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ただし、まだ有効性を確かめる臨床試験の段階
1歩抜きん出たがんワクチン、大阪大学「WT1ワクチン」

取材・文:「がんサポート」編集部
(2006年1月)


大阪大学大学院免疫造血制御学
研究室教授の杉山治夫さん

丸山ワクチンとどう違う?

がんの免疫療法は、免疫機能全体を高める治療から、がんに対する免疫機能に絞って、つまりがんを狙い撃ちする新しい免疫療法の時代に入っている。このことは、すでに述べられ繰り返しになるが、その狙い撃ち療法として1990年代から期待されてきたのが1つは先にも紹介された樹状細胞療法、そしてもう1つは新しいがんワクチン、「がん抗原」ワクチン療法だ。

がん抗原ワクチン。がんワクチンなら、故丸山千里博士が結核患者にがん患者が少ないことに着目し、開発した「丸山ワクチン」が有名だが、がん抗原ワクチンはこれとは異なる。丸山ワクチンは、結核菌の抽出成分によって免疫力全体を高め、それを利用してがん細胞を抑える効果を狙っていたが、臨床治験をした結果、有効性が確認されなかった。

これに対して、がん抗原ワクチンは、正常細胞にはなく、がん細胞だけにあるがんの目印(がん抗原)を投与することによって、がんを標的とした免疫細胞(CTL=細胞傷害性T細胞)を誘導し、がん細胞だけを攻撃する効果を狙ったものだ。

つまり、免疫全体を高めるという漠たるものではなく、がんにターゲットを絞って攻撃するという点が決定的な相違点だ。当然ながら大きな期待をかけられ、新しいがん抗原が次々に発見され、あちこちのグループがこの治療に乗り出した。しかし、臨床試験の結果が出るにつれ、ことごとくが期待はずれとなっている。

こうした中で、ただ1つがんワクチンの可能性を残したものがある。大阪大学大学院免疫造血制御学研究室教授の杉山治夫さんらが開発した「WT1ワクチン療法」と呼ばれる治療だ。

ほとんどのがん細胞に存在する

WT1とは、正しくは「WT1ペプチド」。WT1タンパクの断片(9個のアミノ酸)である。これをワクチンとして、体内に注入するのがWT1ワクチン療法である。

この療法を思いついたきっかけは、杉山さんの研究テーマ、なぜがんが発生するかにあった。もともとWT1の遺伝子はがん抑制遺伝子と言われていた。ところがよくよく研究してみると、WT1遺伝子が作るタンパクは白血病細胞をはじめ、さまざまな種類のがん細胞にたくさんあり、がんの発生に関与していることが明らかになった。そしてこのWT1は今では白血病やその再発の早期診断にも役立っている。

[WT1ペプチドでキラーT細胞を誘導する仕組み]

WT1ペプチドによって誘導される
キラーTリンパ球は正常細胞を攻撃しない

「そこで、WT1タンパクががん細胞にたくさんあるのなら、これを目印にして免疫細胞が攻撃するようにしてやれば、正常細胞は攻撃せず、がん細胞だけを攻撃する新たな治療法を開発することができるのではないかと考えて、がんワクチンの研究を始めたんです」(杉山さん)

この研究を通して、杉山さんらは、WT1タンパクの断片(WT1ペプチド)ががん細胞の表面にあるポケット(HLA分子)に入り、これががん細胞の目印(標的)になることを証明している。

「実は正常細胞にもWT1ペプチドがたくさん出ているが、ポケットに入っていないんです。だから免疫の標的にはならないので、免疫はがん細胞だけ殺して、正常細胞は殺さないんです」

さらに、このWT1ペプチドを注入して免疫細胞を活性化するとがん細胞が排除されることも動物実験で証明している。

問題は、このペプチドを人間に打つ場合、どういうペプチドにしたらよいかである。ここががんワクチン研究の一番のポイントで、研究に数年かかったという。

実は、細胞の表面にあるポケットのHLA分子は、人によって違っている。HLA分子が違えば、そのポケットに入るペプチドも異なる。日本人に最も多いHLA分子はA-2402という型で、約60パーセントがこれ。次いで多いのがA-0201という型で、約20パーセント。この2つの型に入るペプチドを見つければ日本人の約80パーセントをカバーできる。杉山さんらは、このペプチドを見つけ出した。これは特許にもなっている。

臨床試験であわや危機一髪

新聞記事
WT1遺伝子やワクチンに関して各新聞で報道された記事

写真:WT1ペプチドを調整しているところ
WT1ペプチドを調整しているところ

[WT1ペプチドを皮内に注射した痕]
写真:左から腹部・上腕・大腿
WT1ワクチン療法の副作用はこの皮膚の発赤・腫脹のみ

こうした研究成果をもとに、2000年から2年かけて、このWT1ペプチドをワクチンとして患者に投与する臨床試験(第1相)が大阪大学病院で行われた。対象は白血病、乳がん、肺がんの患者26人。いずれも手術や放射線、抗がん剤の治療を受けたが効果がなく、打つ手がなくなった患者たちだ。ペプチドは1週間おきに3回皮内注射するが、ワクチンの安全性をみる試験なので、最初は0.3ミリグラムの投与量から始めて、次第に増量していき、3.0ミリグラムまで投与量を変えて見ていく。

ところが、骨髄異形性症候群が悪化して白血病、さらに再発した患者に皮内注射したところ、翌日から白血球(白血病細胞)が急激に減少し始め、ついに敗血症に陥り、非常事態となった。緊急処置でなんとかこの危機を脱出したが、「ここで失敗していれば、ワクチンの命運は尽きるところでした」と杉山さんは述懐するほどだった。

後で考えると、「血液は1個の幹細胞から作られて増えていきます。骨髄異形性症候群では、すべての血液細胞ががん(白血病)になっているので、その大元をキラーT細胞が叩いたために一気に白血病細胞全体が崩壊していったと考えられます。後で投与量を下げて(5マイクログラム)投与すると、弱い免疫反応が起こり、副作用なく白血病細胞が徐々に減少していくことがわかりました。要するに、WT1が効きすぎたわけで、これは予想外の出来事でした」

しかし、同じようなことが立て続けに起こったために、臨床試験は一時中断となった。そのため、当初の計画通り3回の投与ができた患者は20人だった。このうち、腫瘍が縮小したり、腫瘍マーカーの数値が改善するという臨床的に何らかの利益が見られたのは14人。このデータから「7割の効果」とある週刊誌が報じているが、これは誇張のし過ぎ。効果は奏効率や生存期間などで判定するのが通常で、例えば奏効率なら腫瘍消失と半分以下の縮小が4週間以上続いた場合をいう。そこで、奏効率について尋ねると杉山さんは、「免疫療法は抗がん剤と反応の仕方が違うのでそれを出すのはちょっと……」とためらった。どうやら奏効率はそれほど高くはないようだ。