患者を支えるということ14
音楽療法士:がん患者さんの心と体を癒やす音楽療法 身心の調子に合わせた選曲が大事
ながしま りつこ 日本音楽療法学会認定音楽療法士、日本芸術療法学会員。茨城県立医療大学付属病院、茨城県立こころの医療センターなどで、精神科領域の音楽療法を実践した後、2005年より千葉県がんセンターに勤務。終末期医療を中心に音楽療法を実践し、講演や後進の指導にも携わっている
陽気な歌を口ずさむと、気分が明るくなったり、軽くなる。懐かしい歌は当時の自分や環境をありありと思い出させる。こうした音楽の効用を、患者のケアにいかそうと始まったのが音楽療法。千葉県がんセンターでは、「心と体にやさしいがん医療」を基本理念として挙げており、その一環として音楽療法を取り入れて患者の心身のリラクゼーション効果を図っている。
スタッフも演奏する音楽会
2月のある金曜日の午後。千葉県がんセンター緩和病棟の談話室で、チェロとフルートの音合わせが始められていた。部屋には、時節柄、立派な雛壇もしつらえてある。
実は、チェロを演奏するのは同センター核医学診療部の医師・戸川貴史さん。フルートを演奏するのは、千葉県東金病院から楽器を携えて訪れた臨床検査技師・田口敏さんだ。もちろん、2人ともボランティア。ここに、同センターの音楽療法士、長島律子さんが演奏するピアノが加わり、音楽会が行われる。
参加するのは、患者さんやその家族だ。長島さんによると「多い日には、車椅子やベッドのまま4~5人の患者さんが参加する」という。この日は、1人の男性患者さんが看護師さんにベッドを押してもらって入室。電動ベッドの背にもたれたまま音楽に聴き入った。
「こんにちは」と、長島さんが語りかける。看護師さんも、「大丈夫? 希望する曲があったら言ってね」と、声をかける。
フルートで「この道」、続いてチェロで「バッハ無伴奏チェロ組曲第1番」が演奏されると、患者さんは小さく両手を動かして拍手を送った。
お雛さまも飾ってあるので、予定外の「うれしい雛祭り」も演奏。お雛さまが見えるようにベッドを回してもらうと、患者さんは「昔から、こうやって飾ったねえ」と小さな声でつぶやき、感慨深げ。お嬢さんがいるので、演奏を聴きながら思いもひとしおだったようだ。「北国の春」が演奏されると、患者さんは小さく手拍子を打ち始めた。
リクエスト曲は「川の流れのように」。人生を彷彿とさせるこの歌が今の心境と重なるのだろうか、患者さんの目から涙があふれた。最後は、一緒に「故郷」を歌って、音楽会は終了。何度もお礼をいいながら、患者さんは病室に帰って行った。
父親の病室で音楽療法
聴衆はたった1人なのかと思うかもしれない。しかし、実際には談話室での演奏は緩和病棟全体に届いている。
「興味があっても出てこられない人もいるし、病室の患者さんや家族のリクエストに応えて演奏をすることもあります」と長島さん。いわば、緩和病棟の入院患者さんと家族、そして医療スタッフも聴衆なのである。
緩和ケアというと、苦痛を緩和して最期を迎える場所というイメージがある。しかし、緩和医療科・医師の渡邉敏さんによると、ここでは緩和ケア病棟から自宅に戻ってもらうことを目標にしているそうだ。
「ここは、身体的苦痛の緩和が中心で、それが解消されればご自宅に戻っていただく。病院が終の棲家になる人がいないことを願っています」
とはいえ、中には家族の事情で家に戻れない人もいる。精神腫瘍科の医師もすぐに介入できるが、それでも緩和病棟にいれば気持ちが沈む人が多い。そこで、ここでは気分転換を大事にしてきたという。
クリスマスや雛祭りなどの行事はとくに大事にしてきたし、園芸療法を取り入れてお花に水やりをしたり、押し花を作ったり。急性期治療を中心とする本館の広場で、アニマルセラピーを行ったり、合唱団を呼ぶこともあった。その活動をもっと広げようと、7年前に長島さんが音楽療法士として加わったのである。
しかし、長島さんはかなり躊躇したようだ。がんの患者さんに音楽療法を行うきっかけは父親だった。父親は、千葉の県立病院で肝臓がんで亡くなった。音楽一家で父親も音楽好き。すでに精神科の音楽療法士として仕事をしていた長島さんは、MDに父親の好きな音楽を録音して届けた。個室に入ると、父親はその音楽を1日中聴いていたという。
「病室で父の好きな歌を口ずさむと、安心した顔をみせてよく眠ってくれました」と長島さんは振り返る。
その様子をいつもみていたのが、当時長島さんの父親の手術を担当した、千葉県がんセンター・前センター長の竜崇正さんだった。消化器外科の名手であると同時に、患者中心の質の高い医療の実現に尽力してきた竜さんは、センター長に就任すると同時に長島さんに音楽療法をがんセンターでやってほしいと依頼してきたのである。
最初は、「患者さんをみると父を思い出してつらい」と断り続けていた長島さんだったが、「お父さんにやり残したことはありませんか?」という竜さんのひと言で、決断したという。
リラクゼーション効果を目標に
しかし、実際にはがん患者さんの音楽療法といっても手さぐりだった。
日本では、1960年代に音楽療法が導入されたとされているが、長く普及することはなかった。しかし、日本音楽療法学会が設立されて、2001年から音楽療法士の認定が始まった。それが、現在では2,008名にのぼるというから、ここ10年ほどの間にかなり増えている。それだけニーズも高まりつつあるということなのだろう。
といっても、その多くは認知症の改善など高齢者を対象に福祉施設などで活動することが多いという。
長島さん自身は、精神科の音楽療法士になりたくて、資格を取得。精神科医療の現場で活動をしてきた。精神科の場合は薬物療法が中心。
副作用が強い薬も多く、体がうまく動かなくなることがある。そこを音楽を使って動かすのが音楽療法の大きなテーマだ。目的もはっきりして、効果も目に見えやすい。
ところが、がんとなるとそうはいかない。「踊ったり、体操をするわけでもないし、何をすればいいのか、何ができるのかわからなかったのです」と長島さんは語る。
ただ、「患者さんに寄り添うことは同じ」だと思った。それからは、がん治療を学び、「生演奏で、心と体のリラクゼーション効果を得ることを目標」においたという。
がんを患いながら参加も
今日は、緩和ケア病棟での生演奏だったが、長島さんは外来の患者さんや入院患者さんを対象にした音楽療法、マンツーマンで個々の患者さんの要望に応える個別セッションなどを行っている。
外来や入院中の患者さんを対象とした音楽療法では、患者さん本人も演奏したり、みんなで合唱することもある。
そのために、さまざまな楽器を揃えている。
中でも気に入っているのは、チャイムバーという初心者用のハンドベルのような楽器だ。
長島さんは、そのチャイムバーを音ごとに色分けし、自らが編曲して大きな楽譜を作成した。この楽譜に示された色通りに振れば初心者でも曲を奏でられる。
「みんなで合奏すると、気持ちが1つになって達成感が生まれるのです」と長島さんは語る。
中には、自分が音楽療法で元気になったからと、参加してくれている人もいる。
この人は、ギターが趣味。がんになり、声が出なくな るのではないかという強い不安にさいなまれていた。
そんなとき、個別セッションで病室を訪れた長島さんの演奏を聴いたり、一緒にギターを弾くことで、何とか自分を支えることができた。
「がんを患いながらも演奏している彼の姿は、患者さんにとっても希望なんです」と長島さんは話す。
臨終の床で家族が合唱
長島さんは、緩和病棟の場合、カンファレンスに参加して1人ひとりの患者さんの病状や年齢、背景などを把握して選曲する。
ともすると、元気な曲で励ましたくなるところだが、「音楽療法では同質の原理といって、そのときの患者さんの調子に合わせた選曲が大事。緩和病棟の場合、基本的にはゆったりした馴染みの曲が多い」という。
馴染みのある曲は、「回想」のためにも重要な要素だ。「元気だったころや人生を振り返って思いをまとめることができる曲がいいのです。涙を流す患者さんも多いのですが、それが気持ちの発散にもなるのです」と長島さんはいう。実際に、リクエストは「川の流れのように」がダントツ。次が「故郷」だそうだ。
個々に寄り添うという意味では、やはり個別セッションが1番患者さんの要望に応えやすい。
音楽の使い方はさまざまだ。緩和の病室に入っていた70代の男性は、「妻に感謝を伝えられないので、妻が来る日にフランク永井さんの『おまえに』を演奏して欲しい」と依頼してきたそうだ。
臨終の間際に、依頼されて女性患者さんの好きだった石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」を演奏したこともある。枕もとで、家族みんなで歌い、「いい思い出ができました。この曲を聴くたびに、家族みんなで病と闘ったことを思い出すでしょう」と感謝された。
今後は科学的なデータを
音楽療法は今、術前術後の不安を軽減する、血圧を安定させる、免疫力を高めるなど、さまざまなデータが報告されている。
長島さんも「みなさんよく、音楽を聴いている間、がんであることを忘れていた、痛みやだるさなどつらさに耐える生活の中で、一瞬でもそれを忘れ、ああ僕って病気だったんだと言える時間が持てた、といいますね」と話す。
これからは、音楽を聴くことで本当にリラックスできているのか、科学的なデータで証明することも目標の1つ。さらに「患者さんが書いたちょっとした思いに曲をつけて、家族に残してあげたい」、「お見送りのときも好まれた音楽で送ってあげたい」と、やりたいことはいくつもある。
その根底にあるのは、友人や娘のように少しでも患者さんの心に寄り添いたいという思い。そのために、長島さんは白衣を着ていない。「医療の中では音楽療法士はいなくてもいい存在と言われがち。これからは、音楽療法士は必要といってもらえるようになりたい」、そして「若手の育成にも努力したい」と決意を語っている。