震災に負けない特集・がん患者さんたちの声

がん患者さんはもっと声をあげて! 不安に満ちた被災地のがん患者さんたちの声

発行:2011年6月
更新:2013年9月

  

未曾有の大災害。地震、津波、原発の三重苦に苦しめられている人もいる。これら被災者の方々にどう声をかけ、何をすればいいのか、戸惑ってしまう。「がんばれ」「がんばろう」の言葉が広がっているが、被災者たちの、家族を失い、家を失い、町や村を失った境遇に思いをはせれば、そうストレートに言えるものではない。落胆しているところへ鞭を打つ形になるからだ。そうではなく、がんばるのは、被災しなかった、あるいは被災の軽かった私たちだ。私たちこそがんばって彼らにサポートの手をさしのべればいいのだ。それを考える意味で、今回、震災特集を組んだ。被災者の方々、被災されたがん患者さんたち、どうか、震災に負けないでほしいと願って。負けなければ、希望が見えてくる。そしてその先には復興がある。

写真:すぐに全国から救援物資が届き始めた

震災直後、食料や水不足に、患者さんたちは困っていた。だがすぐに全国から救援物資が届き始めた

「治療が中断。その間に再発するかもしれない」「1度がんを患っているので、放射線に過敏になって、がんが再 発しやすくなるのでは?」。被災地のがん患者さんたちからは、こんな不安に満ちた声が高まっています。

病院機能の停止で受診が1カ月延期。再発が不安……

水野万里江さん・仮名(乳がん)

そのとき、私は自宅マンションで他県への大学進学が決まった長男の引越し準備の手伝いをしていました。

地震が起こったとき、最初はどうということもないと思い、「今回はちょっと揺れが強いね」と長男と話していたのですが、どんどん横揺れが激しくなり、本や花びんが床に落とされ家具も倒れていく。体の小さな私は揺れで飛ばされないように、思わず壁にへばりついていたほどでした。

マンションの駐車場に一時的に避難すると、雪がちらつき始め、寒さが募ってきます。もっとも、私はそのときには落ち着きを取り戻し、あらかじめ準備してあった懐中電灯や非常食を詰め込んだ防災バッグを取りに戻り、暖をとるために別の駐車場に停めてある車を回しました。その間に路上で子どものオムツを替えようとしている若い母親を車に招き入れる余裕もできていました。

もっとも、揺れは一時の激しさはなくなったものの夜になってからも一向におさまりません。それでそれから数日は、安全のために家族3人が車内で寝泊まりするようになりました。そうして最初のうちは、必死で自分ががん患者であることも忘れていました。しかし何日かたって、思い出したように関節の痛みが現れてから、私は震災で病院に行けない不安に苛まれるようになりました。

私は13年前に右乳房にがんが見つかり、全摘手術を受けています。その後、局所再発、左乳房での初発をくり返した後、昨年7月には皮膚転移が見つかり、現在はがん専門病院でホルモン剤による治療を続けています。幸い、現在は、症状は落ち着いています。でも、いつまたがんが暴れだすかわからない状況で、油断はできません。

再発が不安。早く受診したい

そんななかで、入浴もできず、関節の痛みに耐えながら、水や灯油を運び込む被災生活でストレスが募り、前に放射線治療を受けた左脇のあたりにかゆみが生じ始めました。マンションに戻ってからも、夜、気がつくと治療でできた傷の周辺をかきむしっている自分に気づかされることもあります。

このかゆみはひょっとすると、がんが暴れ始める前兆なのかもしれません。そう思うと不安が高まり、そしてその不安を誰にも言うことができないためにストレスも募るばかりです。

本来なら、3月17日に病院を訪ね、エコー検査や血液検査を受けているはずでした。でも病院の被災でいつ検査を受けられるかもわからない状況が続いていました。電話連絡して1カ月後に検査予約が取れたときには、どれほど安堵したことか。でも、実際に検査を受けてみないことには、かゆみの正体はわかりません。それまで不安な日々が続くことでしょう。

主治医は診察中は険しい表情をされていますが、検査で問題がないことがわかると、「大丈夫ですよ」と満面に笑顔を浮かべられます。今は一刻も早く、受診してあの笑顔を見たいという思いでいっぱいです。

免疫力が低下していたため感染が心配だった

伊藤智子さん(急性リンパ性白血病)

写真:伊藤さん

「残りの人生がどのくらいかわからない。でも毎日を全力で生きたい」と話す伊藤さん

私は3年前に急性リンパ性白血病を患い、その翌年に臍帯血移植による治療を受けました。しかし昨年3月に再発。それからはスプリセル()という薬剤で治療を続けています。

その治療を受けるときに、医師からはっきりと、薬を使ってもほとんどの人の場合、余命は3カ月程度といわれました。

幸い、私は現在に至るまで命を永らえ、その間に思い残しのないように、ラジオ放送を始めて同じがん患者を激励し続け、さらに患者のサロンとして、今年3月にコーヒーなどをお出しする自分の店を持つことができました。

震災の日も私はその店で働いていました。そのときには看護師さんが2人来店されており、私と2人のスタッフたちと5人で手をつないで、揺れに耐えていたのです。

被災後、とても困ったことは、お風呂に入れなかったことです。 治療中で免疫力が低下しているため、感染症になることがとても心配でした。

幸い、被害を受けなかった知人の家ですぐにお風呂に入らせてもらうことができ、とても安心しました。

幸い、私自身も無事で店の被害もさほどではありませんでした。残りの人生がどれほどの長さになるかわからない。でも、心残りのないよう全力で1日1日を送りたいと思っています。

スプリセル=一般名ダサチニブ


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