渡辺亨チームが医療サポートする:慢性骨髄性白血病編
サポート医師・楠本 茂
名古屋市立大学病院血液・
膠原病内科チーフレジデント
くすもと しげる
1997年名古屋市立大学医学部卒業、同病院臨床研修医。99年静岡済生会総合病院血液内科医。2002年6月国立がん研究センター中央病院内科レジデント。05年4月より名古屋市立大学病院 血液・膠原病内科臨床研究医。06年4月より現職。日本内科学会認定医。日本血液学会専門医。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医
骨髄移植を受けて完全寛解していたが、7年後、再発の症状が
杉田健次さんの経過 | |
1998年 2月9日 | 職場検診で「白血球が多い」 |
5月7日 | 民間病院での人間ドックで白血病の疑い |
8日 | T大学病院に転院、慢性骨髄性白血病の疑いが強く、即日入院 |
30日 | 骨髄穿刺の検査結果、慢性骨髄性白血病と確定診断 |
6月20日 | 妹のHLA型と一致することが判明。移植の日程が決まる |
7月30日 | 骨髄移植 |
2005年 11月4日 | フォローアップ検査で血小板減少。再発の可能性もあるため、即日入院 |
28日 | 骨髄穿刺および染色体検査の結果、移行期での再発と診断 |
42歳のとき、職場検診から慢性骨髄性白血病が発覚した杉田健次さんは、骨髄移植を含む治療を受けたことにより完全寛解を得て安定状態が続いていた。
が、50歳を迎えてさまざまな身体的不調を覚えるなかで、骨髄穿刺を受けると再発と診断された。
昔ならただちに「命に関わる状態」とされたところだが……。
(ここに登場する人物は、実在ではなく仮想の人物です)
職場健診で「白血球値が高い」と
2005年の秋、50歳を迎えた杉田健次さんは、それまで日常生活の中ではあまり経験したことのないだるさや、肩や手足の関節の痛みを覚えるようになっていた。たった1つ気がかりなことがあったが、つとめてそのことを考えないようにしていたのである。
杉田さんは、大手不動産会社の営業マンの道を一筋に歩んできた。東京のベッドタウンの一戸建てに、3歳年下の妻・陽子さんと、社会人1年生の修一さん、大学生の薫さんの4人で暮らしている。真面目人間で、タバコは吸わず酒もほとんど飲まない。ゴルフだけが唯一ともいえる趣味である。
杉田さんの気がかりなこととは、1度大きな病気をしたという経験である。42歳のときに慢性骨髄性白血病(*1)という血液のがんに侵されたことがある。妹から骨髄をもらって同種骨髄移植(*2)の治療を受けた結果、寛解を得た。医師からは「今のところうまくいきましたが、再発の心配がないとは言えませんから十分注意していきましょう」と伝えられていた。退院後最初の5年間は毎月1回のフォローアップ検査を受け続けており、その後も3カ月に1回の検査に変わったが、きちんと医師の指示を守ってきた。前回3カ月前の検査でも、「異常はありません。まったく安定していますよ」と言われている。また、そのとき行われた1年に1回の骨髄穿刺(*3)による検査の結果もシロだった。
だから、最近になって体の不調が続いても、白血病と結びつけることはなかなかできなかった。「年のせいかな」などと考えていたのである。
フィラデルフィア染色体が検出された
1998年2月、杉田さんは職場の定期健診で産業医から、「白血球数が1万2千と多い」と指摘された(*4慢性骨髄性白血病の症状)。そして、「体内のどこかに炎症があるかもしれません。最悪の場合血液の病気の可能性もあるので、大きな病院で精密検査を受けてください」と注意されている。
しかし、そのころ杉田さんにはまったく自覚症状がなかった。週末はほとんど接待を兼ねて得意先とゴルフに出かけていた。真っ黒に日焼けしており、175センチ、72キロと体格がいいこともあって、誰が見ても健康そのものだった。実際自分でも健康には気をつけており、医者にかかることもほとんどなく過ごしていた。
ところが5月になって杉田さんは、「検査を受けてみなければ」と思うようになる。暑さが増してくるシーズンになり、体のだるさと関節の痛みを覚えることが続いたためだ。そこで、自宅近くの民間病院で受け付けている簡易人間ドックを受診することにした。以前、産業医から手渡された診断書も持参した。人間ドックではその日のうちに血液検査をはじめ、CT、胃カメラ、大腸内視鏡などの検査が行われた。
5月7日、検査結果を聞きに行くと、医師は「白血球が2万4千もあります。白血病の可能性があるので、血液内科を受診してください」と話した。そして、「お近くの血液内科がある病院をご紹介します。ご希望の病院はありますか?」と問われて、いちばん近くのT大学付属病院の血液内科を選んだ。医師はすぐに紹介状を用意してくれた。
さらに5月8日、杉田さんはT大学付属病院の血液内科を訪れる。初めて会った太田宏医師は、前医の紹介状に目を通すと、「では骨髄穿刺をしましょう」と言う。そして横にいる看護師に「マルクの用意」と促したのである。
杉田さんが初体験する骨髄穿刺は、想像していたよりも軽度な痛みで、簡単に終わったように感じたが、ただ、自分が尋常ではない状態に追い込まれていることを思い知らされた。しかも、骨髄穿刺が終わると、太田医師は思わぬことを告げた。
「染色体検査の結果を待たなければ詳しいことはわかりません。3週間から4週間ほどかかります。今日はこのまま入院して、詳しく全身を調べさせていただいたほうがいいでしょう。白血球や血小板の異常増加などから、慢性骨髄性白血病の疑いは相当強いと思います(*5慢性骨髄性白血病の検査と診断)。すでに移行期に進行しているかもしれません(*6慢性骨髄性白血病の病期)。もし急性転化したら手がつけられないことになる危険性もありますから」
大ショックだった。せいぜい体のだるさや関節の痛みを覚えるくらいで、それ以外にはまったく具合の悪いところはない。もしかしたら、「なんでもありませんよ」と言われるのではないかという期待さえあったのである。しかし、太田医師のただ事ではない話し方から、杉田さんはその言葉に従うしかなかった。そして、21日後の6月5日に杉田さんは家族と一緒に太田医師から改めて告知された。
「先日の骨髄検査の結果、染色体検査では20細胞中18細胞にフィラデルフィア染色体(*7)陽性が見つかりました。慢性骨髄性白血病です。現在の症状や全身の検査では慢性期といえます。ただ、付加的染色体異常と呼ばれる変化が一部の細胞にあって、近い将来に急性転化期へ移行する可能性が高いと予想されます」