花の谷クリニック 自宅に代わる医療のサポートを備えた生活の場の提供を目指して

取材・文:守田直樹
発行:2007年8月
更新:2013年9月

  

30代半ばで一念発起、理想の終末期医療の実現へ

写真:花の谷クリニック

春には菜の花が咲きほこることで知られる房総半島にある

自分が医療にあわせるのではなく、自分にあわせた医療を望むのは誰にとっても至極当たり前のことである。この当たり前に応えてくれるホスピスのある診療所が、千葉県南房総にある「花の谷クリニック」だ。ターミナルケアだけでない緩和ケアが今日もつづけられている。

借りた土地を担保に開業

写真:伊藤真美さん

院長の伊藤真美さん。緑色の葉っぱを1枚差し出し、「この紺色の点々が藍染めに使う藍なんですよ」と教えてくれた

「花の谷クリニック」は、千葉県の南房総の海辺の町にある。その名前の由来書きには、こう記されている。

〈1931年、ある登山家がヒマラヤ山中で迷い、数百種類の高山植物が咲き乱れる谷をみつけました。彼はその場所を「花の谷」と名付けました〉

院長の伊藤真美さんは、谷間に見つかった「青いケシの花」にも魅了されたという。

「青いケシは、「幻の花」ともいわれ、開業前にはその言葉の響きに惹かれたんです。でも、いまでは「青いケシ」を長野で実際に育ててしまった丸山健二さんのほうに、より魅力を感じています」

1995年に「花の谷クリニック」(以下「花の谷」)という名の診療所をオープン。現在では、外来、在宅医療、ホスピスと枠にとらわれない医療を提供している。

「地域に必要だと思ったものをやってきただけ」と、伊藤さん。

彼女の「自然体」は、海外での体験にも大きな影響があるようだ。

伊藤さんは信州大学医学部を卒業後、10年あまり勤務医を経験した後、突然、「西洋医学一辺倒の世界に、閉塞感があった」

と、日本を飛び出し、インドのアユルヴェーダ大学に留学をした。東洋医学に1年間どっぷり浸かったあと、今度は半年ほどアメリカのホスピスへ研修に行っている。

「インドはカースト制度のある階級社会だと聞いていたんですが、建前のない、本音で生きている国だったんです。それに対し、アメリカは人種差別や、住む場所や職業によってものすごい階級社会で、建前と本音が使いわけられている。その両方を体験し、『もっと素直に自分がやりたいようにやればいい』って思えるようになれたんです」

帰国後には、診療所を開こうと決意するが、開業医の跡継ぎではなく、用意できたのは貯金通帳にあった300万と、親から借りた300万円の計600万円。相談した建築家にも、もっと貯金するようにアドバイスされる有様だったという。

しかし、願えば夢はかなうのか。

漁師の故・渡邉庄市さんが、「病院にするなら」と土地を貸してくれ、銀行がその土地を担保に融資。開業にこぎつけた。

写真:紫色の花が飾られていた

てっせんによく似た、紫色の花が飾られていた

それから12年。やっと最近になって、地域の人に認められはじめたと伊藤さんは感じている。人口約1万3500人の小さな町にホスピスを開設当初、「あそこは死に場所」と白い目で見られることもあった。が、地域の人が求めるものを提供しつづけ、伊藤さんが目指す医療が少しずつ浸透している。

タクシーの女性運転手も、まるで娘の自慢でもするかのようにこう言った。

「花の谷は、日曜日もやってくれるから、仕事をする人にはありがたいんです。2006年、近所の頑固なおじいちゃんがここで亡くなったんですけど、『花の谷はいい』とずっとおっしゃってました。私も子供たちに、そういう状態になったらここに入りたい、と言ってあるんですよ」

オープン時から外来玄関にはヒマラヤの「花の谷」の写真が飾られ、館内はいまもミニひまわりや、ユリ科の「オオニソガラム」といった花々で彩られていた。

「海辺のコテージ」風のホスピス病棟

写真:広いオープンスペース
病室からは広いオープンスペースにベッドごと出られる

「ビルのなかにある病院のようにはしたくなかったんです。ベッドのまわりの2~3畳を与えられ、仕切りはカーテン1枚だけで我慢しなさいって。治療のためと辛抱していますが、そのこと自体が本当は間違っていると思います」

と、伊藤さんは言う。

「花の谷」の病棟は個室が基本で、多くても2人部屋。すべての部屋から広いウッドデッキにベッドごと出られるよう、ガラス戸が全開するようになっている。そこから海そのものは望めないものの、海風にそよぐ竹林が目にやさしい。

民家を改修したデイセンター「庄左ヱ門」

写真:デイセンター「庄左ヱ門」
クリニックの裏にたたずむデイセンター「庄左ヱ門」

伊藤さんは著書『しっかりしてよ! 介護保険』(草思社)で、介護保険の問題点を浮きぼりにし、「ホスピス」についてもこう触れている。

〈ホスピスを「施設」としてだけとらえると、いよいよ最後というときだけ、患者さんを受け入れればいいということになる。だが、ホスピスをもっと広い意味で「精神」、あるいは、最後を迎える患者さんとの「関係のあり方」としてとらえると、患者さんとかかわる期間を数週間ないし数カ月と限定するのはおかしい〉

緩和ケアをしっかりしてくれ、困ったときに入院できる小さなクリニックがたくさんあれば、在宅生活ももっと可能になる。

伊藤さんはこう言う。

「いまの在宅一辺倒の流れには反発も感じています。本当は病院などの施設を家に近いようにする在宅化ができれば1番いいんです」

また、伊藤さんは在宅医療やホスピスに取り組むうちに、「介護する家族の休息」が必要なことに気づいた。介護施設では看られない、医療依存度の高い人たちのデイケアを行うため、2004年8月にオープンしたのが民家を改修した「庄左ヱ門」だ。

土地の所有者だった渡邊さんが、がんで死去。「最後まで面倒をみて欲しい」という望みどおり、看取りをし、土地と家を譲られた。渡邉さんの屋号だった「庄左ヱ門」を受け継いだ家を「デイセンター」として活用している。

ここには週2日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)などの難病の人や、気管切開をしている人、末期がんの人などが入浴やチューブ交換をしたり、ゆったり日中を過ごすために訪れている。

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