がん治療医の痛み治療に関する知識不足、経験不足が患者を苦しめる
痛みに苦しむがん患者は、なぜこんなに多いのか
小川節郎さん
がんの痛みをなくす治療法は、きちんと確立したものがある。未承認抗がん剤のように、海外にあるわけではない。日本国内にあり、しかも日常の診療現場で使用されている。にもかかわらず、痛みに苦しんでいる患者さんがたくさんいるのは、なぜなのか。
どうして患者さんは痛みを取ってもらい、苦しみから解放してもらえないのだろうか。
痛みが激しく、治療どころじゃない
ある日、小誌編集部に中年男性の読者から電話が入った。
「大腸がんで肝臓に転移しているんですが、何かいい治療法、いい薬はないでしょうか」
よく聞いてみると、その彼はすでに病院で抗がん剤治療を受けている。ところが、2週間ほど前から腰に痛みが出始め、それがひどくなって、とうとう起き上がれなくなった。そのため、病院へも通えなくなったという。
「先生に痛みを取ってほしいと頼んだんですが、がんの治療をしているんだから、仕方がないって言われたんです。でも、あまりに痛みが激しく、治療どころじゃない。早く痛みをなくして、最先端の治療を受けたいんです」
がんの治療と痛みの狭間で苦しんだあまりの助けを求める電話だった。
「岩手にホスピス設置を願う会」代表の川守田裕司さんは2000年8月、妻を子宮がんで亡くした。がんはソフトボール大に膨らみ、周囲にも広がっていた。そのため手術ですべてを取りきれなかった。
妻が痛みを訴える。痛みで泣き叫ぶ声は病室の外まで響いた。医師に医療用麻薬を使ってもらうよう川守田さんは訴えた。しかし、病院側は「一定の時間をあけて投与するのが規則」と、聞き入れられなかった。ようやく使われたのは、妻が亡くなる当日だった。
「なぜもっと早くから使ってくれなかったのか」
その思いが彼に会を立ち上げるという行動を起こさせた。そしてこう言う。
「岩手にできるだけ多くの緩和ケア病棟を設置してほしい。痛みの緩和や精神的ケアを充実させてほしい」
約8割の痛みが放置されている
あなたの痛みは満足のいく程度に和らげられていると思うか
痛みに苦しんでいるがん患者はこの人たちばかりではない。実に多い。数字を挙げてみよう。
2004年にムンディファーマという製薬会社が、日本の痛みに関する大規模な調査(3万人対象)を行っている。その結果によれば、「慢性疼痛保有者のうち約78パーセントが、自分の痛みは適切にコントロールされていない」と感じている。つまり、適切な痛みの治療を受けられず、痛みが放置されている人が8割にも上っているというのだ。
がん患者ではどうか。がん治療医を対象(回答431名)にがんの疼痛治療の実態を調査したデータがある。2006年10月に発表された「患者QOL向上を目指したがん性疼痛治療に関する調査研究」である。その結果によれば、疼痛治療の実態はお寒いかぎりだ。
がんの治療中の入院患者において、医師が疼痛治療を実施している割合は1割未満が60パーセント、1~3割が20パーセント、3割以上が8パーセントと、ほとんど実施していない医師の割合が過半数を超えているという結果だった。外来患者ではさらに低い実施状況であった。
長年がんの疼痛治療に携わってきた駿河台日本大学病院長の小川節郎さんはこう言う。
「初診時の時点で痛みを訴えるがん患者は30パーセントにのぼります。この調査結果によれば、3割以上の患者に治療した医師の割合はわずか8パーセントに止まっているということは、痛みがあるにもかかわらず、疼痛治療が行われていない状況がうかがえます。そして痛みは進行がんにおいては60~70パーセント、末期がんにおいて75パーセントの患者さんが痛みを抱えて苦しんでいるといわれています。
がん治療医は治療をするだけでも大変で、緊張を強いられます。そのうえに疼痛治療を行うとなると1人の医師の能力の限界を超えてしまう。結果的に、痛みのケアにまで手が回らないというのが現実。そのために疼痛治療を受けられない患者さんの数はいっこうに減らないのです」
実際、2003年の厚生労働科学研究によると、痛みが取り除かれているがん末期の患者は、がんセンターなどの専門病院でも64パーセント、一般病院では47パーセント、大学病院に至ってはわずか40パーセントにすぎない。イギリスやスイス、ドイツなどの欧米では、モルヒネなどの医療用麻薬を用いての除痛率はだいたい80~90パーセントに達している。日本は大きく立ち後れている。医療用麻薬の代表的なモルヒネの人口当たりの使用量でも、日本は欧米の10分の1~20分の1ほどで、これまた大きく遅れている。
WHO方式がん疼痛治療法の存在
●オピオイド使用の時期は痛みの強さによる
●非オピオイドは必ず使う
では、なぜ、そんなに痛みで苦しんでいる患者が多いのだろうか。なぜ、医師から痛みを取ってもらえないのだろうか。
治療法はある。すでに世界保健機関(WHO)が1986年に、「2000年までにすべてのがん患者を痛みから解放」という宣言とともに、「WHO方式がん疼痛治療法」を公表している。その治療法に則って痛みの治療を行えば、ほとんどの痛みが取れるとし、この発表は当時の医療界に衝撃を与えた。
「この間に緩和ケアの専門医をはじめとする関係者の間では、このWHO方式がん疼痛治療法の存在は広く知られ痛みの治療も進みました。しかし、問題は、それ以外のがんの治療医や一般診療医で、がん患者さんの多くは彼らに診てもらっています。その彼らに普及が進んでいなくて、その治療法が十分に活用されていないのです」(小川さん)
確かに平成16年に発表された「終末期医療に関する調査等検討会報告書」(厚生労働省)によれば、緩和ケア病棟で従事する医師、看護師の間では、9割近い人がWHO方式について認知しているが、それ以外の病院、一般診療所の医療従事者の間では、この方式を認知している人は半数を下回っていた。
WHO方式が活用されていない原因にも、いろいろあると小川さんは言う。
「第1は、がん治療医たちのがん疼痛と治療に関する知識不足、経験不足です。これは痛みについての無関心、無理解から来ている面もありますし、前に言ったように、本業で精一杯で痛みのほうまで手が回らないこともあります。また、麻薬は最後の手段とか、中毒や依存症になるなどと、疼痛治療に用いられる医療用麻薬に対する誤解や偏見が原因となっている面もあります。これらががん疼痛治療の普及を妨げているのです」
医療用麻薬や疼痛治療に対する誤解や偏見については、この特集の別の記事でも取り上げているので、詳しくはそちらに譲るとして、問題は医師の無知と経験のなさである。
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