泉/安倍の強行してきた医療制度改革関連法の実施で、療養型病床の6割が廃止され、診療報酬を3分の2に引き下げて、高齢患者が追い出されて難民化」と述べて多数の例を挙げます。付随して、高齢者の医療費負担が増えて年金でカバーできなくなったと分析します。

アメリカの医療が、極端な営利主義で運営され、極端な富裕層以外は費用負担に苦しめられている事実がようやく知られました。その一面が高価な薬物開発で、アメリカのシステムではお金の掛け放題、値段のつけ放題で、割を食うのは患者さんです。「高い薬物は使うな」とはいきません。抗がん薬に限らず、医師も病院もそうした柔軟な対応は容易ではなく、製薬メーカーも収益の上がる方向に力を注ぎ、「高いAの薬が歓迎されれば安いBの使用は止める」という方向に進みます。

日本もアメリカも、政治と企業が結びついて政治家が政策を個人の金儲けに利用しているのも周知の事実です。

「いい医者と立派な施設があれば医療崩壊もない」?

2007年10月に、国立がん研究センター事務局の「全国がん(成人病)センター協議会」が、がん患者さんの5年生存率などの成績を発表しました。がん治療の中核施設30医療機関のもので、読売新聞の配信がその1例です。

厚生労働省研究班が治療成績を判定し、施設名を含めて公表しました。胃がん・肺がん・乳がん・大腸がんの4つのがんの治療成績で、症例数が100例以上などの条件を満たし、数字の公表に同意した15医療機関で、99年に初回の入院治療を受けたがん患者さんの治療成績について、施設別にがんの進行度に応じた症例数や生存率をまとめています。

「施設ごとの治療成績の開示を求める患者の要望に応え」、「各施設の差の要因分析を促し、全国で同じ水準の治療を受けられるようにする目的」という考え方で、一見もっともな主張です。

たとえば、胃がんの5年生存率が最も高い国立がん研究センター中央病院の84.1パーセントで、最低の匿名施設では45.5パーセントで、40点近い大差があります。肺がんでは差が30.8点、大腸がんで23.8点、乳がん20.6点でした。

「それでは、胃がんの手術はここで受けるのが有利」と結論しそうですが、そう簡単ではありません。がんセンター中央病院は1期の患者さんが70パーセントで、4期の患者さんはたった7パーセントで比は12です。逆に成績最低の匿名病院は、1期と4期の比は1.2と重症患者さんが多いのです。「国立がん研究センターは、2期以降の患者さんはよそに回して、自施設の成績を維持」との悪口は、医師仲間では周知の話、ないしジョークです。

この公表に対して、その種の批判がインターネットに多数出ています。一方でこの発表や一部医師の意見を踏まえ、「いい医者がいて立派な施設もあるから医療崩壊もない」という脳天気な見解もあり、医療担当者も行政も政治も、ニュースを集めて行動する一般社会も大変です。

2008年1月、舛添厚生労働相が「産科医師が訴訟を受けない体制を保証するから安心して力をつくして欲しい」と発言しました。でも大臣の寿命は短命です。こんな発言は何の保証にもならず、迷惑と考える筋も多いでしょう。

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